2011年09月27日 22:12 世界を見つめるため、仮の話をしよう・・・。(改良版)


我々は、規格上の都合により、神すら凌駕する人である。

そもそも、至極当然の流れにより、名立たる神々を創造した、荘厳な人類の末裔なのだ。

確かに、万人が歩むべき道を、大きく違えてはいるが、ここまで築き上げたのは、尊大な人間の所業である。

最大の成果は、人類を幾度も殲滅可能で、死屍累々の惨憺たる惨状を、容易く形成出来る状態だ。

それにより、爆発寸前の巨大な爆弾の上で、小さな爆弾の導火線に、火をつけたり消したりしながら、
より予断を許さぬ状況へと、皆で過ちを繰り返しながら、それは当然と笑みを浮かべ、仲良く特攻を続けている。

時には、小さな爆弾を爆発させ、他の小さな爆弾が誘爆し、その爆発の衝撃により、巨大な爆弾が弾け飛びそうになる。

あるかぎりの、見るも無残な有様は、その血まみれの混乱は、
目をおおう地獄絵図は、殺戮の霊長が齎した、悪夢の光景である。

人類より、不遜で残酷な存在は、この地上には存在しない。

称賛すべきは、自壊に向かって、まっしぐらである事だ。

これにより、傍若無人に振る舞う人類に、神が天罰を下す手間が省ける。

そう、勝手に炸裂して、無残な塵と化す。

この状況下で、ヒューマニティの進化を、唱える者がいるならば、
至極に冷酷無慙な悪魔か、周囲に目を向けぬ、ヒステリックな糞ガキだ。

極一部の状況を見つめ、傍観者としてのスタンスを維持し、無責任な事をのたまえば、いずれはその報いを受ける。

はなから、己の錯覚を他者に強要する者に、狂信的主張をふりまく者に、赦しを与えるのは困難だ。

もし、神がいるとするならば、有機物と無機物が織りなす、ナチュラルプロセスが、比類のなき実存となる。

それが、何処にいようが、何をしていようが、絶大な問題を見過ごし、解決出来なかった万人に、因果の報いを受けさせる。

我等が神は、天地万物が織りなす神は、リスクを考えられぬ者共に容赦はない。

現況では、法律と呼ばれる存在が、悪党共に降りかかる、罪悪による天罰を分散している。

全体が円環となる世界で、天罰を無理に抑制すれば、悪化して飛び散るだけだ。

人間は、甚大な因果の応報に、何度も晒されてきたが、それを忘却してしまう。

そうだ、チェルノブイリもスリーマイルも福島第一原発も、簡単に忘れてしまうのだ。

だから、馬鹿の一つ覚えのように、何度でも報いを受ける。




どれだけ、上手に仕切り直したつもりでも、腐ったエゴイズムに取り憑かれた化け物が、
権力を握る社会構造である限り、所詮それは失敗で終わり、解決に繋がる事はない。

それでは飽き足らず、その場凌ぎで取り繕った連中は、類似した問題が再発した場合において、
我が身に降りかかる、火の玉を回避するため、隠蔽や偽装にのめり込み、新たな地獄を創造する。

そして、泣きを見るのは、有権者と消費者である。

超絶において、それで何も起きなければ、当たり前の事をしただけだ。

それは、喝采すべき事ではない。

権力者には、それを勘違いした、たわけが多すぎる。

当然の行いを自我自賛し、それを互いに称賛し慰め合い、
失敗の責任は四散させる事で、失態を当然と振る舞っている。

だから、潮流に流されるだけで、目覚ましい成果はなく、無粋に終わってしまうのだ。

頂点において、どれだけの結果を残そうと、義務を果たしたにすぎない。

それすら理解しておらぬ、ひょうろく玉には反吐が出る。

政治家は、正当な精神を育めず、近所のオジサン・オバサン・ジイサン・バアサンのままである。

そのため、いつになっても世界各国は、真の黎明を迎える事無く、
繁栄・膠着・衰退を繰り返し、果ては消え去る命運なのだ。

絶頂において、何でも把握していて、何でも出来るだけで、適当な理由で姿を見せぬ存在を、
誰かが神だと言うのであれば、そんな無用の長物とはオサラバし、誠心誠意に邁進すべきである。

そんな、何でも把握していて、何でも出来るフリをする、偽政者のような存在とは、決別すべき時なのだ。

時折、誠心誠意な邁進を、神に縋る事で拒絶する、本末転倒で猪口才な、信仰者が見受けられる。

そして、ナチュラルプロセスにより、その報いを満遍なく受けるのだ。

究極において、信仰者だけに対し、都合の良き存在が神ならば、それは空想の産物にすぎない。

もとより、あらゆる生命に対し、都合の良き神が実存せぬから、この生き地獄が存在するのだ。

だからこそ、縋るべき象徴を、圧倒的な存在として、我等の祖先は求めた。

そして、建前・自己都合・利己主義による神々が、次々と生産された。

しかし、それが大きな間違いだった。




宗教は、政治と負けず劣らずの、悪循環の袋小路を形成し、冥府への魔道を教唆する、最悪たる災厄の一つとなった。

だが、そうなってしまうのは、灼然たる流れである。

残念なのは、人類の設計と環境を前提とすると、碌でもない神しか存在せぬ事だ。

あまつさえ、己達でやらねばならぬ事を、神風に託して誤魔化す者は、絶大な他力本願である、碌でもない横着者だ。

おまけに、宗教を信じた人々が、碌でもない事を繰り広げ、悪化させながら繰り返してきた。

結局、名立たる神々は、神へとなり下がった、出来損ないの先導者が生み出した、不適な創造の産物にすぎない。

それを決定づけるのは、各宗教における聖典が、時代における限界となる、概念と定義で形成され、
先を見越したような内容でも、人類の仕様と環境に基づく、原理・哲理・心理を根幹とした、
自然・偶然・必然を源流とする、当然となる流れにより、想像が可能な範疇だからだ。

要は、真に神がかり的な記述が、見受けられないのは勿論、
人間が宗教を作り出すのは、自然過程の一環なのだ。

最悪なのは、万人が受け入れる仕上がりに、それらが到達しておらず、陳腐な書物で終わっている事だ。

しかし、それすら当たり前の事である。

恥ずかしい事だが、私は中学生の頃より、腐りきった世界を覆そうと、聖書の形成を始めた。

聖書は二冊あり、『十三機神・十三使神』と『五大天衝・六大天臨』の題目である・・・。

そう、私も神へとなり下がり、過ちを繰り返そうとしていた。

程なく、それが絶大な間違いである事に気づき、方向を大幅に転換し、その編纂を続けている。

極大において、捏造となる神の威を借り、宗教的観念を利用し、人々を扇動するのは、下賤な犯行である。

真の神がいるならば、都合の良き存在を信じた者は当然とし、
不心得な宣教を実施した者は、もれなく粛清の対象となる。

そうでなくとも、何かをすれば報いを受ける、何もしなくとも報いを受けるのだ。

そうだ、誰かの報いが、万人へと降り注ぐのが、この空間の仕組みである。

それを、熱烈に強化する仕組みを、人類が形成してきたのは滑稽だ。

我々が、莫大な報いを受けるのは、真摯に事実・現実・真実・実質・本質を見極められず、
大した実態を把握せぬ状態で、都合ばかりを優先し、物事を進めるからだ。

厳密には、金銭のような、不変性・普遍性・不偏性の低い存在への、依存度が大きくなり、
その優先に躍起となり、人としての良き良心が育めず、不当な倫理・道徳・常識・正義に寝そべり、
冷静な判断による、聡明な行動は皆無で、一生懸命な考察による、賢明な決断が絶無となる状態だからだ。




我々は、上がゴミダメである限り、そのとばっちりの盾とされる。

連中は、下をゴミダメと決めているから、平然とその盾に利用するのだ。

そうでなければ、数多の深刻な問題は、未然に防がれていた。

あらゆる不始末の埋め合わせに、下の者が犠牲となるのは、上が不適格者である証拠である。

超絶絶頂・究極極大・臨界突破の問題は、人々に誠心誠意で傅き、
下から判断を仰ぐべき連中が、国民より遥かに優遇され、
実質的には上から、専制支配をしている事だ。

その状況で、連中が『国民の皆様のため』と吐き続ける限り、国民は莫大な矛盾に苛まれ続ける。

果ては、その派閥に関係なく、政治家を皆殺しにする事で、
スッキリせざるを得ぬ状態へと、大衆は追い込まれてしまう。

だが、連中の罪は曠然たる状態で、一族を皆殺しにしても、大衆の気を静めるには、世界紛糾において足りぬのだ。

性質が悪いのは、優遇されなければ、良き人材が来ないと、大した成果が無い状況で、駄々をこねる事である。

流されがちな人々は、過去を知らぬ者達は、醜悪で毒々しい連中は、それに同調して気に病む破目となる。

銀河掌握において、最初から不在である事を、何度も自分達で証明した先で、それを言ってしまえば、
己達は無知・無智・無恥であり、金の事しか考えていないと、証明している事と変わりはしない。

何より、横柄な事を言った報いが、組織全体に降りかかる事を考えれば、それは口にすべきではない。

さて、福島第一原発における人身事故は、何度目の証明となるだろう?

熱心すぎる、有権者と消費者の、堪忍袋の緒が切れるのは、もう時間の問題である。

気の毒なのは、連中が愚かである事は、変哲もない事であり、
怒れる大衆に抹殺されるのは、決まり切った事だからだ。

見本や手本は当然とし、解答すらない世界で、人間に出来る事は知れている。

だから、神すら不完全なのだ。

ただ、それだけだ。

野田さんが嫌われ者となり、小沢さんが対抗馬となり、鳩山さんが民主党を再編する事で、
原発問題の責任を有耶無耶とし、抗議活動を上手に利用出来れば、面倒が大きく軽減可能だ。

そこに、自民党の若手が吠え、毅然とした態度で挑み、自民党の非を認めつつ、
絶大なガス抜きを実施すれば、衆議院の総選挙に対し、お誂え向きの流れとなる。

政治家の方々には、より上等な手段を選択し、上手く乗り越えて欲しい。

確かに、結末が事前に決められた、つまらない政治劇には飽きたが、それしか出来ぬのが実態だ。

方々には、真に相応しい仕事がある。

それまでは、生き延びて頂きたいのが心情だ。

誰しも、おもちゃ箱の埃であり、箱庭の細菌である。

私は、その程度で人類を、終わらせたくはない。




使い捨ての政治家が、国民が把握しておらぬ情報を、あたかも周知の事実のように語り、
欧米で施行されている内容を掲げ、これらは当然の事だから、日本もそうすべきだと語る。

だが、その欧米が経済危機に瀕している以上、それらが目くらましである事は明白だ。

見極める力が欠損した人材は、優れたと見せかけた存在を後ろ盾とし、心理戦・撹乱戦・陽動戦を仕掛けてくる。

それらは、不当な情報を正当と、演出する戦術であり、品行方正で適宜な事を、実施する場合は不要である。

そうするのは、己に自信がないのは勿論、視聴している有権者に対し、
自身を過剰に見せつけたい、卑劣で矮小で劣悪な人間だからだ。

政治家は、大衆の目を幻惑させる事ばかり上手になり、
寝たふりにも磨きがかかり、挙句の果てには寝てしまう。

そう、己の不足を誤魔化すため、知らぬ存ぜぬを繰り返した果てに、本当にそうなってしまうのだ。

そもそも、末梢的な内容を掲げ、威厳を示し続ければ、それに気づいた国民に、いつかは永眠させられる。

何より、都合のいい状況を、作為的に形成して、目論見をぶつけるのは、不埒な者がする事だ。

それでは、多くのデモの主催者が、相手が自分達が一方的に決め付けた、
醜悪たる意図のもとで、間違った事を実施しているとし、
都合の良き批難をする事と大差ない。

だから、いつまでも同じ事を繰り返し、腐敗の坩堝でもがき続けるのだ。

そして、多くの活動家は、自分は他とは違うと豪語する。

それでは、開き直ってばかりの、腐った政治家と同じである。

批難される側と、批難する側が、同様の事を得意げに実施する。

我々は、そこまで愚かであってはなならない。

所詮、この世界はおもちゃ箱だ。

誰のと知れぬ、箱庭である。

人類は、おもちゃ箱の埃りだ。

そして、箱庭の細菌だ。

それらは、同じような箱の中で、何かをしているのか、
何もしていないのか、双方の所有者にすら、滅多に気にされる事はない。

気になった時に、埃は振り払われ、細菌は消毒される。

そうなるのは、不要な存在だからだ。

そもそも、ここが何処なのかすら、我々にはわからない。

人類が、何なのかすら、知り得ぬ状態だ。

全ては、至当により醸成された、概念と定義で包隠されている。

そうだ、特に肝心の部分が判らぬから、空想によって補完され、科学によって探究される。

だが、ここが現実の空間か、仮想の空間なのか、一人の少女のため、形成された空間なのか、未だに誰にもわからない。

結局、ホントウがわからないから、誤魔化しているだけだ。

どうしようもないのは、誤魔化しすぎた事である。




序盤の人類と世界は、多大な限界があるが、際限がない状態だった。

つまり、その段階の人類と世界には、時代による限界があったが、際限のない進化と変化を、果たす見通しがあった。

しかし、矛盾に満ちた概念と定義を、無鉄砲に獲得した結果、それがそのまま足枷となった。

そして、建前・自己都合・利己主義により、限定された概念と定義が多用された結果、
我々は視界を大きく奪われ、互いにそうだと決め込む事で、視界を奪い合う不始末を演じている。

それにより、己と第三者で形成した、極端な限界に蝕まれ、
自分の思い込みしか認めぬ者が、のさばる状況を生み出した。

特に、不健全な人間による、不完全なツクリモノに、群がる連中は最悪である。

一方的なモノの見方を絶対と信じ、オポテュニズムの塊となって、引き返せない段階まで到達し、
やっと間違いに気付き、比較的正しい事を言っていた、集団に泣きついてくるが、
提案された比較的正しい対応を拒絶し、何処までも沈む事を選択する。

そして、責任は何をしても、取れぬ次元へと膨れ上がり、
刑が執行されても、懲役や罰金で終わる事を喜び、
それで済むなら安いと、笑って逃げるのだ。

余りにも、お粗末な連中だ。

我々に、重要となるのは、実存と生存である。

それだけで、十分なのだ。

そうだ、解答が用意されていない世界で、探求により自分を惑わせ、すり減らしてはいけない。

例えば、自分の存在価値の探究が、己の首を絞める事すらある。

それに関する見解は、以下に記載している。

二年前の日記だが、修正した都合で、先の日付となっている。

☆ 自分の存在価値とは・・・。

現況は、ただでさえ何も判らぬのに、捏造された仮説や杜撰な解釈により、余計に不明瞭となっている。

現状のままでは、臭いものに蓋をしすぎた結果、読むべきでない空気に流された揚句、永遠に解答へと辿りつく事が出来ない。

何より、この偽装と虚偽に満ちた、不浄な幻想の末路たる世界で、己の限界を認めてはいけない。

認めていいのは、己が不完全な人間である事だ。

だからこそ、限界を踏破し自身を磨け。

限界にとらわれるな。

限界にとらわれぬ事を、己の限界と胸に刻め。

人類が成熟し、完璧になる事はないと知れ。

そして、何処までも究極に接近していく、より良き自分を掴み取れ。

妥協する事が、あってはならぬ。

だが、無理をしてはいけないよ。

我々は、己による世界の見方を変えるだけで、真の価値を見極め、獲得する事が可能となる。

諸賢には、連続する慟哭をつんざき、己の黎明を迎えて頂けると幸いだ。




現状まで、問題の解決が出来ぬ者達を、指摘する側の目線が間違っていた。

もとより、批判する能力すらなく、批難で頭打ちとなっている。

だから、屈託は打ち払われず、理不尽による涙が、増加の一途を辿っている。

そもそも、正しい目線を確立する事が、陰極の表裏一体の世界では、全てが紙一重となるため、不可能なのが実情だ。

そのため、現状が齎された。

何より、人間の仕様に適さない、高度奴隷化社会では、
固定観念を打ち破る、斬新な発想力ですら、大した成果は得られない。

あまつさえ、表層だけを見つめる者達が、問題を解決出来ると思い込み、事態を悪化させて逃げ惑っている。

そう、八方塞がりなのが実情だ。

私は、誰にでもなる事で、是正の方法を見極めて来たが、つもりにすぎぬのが真実だ。

だからこそ、不足を埋める努力を続けている。

所詮、それもつもりにすぎない。

だから、立ち止まる事が出来ぬ。

人類は、上から海面を見下げ、空を目指すのでなく、海中から海面を見上げ、
海中と海底を会得し、海中からどう飛び出すか、綿密な調整をする必要がある。

果ては、この空間をどのように飛び出して、どう全てを解き明かすかを、見極めねばならない。

真の楽園があるならば、人類が黎明を迎えるため、一つになるのがその始まりで、
与えられた最大の難題を、解き明かした先に広がる世界が、それに相当する存在となる。

結局、楽園を築くのも人間だ。

全ては、人の力である。

人よ、他者には謙虚であれ。

己には、傲慢であれ。

そして、政治家には厳格であれ。

神を創造したのは人間だ。

楽園を創造するのも人間だ。

それが、限界に怯えて何とする?

そうだ、超越してこその人である。




では、題目の話を始めよう。

先ず、当方が領土に関する問題を、調整可能な立場である場合だ。

私は、領土問題を材料とし、近隣諸国との歩み寄りを実現する。

最大の期待を抱くのは、広大な大地を有するロシアである。

北海道を、故郷の一つとする当方は、国後島と歯舞群島を、返還して頂きたい情感が強い。

そして、二島の完全返還を求め、経済水域に対する譲歩と、択捉島と色丹島の完全譲渡を引き換えに、
緊急時において全日本人が、入植可能な土地の確保と、その整備に必要な協力を、ロシア側に要望する。

ロシアに確保した土地には、独自の経済システムを有する、生産ラインを共同で確立する。

それと並行し、肥沃な資源の確保を実施する。

その資源は、福島第一原発事故の、収束の見通しが経った時点で、福島県の埋め立てに利用する。

要は、汚染された旧福島県の上に、新福島県を築く土台となる。

それにより、より完全な放射線の封じ込めを実施する。

現状まで、北方四島の返還は、実施されぬ事を前提とし、両国が芝居を演じて来た。

そうだ、北朝鮮による拉致問題と、類似した理由によって、本質的に解決する気がない。

そろそろ、双方の問題に対し、それを終わらせるべきだ。

また、ロシアの沿海地方に、自衛隊の駐屯を認めて頂く。

さらに、一定の戦力をロシアから拝借する。

これにより、災害対処に重点を置きつつ、脅威に対する有効な布陣を形成する。

我々が、必要とするのは安寧である。

それに対し、超大国との不要な壁は、徹底的に取り払う必要がある。

ロシアにとって、北方領土の必需性が、軍事面で低下しているとは言え、
政治背景や住民問題を考慮すると、十二分の譲歩をするのが懸命だ。

それは、大きな憂いを残さぬためだ。

我々には、辛酸を舐め続ける、永遠の平行線は不要である。

欠かせぬのは、希望にあふれた未来なのだ。

だからこそ、問題を誤魔化したままではいけない。

当時、この日記を記載した時点では、他国との調整に関して記載したが、
より詳細な日記を編纂するため、ここまでとさせて頂く。

ロシアとの調整に関しても、より明瞭に記載する所存だ。




※ 参考日記

☆ 私の考察と父の言葉・・・。(改良版)

☆ 抗議活動への参加に、意義があるのか?(改良版)

☆ 回顧により見える事柄・・・。(改良版)

☆ 今、必要なのは『反原発』や『脱原発』ではない。(改良版)

☆ 現状への見解と、私の想い・・・。(改良版)

☆ 日本政府は、最大限に取り組むべき事を、未熟な策謀を優先するため放棄した。(改良版)

☆ 現状は、特殊な状況ではない。私が求める、思想と主義・・・。(改良版)

☆ 渋谷放火未遂と、悪化の一途を辿る、犯罪を見つめての考察・・・。(改良版)

☆ フジテレビの問題に対する、当方の見解・・・。(改良版)

☆ 私が抱える想い・・・。(改良版)

☆ 裂罅の考察・・・。(改良版)

☆ 『全てを失う前に・・・。』『「原発推進用」世論対策マニュアル 』(改良版)

☆ 危険論者と安全論者を見つめ、その先で思う事・・・。(改良版)