2011年09月20日 00:46 今、必要なのは『反原発』や『脱原発』ではない。(改良版)


我々は、先駆者が考案した概念に、内包される形で定義を追加し、
その定義を分岐・発展させる事で、概念の継承を続けている。

簡易に示すと、インターネットが概念となり、オンラインゲームが定義となる。

また、オンラインゲームは、ゲームという概念にも内包されている。

さらに、概念と定義を格納する、通念が存在する。

そして、オンラインゲームには、様々なメーカー・ジャンル・タイトルがある。

詳細なカテゴライズは、各々に委ねられるが、刮目すべき階層の構造は、万人に対し共通となる。

絶大な成功を獲得するには、階層構造の上位となる存在を、探求により導き出す必要がある。

だが、既に九割方の概念は出揃い、その内側で右往左往するので精一杯だ。

何より、新たな概念の創造は、自体による大きな成功の獲得と、無数に追加される定義に対し、
数多の成功を生み出す事へと繋がるが、その形成は非常に至難であり、
それが金銭的な利益に、直結するとは限らない。

例えば、概念をゲーム機とすると、ソフトと呼ばれる定義の成功と共に、それは普及していく。

しかし、同じゲーム機でも、ハードの仕様は勿論、ソフトの不足により、殆ど普及する事無く、消えてしまうのだ。

そう、メインストリームとなる概念の創造は、如何にディファクトスタンダードとなるかがテーマとなる。

現状は、数多のエポックメーキングな存在が、既に当然の存在と定着しており、
センセーショナルなストラクチャーの考案も、大きなシンボライズにはならない。

そもそも、コンセプトの営利性は、そう易々と見極められるモノではない。

超絶絶頂において、成功した存在に、肖ろうとするのが、人間の執念である。

そのため、多大な収益を見込める、既存の概念と定義を組み合わせ、
人々は何かを生み出そうと、試行錯誤を続けている。

中には、飽和状態である事は勿論、利益を上げる事に躍起となり、
よからぬ概念や定義を組み合わせ、提供する者が存在する。

例として、マルチ商法や振り込め詐欺が挙げられる。

それと、『食い逃げ』は『食べる』と『逃げる』の、二つの概念の組み合わせだ。

残念な事は、大概の場合において、それらが拒絶される事無く、溶け込んでしまう事だ。

それにより、新たな問題と不具合が、社会と人類に刻まれる。

類似した内容を、以下に記載しているが、そうなるのは必然だ。

☆ 現状への見解と、私の想い・・・。(改良版)




我々は、スケーラビリティが有限である、粗造された粗末なプラットホームで、
己の未熟と失敗を否認し、限りある万物を削りながら、無闇矢鱈な迷走を続けている。

人類が、その莫大な間違いに気付き、引き返そうと決心する頃には、
それまでに歩んで来た道は、甚大な暴挙により崩れ去り、
前進しようにも、前途は腐れ果てている。

そう、戻る事は絶無であり、進む事すら困難となる。

即ち、陰極である表裏一体の世界では、全てが紙一重の状態であり、所属する知的生命体は、
己達の過失で形成した、悪循環の袋小路に弄ばれ、あらゆる存在を犠牲とし、
過ぎ去る時の中でいつの間にか、滅び去るのが原理である。

そもそも、あらゆるスケールで共有が可能となる、資源と資産には限界があり、
皆が利潤を追求すれば、それらは擦り減る一方なのだ。

はたまた、我慢をしようにも、それには限度がある。

既に、多くの人々が、我慢を強要され、奴隷のような状況で、自分達を誤魔化しながら生きている。

おまけに、肝心の政治家は、面倒な事から逃げ続けた挙句に、
手持無沙汰となり、どうでもいい事に、莫大な金を垂れ流している。

連中は、己と第三者の未熟な策謀を、あたかも素晴らしい事かのように訴えるが、
それを実現したとて、現実は破滅に向かって、まっしぐらのままである。

あまつさえ、それが破滅を加速させる要因となり、始末が悪い状況だ。

さらには、全ての金融政策は、一時凌ぎにしかならず、万人が目覚ましい恩恵を、受けられる道理がない。

それどころか、国民の自殺を加速させる、新たな問題と不具合の元凶となる。

もとより、全ては偽りの価値であり、常に化けの皮が剥がされる事に、怯えながら生きねばならぬのだ。

人類は地上に、煉獄ならまだしも、地獄を築いてきた状態だ。

厳密には、人類は最初から、道を誤っていた。

過誤したまま、自爆装置諸共、膨れ上がったのが現状である。

究極極大において、『この世界』と『この人類』の組み合わせでは、そうなるのは至当だ。

この世界では、人間の暴走により、あまねく生命が、惨たらしい死を与えられる。

また、大戦争や大災害では、大勢の人々が惨殺される。

さらに、それらを含めあらゆるを、未然に防げなかった報いが、万人に対し降り注ぐのだ。

それは、自然の摂理ではない。

破滅の原理である。

その、原理を克服する術は、通念である人類の中に眠っている。

全てが手遅れとなる前に、それを覚醒させる必要がある。

私は、その覚醒の発端となる。

誰しも、夢を抱いて逝ける世界にこそ、終わりのない明日が来るのだ。

そうだ、長い時をかけ築いた文明が、一瞬で滅び去る状況と決別し、温もりに満ちた世界を、引き寄せてこそ人である。




現状の、膠着による安寧は、もう暫くは続くだろう。

だが、時間が経過した先で、削れる存在が危うい者から悲鳴を上げ、誰かに助けて貰う事から始まり、
それが望めぬとなれば反旗を翻し、己を救わぬ存在を一心不乱に批難し、果ては武力による強奪に夢中となる。

懸念すべきは、破滅の原理に取り憑かれた勢力が、大戦力により外部から襲来する事だ。

そもそも、知的生命体の仕様は勿論、それを取り巻く環境により、
形成可能な概念には限界があり、内包可能な定義にも限度がある。

そう、人類はその範疇における創造を、実施してきたにすぎない。

そして、創造の価値を捏造されてきた。

価値が捏造となるのは、極めて限定された状況において、それも極一部の存在にしか、通用せぬ次元だからだ。

あまつさえ、我々が所属している、破滅の原理に蝕まれた世界では、
次の瞬間にその価値すら消失しても、不思議ではない状態だ。

そう、負の連鎖によって、全てが失われてしまえば、全ては茶番と化してしまう。

それは、悲しすぎる。

そうはさせぬため、世界を陽極とする事で、人類が生み出した財産に、
確固たる不偏性・不変性・普遍性を付与し、永遠に継承を続けたいのだ。

何より、人類そのものに、次元制覇の不偏性・不変性・普遍性の付与を渇望している。

私は、そのために邁進する。

しかし、何時までも陰極から抜け出せず、己が母性と同胞すら食潰し、宇宙へと進出した知的生命体がいる場合、
フォーミングの手間を省くため、我々が美味しそうに仕上がった段階で、襲来する可能性を否定する事は出来ない。

恐ろしいのは、存在が囁かれている、地球外生命体の仕様を精査すると、
全てが破滅の原理に蝕まれた、バリバリの敵性宇宙人である。

それに対し、人類は無防備だ。

また、自分達とは異なる、あらゆる生存者から、全てを収奪する勢力も、存在しないとは限らない。

さらに、それに対抗する勢力も、それが存在するとなれば、存在を否定する事が皆無となる。

それらは、我々が導き出せる、原理と哲理を前提とすれば、不自然な存在ではないのだ。

我々は、それを示唆する内容を、子供の頃から様々な媒体で見つめて来た。

それらは、必然によって齎された、具現化された心理である。

だからこそ、全人類は結束し、世界の極性を変更しつつ、災厄に備える必要がある。

それが実現出来れば、どのような存在と対峙し、打ち負かされようとも、
誇りを胸に抱いたまま、人として逝く事が出来るのだ。

臨界突破において、その志を抱き、邁進した人類が、滅び去る事はない。




当方は、己が夢境を根底とし、根源論・根幹論を前提に見極めた、哲理と原理を原則に加え、
既存の仮説は当然とし、独自の仮説を散りばめた、物語の形成を続けてきた。

まあ、これは多くの人々が、実施している事である。

私は、15年程それを続けているが、まだまだ可愛い鼠ちゃんだ。

今後、それらに関する資料を、具現化の進捗に合わせ公開する。

その構築に伴い、これから成立するであろう、流れ次第では既に成立していた、多数の概念・定義を導き出す事が出来た。

それらは、物語に組み込む形で紹介する。

先に、『陰極である表裏一体の世界では、全てが紙一重の状態であり、所属する知的生命体は、己達が生み出した、
悪循環の袋小路に弄ばれ、あらゆる存在を犠牲とし、いつかは滅び去るのが原理である。』と記載した。

この原理を理解するだけでも、日本政府・東京電力・世界各国が、
どのような事を作為・無作為に実施するか、実施してきたのか、その円滑な予測が可能となる。

また、己と第三者の建前・自己都合・利己主義に、人間が弄ばれている事を把握するだけで、
時事の流れを効率的に見極め、相手を翻弄する事も容易くなる。

さらに、冒頭に記載した、概念と定義を意識し、想像力を働かせれば、より具体的な創造が促される。

そして、陰極である表裏一体の世界から、抜け出す事は当然とし、
己と第三者の建前・自己都合・利己主義からの脱却を念頭に置けば、
今まで思いつかなかった、打開の方法を手繰り寄せる事が出来るのだ。

少々、タイトルと異なる話をしてしまった。

これより、本来の内容となる。




我々が、旅団で40km進軍する気なのか、師団で180km進撃する気なのか、
軍団で数百Km先の敵本陣まで、侵略する気なのかによって、
迎え撃つ相手の布陣が、大きく変わってくる。

敵は、多様な索敵手段で、我々の動きを察知し、柔軟に対応してくるのだ。

現状の『反原発』や『脱原発』の戦力では、敵の本丸を狙う事は、とても困難な事である。

何より、司令部に敵の鼠が、大多数潜んでいる状態だ。

質が悪いのは、本人がそれを、自覚していない場合がある事だ。

そもそも、原発推進に必要となる、批判者・批難者を育て、
過酷事故が発生した折には、最悪でもその者達しか、
メディアに露出せぬよう、調整がされている。

それは、本当に知られたくない事を、知ってしまっている人材が、ピックアップされぬためだ。

あまつさえ、自己の主張をバラ撒くだけの、オーソドックスなデモが行われるよう、
行動派の人材を、それに固定する事で、別の動きに転じられる事がないよう、
予てから用意していた、活動家やタレントを、政府が投入している。

要は、プロトタイプな活動意識に染まった、有限的な人材を上層に配置する事で、活動全体に限界を形成するのだ。

ちなみに、その方々に関しても、正しい事をするために、
友人や知人に後押しをされたと、思い込んでいる場合がある。

最悪なのは、その活動に身を投じると、外部からどう見えるのか、
正当な評価が出来なくなる上に、部外者を差別的な意識で見るようになる。

まあ、周囲が同じ行動を行い、互いに共感している以上、そう陥るのは当然だ。

そう、政治集団・武装集団・殺人集団と同じように、自分達が正しいと思い込み、自分を正しいと信じ込むのだ。

そのため、一方的な目線に陥り、非常に有限的な活動にすら、効果があると決めつけてしまう。

第三者が、その姿を見た場合、拒絶するのは当たり前だ。

その状態で、何かを変えられたとて、所詮は上澄みだけである。

政府が念を押す理由は、デモによるガス抜きと、危険分子の陽動を、効率的に実施するためだ。




我々は、形成された社会によって、一定の催眠状態にある。

例えば、我々が抱く幸せな家庭像なんぞ、産業界が販促のため、刷り込んで来た虚像にすぎない。

デモに参加した人々は、その催眠が解ける代わりに、独自の催眠状態へと陥る。

その姿は、その催眠状態に無い人々は当然とし、興味がない方々には、酷く滑稽に見えるのだ。

その愚の骨頂は、デモに参加していない人々を、何もしていない連中と罵り、
デモに対する批判や批難をされると、何もしていない連中に、
そんな事は言われたくないと、卑屈に走る事だ。

そう、宗教団体は勿論、様々な枠組と同じように、自己を擁護し他者を拒絶する。

もとより、気軽に参加可能な、退化したデモに参加して、それはないだろう。

だからこそ、その辺りを分析し、『現実的で同調を得られる目標』を掲げ、
スマートな活動を実施し、徐々に攻勢を強める必要がある。

何より、いくら戦力を増強しようと、強行軍では有限的な作戦しか、展開が出来ぬのだ。

そもそも、北斗の拳に出てくる、モヒカンマッチョの行進では、本質的に必要となる人々を、味方につける事は出来ない。

そのため、シュウやトキのように、人々を優しく導くような、全てを守りたい気持ちを、柔らかく伝えなければならない。

現状は、『拳王様万歳!』や『聖帝サウザーに栄光あれ!』と叫びながら、
モヒカンマッチョの軍団が、戯れているようにしか見えない。

それに、目的を明確に掲げてしまうと、敵がハリネズミのように、中枢防御の体勢を整えてしまう。

ただでさえ、相手は『原発推進』でも『脱原発』でも、己の懐が潤う人材の巣窟である。

おまけに、その駒が友軍に潜んでいる状態だ。

自己犯罪合法化独裁集団『国会』は、『なんと!誤魔化し拳』や『なんと!嘘吐き拳』は勿論、
『なんと!隠蔽拳』や『なんと!改竄拳』の猛者達を、無数に従えている。

そのような相手に、並みの方法で挑んでしまえば、数十万人集まろうと、利用されていつの間にか終わってしまう。

そうだ、連中に完全な暴徒化すら扇動され、『原発推進』と『脱原発』の、双方すら実施するための、道具にされてしまうのだ。

だが、油断をさせておけば、千歳一隅の可能性が廻って来る。

何をおいても、『反原発』や『脱原発』を志す方々には、統率のとれた活動をして欲しい。

そうでなければ、諸所に御迷惑をかけてしまう。

それが、新たな反発を生む事を、忘却してはいけない。