2011年09月23日 22:30 抗議活動への参加に、意義があるのか?(改良版)


人類は、頻発させる醜態により、根拠の損失を続けている。

そもそも、必須となる根拠がないため、それを適当に見繕ってきたにすぎない。

そう、もとより根拠はなかったのだ。

所詮、人間がする事だ。

だから、こうなった。

根拠なき人類の傲慢を、福島第一原発が証明したのは、我々の最大となる汚点である。

あまつさえ、多くの当事者は、根拠の喪失は勿論、発端からの不在が裏付けられても、
平然とした態度は当然とし、酷くふてぶてしい態度で、それを認めようともしない。

開始早々からの、捏造たる根拠の損失だけならまだしも、信用と信頼を失うのは不手際だ。

連中の、跳梁跋扈を許す事も、日本人の汚点である。

まあ、原子力発電事業に関しては、導入が現実的ではないと、
のちのち推進派となる関係者の多くが、否定的な意見を出していた。

否定的な意見が山積したのは、ノウハウがほぼ無い状態で、物騒な存在の導入を憂慮したからだ。

実際は、余りにも面倒な存在で、それによる責任を拒絶したのだ。

しかし、導入の方向が確定した頃より、あらゆる根拠の捏造合戦が始まり、己達のスタンスまで書き換えてしまった。

そして、最悪の事態を想定した場合、導入が到底において不可能な存在は、表面上は安全な存在と化した。

最悪なのは、第三国の捏造した根拠に、異常な尾鰭を付けた上に、
根掘り葉掘り設定を調整し、未だにそれらに踊らされている事だ。

そうだ、誰もが踊らされている。

そのため、これからも惨劇は繰り返される。




当事者は、欠かせぬ根拠を消失し、問題の解決への糸口を失った。

それでも続けるというのであれば、その報いが万人へと降り注ぐ。

それは、福島第一原発のようにである。

そして、未然に防げなかった、あらゆる災厄の末路のようにだ・・・。

何より、前提条件を最下限へと絞り、採用する仮説を調整し、設定を追加・削減する事で、安全・安心を訴えるのは滑稽だ。

まして、捏造や錯誤を指摘されている、仮説の上塗りで形成された仮説や、そのものを採用していた。

その追求に対し、言いだしたらキリがないとの風潮を利用し、己の無能を誤魔化した連中には虫唾が走る。

末路、正確・確実・絶対を語れぬ専門家が、己の分野すら空漠たる状態で、他の要因は完全に除外し、
安全・安心の風説を流布し、それを参考に現実・事実・真実・実質・本質を見極められぬ、
政治家や官僚が嘘を垂れ流し、今までの繰り返しとなる、甚大な失態を続けている。

歯痒いのは、忠告を再三に渡り実施しても、連中は都合の良き方に縋り、
手遅れになった段階で、報告により失態に気づき、どうすればいいかを尋ねてくる。

それに対し、品行方正な謝罪や、方向の転換を提案すると、都合が悪い内容は拒絶される。

その繰り返しにより、正当性の高い人材は、そこから離れて行った。

果てに、官僚となっても、政治家となっても、黒幕となっても、何も変えられぬ実態は、その人材を歪めてしまった。

結局、内側に居れば腐れる一方で、連中と同じ有象無象で終わってしまう。

それを変えるには、外部に勢力を築き、対抗するのが手段の一つだ。

問題は、内側で是正を望んだ人々が、失意の果てに歪んでしまい、
今度はそのままの状態で、外側からそれに臨もうとしている事である。

それは、新たな破滅の入り口となる。




題目の、『抗議活動への参加に、意義があるのか?』だが、責める側と責められる側が、
根拠がない状態である限り、双方が解決の術を持たぬため、全てが無意味である。

そう、相手に解決が叶わぬ事に対し、解決の手段を持たぬ勢力が吠えようと、そこには意味も価値もない。

そして、全ては有耶無耶に進行し、責められる側の思う壺となる。

だからと言って、大義を掲げる根拠なき者達が、強行的な手段に及べば、大衆からの批難の対象となる。

それは、責める側と責められる側の、双方に言える事だが、多数派である側には、大した深手にはならない。

原子力発電事業に対する抗議活動だが、人間が係わっている限り、安全・安心と訴えられる根拠は絶無だ。

そのため、ハナからないモノを求めては、ないものねだりで終わってしまう。

もとより存在せぬ、安全・安心の欠如を前提に、原発の撤去を求めても、
第六感が働かない人間の、空気を読めぬ連中の、無様な戯言とあしらわれる。

そのように感じ、受け流すのは、抗議活動に参加していない人々だ。

そうはならぬため、有限的で容易な抗議活動ではなく、交渉活動にシフトすべきである。

まあ、責任の所在の明確化だけを求め、抗議活動を実施すれば、もう少し賛同を得られるだろう。

相手は、個人では何も出来ぬ存在が集団となり、己達が形成した悪循環の袋小路で、あっぷあっぷの状態だ。

おまけに、自然エネルギーでさえ、破滅の呼び水とする、甲斐性のないガラクタの集まりだ。

それに対し、永遠に解決が不可能となる内容を、一方的にぶつけてもしょうがない。

それで、何かを変えられても、上澄みだけで終わってしまう。

変えたと思った上澄みは、次の瞬間には元通りだ。




確かに、現行の原発は、可能な限り迅速に、地上から淘汰する必要がある。

さもなければ、人類の安寧が、大幅に妨げられるからだ。

日本ですら、この有様である。

第三国が、同じ末路を辿るのは、時間の問題なのだ。

故に、子々孫々へと、憂いを継承せぬため、大きな決断が必要だ。

融点超越において、過ちと決別しなければ、未来との距離が縮まらぬ。

だが、政財界と消費者と有権者と原子力発電事業の結びつきは深い。

我々が、一端を担っている、悪臭漂う利害関係が、真の発展への足枷となっている。

包括的な是正の一環となる滅原発は、人類にとっての本懐だ。

だが、脱原発や反原発の抗議活動では、何も変えられずに終わってしまう。

そもそも、日本政府・電力会社・大手報道・総合商社(原子炉メーカー)・関連企業・関連団体・消費者・有権者が、
極大の城塞を築いている以上、足下でドンパチをやっても、己達が一部となる巨人に、軽く振り払われてしまう。

成果を上げるには、敵が絶大である事を認識し、己の不足を認める事から始めなければならない。

そして、『現実的で同調が得られる目的・目標』を前提に、より多くを味方とする事で、
歩調を合わせる事が出来れば、最終的な目的・目標を実現する、風潮の固定化が可能となる。

反発を最小に抑え、方向性を変更し定着させる。

全ては、そこからが本番だ。

それに対し、現状の抗議活動は、痛々しい次元である。

活動の実施には、冷静な判断による、聡明な行動が不可欠だ。

活動が、人としての良き良心を根底とした、倫理・道徳・常識・正義を基盤とし、
一生懸命な考察による、聡明な決断をした結果である事を、全体から滲ませるべきだ。

そのため、海外で実施されている、各国特有の抗議活動は当然とし、
何も変えられぬ従来の抗議活動ではなく、新たなスタイルを確立する必要がある。

即ち、それは抗議活動を超えた、新たな活動となる。

何より、それがされぬよう、歯止めをかけている連中に、注意を払わなければならない。




忘れてはならぬのは、電気が使えている実情だ。

それを、考慮した活動でなければ、都合のいい事を並べるだけの、葬り去りたいあの子達と、同じ事に耽る破目となる。

改善すべきは、顧客に誠意を尽くす、社員や下請けを蔑とし、
おまけに顧客を被曝させても、品行方正な謝罪をせぬ、電力会社の体質だ。

そして、有権者を消費装置程度にしか見ない、日本政府の性質だ。

連中は、謝罪をしたかと思えば、それを台無しとする行為を繰り返している。

お尻をデコトラでペンペンして、顎が外れる程度のおしゃぶりを銜えさせ、
スパイクのついた鋼鉄製のガラガラであやし、何もかも入れ替えてしまうのか、
当方が実施する方法で、徐々に矯正してやらねば、悲劇は何度でも繰り返される。

それに、虚偽の情報を散々垂れ流した上に、あたかも自分達も被害者のようなそぶりを見せ、
あまつさえ風評被害と、大衆を全力で罵った連中に、謝罪を求めなくてはならない。

実害がある状況下で、何の根拠もなく、国民を翻弄したのは大罪だ。

私が、現状の抗議活動と、同規模の組織を形成している場合、
様々な事柄で攻めぬ代償として、大手報道に一定の譲歩を求める。

その代わり、テレビの正しい使い方を享受し、それ以上のメリットを提供する。

抗議活動を企画し、参加する事は悪くない。

だが、実施する方法や、訴える内容に関しては、参加する前の人々(参加していない人々)を、考慮しなければならない。

それ以上に、同調してくれた人々が、後で恥ずかしくなる思いをせぬよう、運営側は常に調整する義務がある。

真に是正を望むのであれば、核心たる神髄を見つめ、見極めなければならない。

そうでなければ、周囲は当然とし、己すら救えない。

それで済めばいいが、周囲と己を犠牲にしては、深みに嵌り抜け出せなくなる。

そうなる前に、己を救わねばならない。




以下は当方が編纂した、本質を見極める上で、若干なりとも参考となる日記だ。

所詮は、無数にある見解の、数えられる程度にすぎない。

だから、諸君は超えて行け。

我々は、各々が他の追随を許さぬ、唯一無二の存在である。

先ずは、それを掴み取るのだ。




☆ 回顧により見える事柄・・・。(改良版)

☆ 今、必要なのは『反原発』や『脱原発』ではない。(改良版)

☆ 現状への見解と、私の想い・・・。(改良版)

☆ 日本政府は、最大限に取り組むべき事を、未熟な策謀を優先するため放棄した。(改良版)

☆ 現状は、特殊な状況ではない。私が求める、思想と主義・・・。(改良版)

☆ 渋谷放火未遂と、悪化の一途を辿る、犯罪を見つめての考察・・・。(改良版)

☆ 私が抱える想い・・・。(改良版)

☆ 裂罅の考察・・・。(改良版)

☆ 『全てを失う前に・・・。』『「原発推進用」世論対策マニュアル 』(改良版)