2011年09月14日 02:49
現状は、特殊な状況ではない。私が求める、思想と主義・・・。(改良版)
日本を強襲する災厄に、一つとして不思議な存在はない。
それは、必然的な原理によって齎された、至極当然の事だからだ。
東日本大震災は、30年以内に99%と、想定される範囲内で発生した。
福島第一原発における人身事故だが、チェルノブイリ級の事故は、
その発生から30年以内に『ほぼ確実』と、想定される範囲内で発生した。
ちなみに、その事故が発生した同年に、同規模の事故が発生する確率は高く、
事故の規模が小さくなるほど、確率は『確実』まで高くなる。
極大に情けない事は、チェルノブイリに続き、激震に見舞われるのは、日本が最有力とされて来た事だ。
案の定、それは起きてしまった。
愚の骨頂は、事故の発生率を極限まで高め、事故の対応力を限界まで放棄し、
災厄を助長する御膳立てだけは、微塵も抜かりがなかった事である。
そもそも、東日本大震災は、2011年度の発生を、多様な研究データにより、国内・国外の組織に確実視されていた。
その情報を元に、事前に避難をする者もいれば、預言者のように振る舞う者もいた。
そして、日本政府が作為的に切り捨てた、想定内における最大級の地震が発生し、
予測の通り福島第一原発が、破局を迎えたのだ。
全ては予見されていた事であり、なんら特殊な状況ではない。
惨状を、あたかも特殊な事と見せかけるのは、人間の建前・自己都合・利己主義だ。
己と第三者による、建前・自己都合・利己主義の下僕となり、当然の事を想定せぬ、4流の人間が跳梁跋扈し、
当然の事すら認めない、5流の人間が不適材・不適所で、公費天国に酔いしれ、
それを明確に証明する末路を辿る、災害や事故が発生した。
ただ、それだけだ。
その、本質・実質を責められる事を恐れ、災厄を大げさに扱い、煙に巻こうとする。
あまつさえ、事前に察知していた事を隠匿するため、税金で陰謀論が流布される始末だ。
大衆に傅き、邪まな策謀に、取り憑かれてはならぬ者達が、誰よりもそれを愛し、醜態を演じている。
連中は、己の建前・自己都合・利己主義に蝕まれ、第三者の建前・自己都合・利己主義に束縛された奴隷である。
それでは、潮流が変わる事はない。
それは、手遅れとなるまで、何もしないからだ。
手遅れとなり、何かを実施しようとも、それまでの空白が価値を消失させ、
手段を過誤しているせいで、新たな問題を引き起こす場合すらある。
結局、究極の指示待ち人間が、個人・集団として、何をすべきかを見極められず、不貞腐れて並んでいるだけだ。
そして、己達の無能の不始末を、全力で国民・顧客へと転嫁している。
猥褻の極みは、当事者としての責任を誤魔化し、あたかも第三者のように振る舞い、大衆を翻弄して失敗を繰り返す事だ。
宗教は、軽蔑すべき権力者による、悪循環の袋小路から、人々を解放せんがため、必然的な論理により形成された。
そう、経典は世を憂えた者が、新たな主義や思想を掲げ、
独立した勢力を形成する事で、時代を変えんがために編纂されたのだ。
そのため、それは当然の存在であり、そこらへんの参考書と大差はない。
だが、それにすら建前・自己都合・利己主義が介在している。
確かに、諭される方向性により、因果応報の報いが緩和されるが、
独自の坩堝へと必ず陥り、妙な袋小路から抜け出せなくなる。
それにより、宗教的な主義や思想を掲げ、人々を手繰り寄せた者達は、潮流を変える事が叶わず、同じ事を繰り返している。
それは、宗教・宗派の違いで、終わる事無く続いている、偽聖者の乱闘を見つめれば一目瞭然だ。
何より、世界と歴史を見つめれば、確固たる事実である。
最悪なのは、それを己に良きように解釈し、下賤な凶行を正当化する連中だ。
そもそも、身勝手な大人に、微笑む神は皆無だ。
だから、どれだけの事をしても、何も変えられず、惨めに死んで行く。
結局、あらゆる宗教団体が、あらゆる政治組織が、陰極での表裏一体の存在にすぎない。
一方は神を掲げ、一方は国を掲げている。
その無様は、原発推進を掲げ、脱原発を掲げ、増税を掲げ、反増税を掲げ、
互いを批難するだけで、批判の方法が導き出せず、歩み寄る事すら出来ず、
作為的茶番と必然的茶番で、連綿と過ちを繰り返す、愚かな者と大同小異だ。
ここ数十年で、宗教団体を立ち上げた者達は、哀れで悲しき人間の群れである。
既に、無数の先駆者・数多の後進者が、是正したいあの子達と、同じ過ちを繰り返している。
最初から、宗教や政治では、まして融合しようとも、流れを変えられぬのが哲理なのだ。
そもそも、それらは有耶無耶に入り乱れ、とんでもない失態を演じて来た。
例え、その限界を見極め、新たな経典を錬成しようとも、
経文や聖書の類似品が、出来た時点からと、同じ流れを辿るのみなのだ。
超絶絶頂・究極極大・臨界突破において、その程度の存在に陶酔し、業を背負うならば本末転倒だ。
もし、信仰する者だけが、救われると訴えるならば、それを信じた者達が、救われる事は絶無である。
そのように信じた事に対する報いが、必ず降り注ぐからだ。
そうでなくとも、報いは必ず降り注ぐ。
万人を救う神を奉り、どれだけ清く生きようと、あらん限りそれは堕ちてくる。
何故ならば、本質を見極めた是正が、実現されぬ以上、可能な限りの過ちを、世界中の人々が繰り広げ、
その周囲は当然とし、間接的に把握した人々が、それを見過ごした挙句に、全ての報いが降り注ぐからだ。
今回の一連では、五大宗教の信者は当然とし、多くの系列宗派の人々が、津波で海へと流されて亡くなった。
そして、あらゆる宗教・宗派の人々が、莫大な被曝に晒されて、未だに軽くあしらわれている。
理不尽な涙を極限まで相殺する息吹が、宗教や政治と異なる手段を根底とし、
全世界を吹き抜けぬ限り、数日後に人類の大半が死滅しても、不自然ではないのが現在だ。
福島第一原発事故を、人としての良き良心を根幹とする、品行方正な倫理・道徳・常識・正義を振り翳し、
冷静な判断による、聡明な行動は勿論、一生懸命な考察による、賢明な決断を心掛ける者が見つめれば、
己を含めた人間と呼ばれる存在は確実とし、人間によって生み出された存在が、不完全だと痛感する。
そう、造る者の未熟さにより、不完全な存在が構築され、扱う者の未熟さにより、不完全な存在が破綻する。
そして、監視する者の未熟さにより、様々な問題が改善されず、事態は最悪の末路を辿るのだ。
不完全を十分に、自覚せぬ者達によって形成された、宗教や政治や思想や主義は、完膚なきまでに不完全である。
我々が、潮流を変える事が可能となるのは、それを真摯に認めてからだ。
さもなければ、宗教や政治や思想や主義は当然とし、あらゆる存在によって形成された、
最大級の袋小路から脱却出来ず、過ちの果てに消えてしまう。
我々が人間である限り、完全は常に先にある。
それは、仕様に基づく摂理だ。
だからこそ、人類は限界に束縛されずに、発展を望む事が可能なのだ。
現状は、それを完全に見失い、人類で築き上げた壁にぶつかっている。
世界中の誰もが、自分から派生する存在に、正当な方向性で、己より良き人となるよう尽くしていれば、
はたまたそうなるよう、作為的・必然的に促す社会であれば、全ては大きく見違えていただろう。
現状は、どちらも困難な状態だ。
そのため、繰り返しではない手段による、是正のアプローチが必須である。
私は、『共栄思想』による『恒久主義』と、正当性を追求した『透徹学問』による、人類の共存が有効だと考究する。
既存の思想・主義・学問では、地獄に向かってまっしぐらだ。
『共栄思想』は、人類で共通の財産を築くと共に、互いの固有となる財産の価値を、相互に向上させる思考である。
『恒久主義』は、人類の永続を条件とし、社会の洗練を続ける原則である。
『透徹学問』は、正当に事実・現実・真実・本質・実質を見極める事を前提とし、
幅広いカリキュラムによって、各々を他の追随を許さぬ、唯一無二の存在へ育て上げる学術である。
より詳細な情報は、今後の日記で紹介する。
私は、己が抱く思想と主義が、この世に根付かなくとも良いと考察する。
所詮は、不完全な人間の戯言である。
ただ願うのは、人々が幸せである事だ。
このままでは、誰かが作り出した箱の中で、全人類が絶えてしまう。
私は、それを拒絶する。