2011年09月04日 03:15 フジテレビの問題に対する、当方の見解・・・。(改良版)


フジテレビの問題だが、責める側の精査能力の乏しさは当然とし、
責められる側の対応力の低さに、深い憤りを感じてしまう。

業界の衰退によって、作為的・必然的に形成された、どうにもならぬ状態に対し、
解決する術を持たぬ連中が、ただ気に食わぬからと、つまらぬ罵声を飛ばしている。

要は、大人の事情に耐え切れなくなった人々が、道義的判断を誤り、己の人道を見失い、暴走しているのだ。

デモは、とても可哀そうな、人間の群れである。

この件に関しては、見方を変えるのは勿論、多少の精査をするだけで、恥ずかしくて文句すら言えなくなる。

それなのに、何者かが形成した、一方的な見解に汚染され、後で恥ずかしくなるような、
不気味な徘徊に身を委ね、多大な時間を食いつぶし、己の生命・健康を強奪されている。

以下にも記載したが、愚かな第三者の建前・自己都合・利己主義に踊らされ、
歪められた感情を根幹とした、己による建前・自己都合・利己主義に弄ばれ、
自分の品性を蹂躙し、自分の存在を愚弄し、自分の価値を抹殺しているのだ。

☆ 私が抱える想い・・・。(改良版)

人々を、滑稽な人形で終わらせ、超絶絶頂の無間地獄へと、道連にする首謀者は確実とし、
そのような人材のペテンに扇動され、フジテレビを糾弾する人々の中には、
真に国家を憂いた愛国者は、究極極大において存在せぬ。




デモの中に、国家を憂いていると、明言する者がいたとて、それはつもりにすぎぬのだ。

そもそも、ただの主義や主張を掲げるパレードで、素人が変えられる事は、最初からたかが知れている。

それに、何かを変えたとて、それは上澄みに留まり、瞬く間に元通りとなる。

何より、他力本願のお散歩は楽しいかい?

甘やかされた、傲慢な糞ガキが、高額な玩具が欲しいと、他人に強請るような行為で御満悦かい?

あまつさえ、大した覚悟もなく、己の身を犠牲にせず、気が向けば誰でも可能な事に、何となく身を委ねているのだ。

それで、デモに参加せぬ人々を、何もせぬと批難するようであれば、
敗北主義と独善主義に染まった、最大に見下げるべき連中だ。

宇宙掌握において、捏造した大義を根底に、他者を犠牲とし、己すら貶める者が、
真に国家を憂いての、大義ある行動は、荒唐無稽の夢物語である。

次元制覇において、打開策を示す批判ではなく、一方的な批難しか出来ぬのであれば、
それは社会を歪める不具合でしかない。




認識すべきは、首謀者は諸悪の根源であるが、それに振り回された人々は、憫然たる被害者である。

首謀した側に、本物の指導者がいたならば、人々は確固たる道を歩めただろう。

そう、人としての良き良心を基盤とする、品行方正な倫理・道徳・常識・正義を胸に刻み、
冷静な判断による聡明な行動と、一生懸命な考察による、賢明な決断を心がけ、
現実・事実・真実・実質・本質を見極めた、洗練された道を歩めたのだ。

☆ 裂罅の考察・・・。(改良版)

例えば、以下のような内容でアプローチをすれば、遥かに研ぎ澄まされた道を歩めただろう。




スポンサーとの兼ね合いや、韓国との友好を促進する、多様な目的もあるのだろうが、
韓国の動向を見つめている人々に対し、配慮が不足となる部分がある。

そもそも、日本の報道組織としてのスタンスを、大きく欠損している点が見受けられる。

せめて、そこは平等に扱って欲しい。

何より、我々は韓国に対し、主要先進国の認識では、十二分の誠意を果たしてきた。

それでも、民主党が捏造し、韓国政府や活動家が誇張した、建前・自己都合・利己主義の結晶に、
韓国の同胞達は翻弄され、人道と道義的判断を根絶やしにされ、自暴自棄へと追いやられている。

そして、日本の同胞達は、折り合いがつかない感情を錯綜させ、釈然とせぬ気持ちのまま過ごしている。

その果てに、者によっては、自暴自棄へと走ってしまう。

これでは、あまりにも悲しすぎる。




我々は、未来を目指す人である。

それが、解決した問題は当然とし、誰かが捏造した問題で、足を引っ張られている。

我々が、向かうべき方向は、未来と過去のどちらなのか?

それを考察すれば、何をすべきかは、シンプルに導き出せる。

だからこそ、韓国の大衆を惑わせる存在を、つけあがらせてはならない。

双方にとって、より良き未来を切り開くため、正しい認識を共有し、人々を優しく諭し、手を握る必要がある。

そのため、フジテレビには、力を貸して頂きたい。

本来であれば、韓国の大衆を束縛する、韓国政府を根絶やしにしてでも、兄弟・姉妹を救い出すべきなのだろう。

だが、それでは必ず、理不尽な涙を流す者が生じてしまう。

それでは、本末転倒だ。




各国の政府は、主義・主張の違う個人が、主義・主張が異なる組織を形成し、それらが集合し構築されている。

その内部は、建前・自己都合・利己主義が反響し、互いを極限まで狂わせている。

そんな連中が、正しい道理は存在しない。

真実を述べる、根拠すら持ち合わせていない。

そもそも、最初から解決する気がないのだ。

まして、内在する個人・組織が形成した袋小路に陥り、本質的な是正の能力すら、持ち合わせていない。

その本質と実質を見極め、両国の政府の主張を排除し、国民同士が歩み寄る必要がある。

我々は、それに協力して頂ける報道組織を、明確な手段で応援させて頂く。




各報道関係者の皆様には、先進国で共通となる、我々が過去に犯してしまった、
大罪を見つめた上で、品行方正な謝罪をするため、御力を拝借させて頂ければ幸いだ。

それは、金銭のような公序良俗に反する手段ではない、そんな卑怯な誤魔化しではない、誠心誠意の御詫びである。

それを実施する事で、大きな蟠りを相殺し、多大な罪と重責を心に刻み、
我々は連綿と続く日々を、手を取り合い前進する事が出来る。

たかが金銭では、気休め程度にしかならない。

共通の認識を前提とした、正当な対応こそが、未来への鍵となる。

それが出来れば、全てが変わる。

とても、素晴らしい事だ。




要は、和合の精神を持ち、歩み寄ろうとすれば、本格的に未来は変わる。

それが出来ねば、何も変わりはしないのだ。




デモに対しフジテレビは、解決する手段が無数に、存在するにも関わらず、
明瞭性が多大に不足する、自己尺度の冷徹な文章を放り投げた。

下手糞なキャッチボールでは、憤慨した人々が、納得せぬのは明白だ。

それが分からぬような、人材の集合体ではないだろうに・・・。

まあ、主義・主張の違う個人が、主義・主張が異なる組織を形成し、
建前・自己都合・利己主義に陥り、互いのそれに蝕まれ、
破滅主義に手を伸ばしているのかもしれない。

そう、福島第一原発の一連では、関東を拠点とする大手報道は、我々をひたすら欺き続けた。

初期の段階では、日本政府・東京電力からの金銭・圧力により、連中は大衆を翻弄し愚弄した。

現状では、広告代理店が、それを確固たる状態としている。

勿論、空気を読んでの自己判断で、勝手にやっている者もいるが、
東京電力や日本政府と仲良しである、あらゆる個人や組織が、それを徹底させている。

結局、デモをやっている連中と、それに責められる連中は、大差がない状態なのだ。

これでは、どんどん悪くなる一方で、因果の報いが万人へと降り注ぐ。

それは、かの福島第一原発のようにである。




大手報道は、大衆の多くが仕事に熱誠で、それ以外の問題に対し、
無関心・無頓着である事を良い事に、その家族や友人までも、焦熱転落まで振り回した。

現状は、手玉に取った大衆を、あざ笑うかのように、平然を装っている。

十分な精査が困難で、真意が掴めなかったのであれば、ある程度は目を瞑るが、そうではなかった。

例え、そうであったとしても、社会が大きく歪み、多くの大衆の人間性に、多大な悪影響を与えたのだ。

それに関しては、深く陳謝すべきである。

しかし、連中は謝罪する事もなく、我々の首を絞め続けている。

原発の問題に関しては、無機質な機械としてではなく、有機的な人としての対応をして欲しかった。

それでも、忘れてはならぬ事がある。

それは、連中の全てが、罪人ではない事だ。




大罪を犯した個人・組織に関しては、人としての良き良心を基盤とする、品行方正な倫理・道徳・常識・正義に反した行為を、
どれだけ実施したのかを明確にさせ、大衆に深く謝罪させる必要がある。

さもなければ、連中は己の建前・自己都合・利己主義を最優先とし、発展を見失った経済を優先とする、
無慈悲な社会の中で、間違いを何度でも繰り返し、我々のかけがえのない、家族・友人を絞め殺す。

あまつさえ、連中は己は勿論、その家族・友人を、自身の手で絞め殺してしまうのだ。

そうはならぬため、確固たる信念を抱き、本当の地獄へと至る前に、是正する必要がある。

だが、感情的に立ち向かうのは、どれ程正しい行動でも、歪んで見えてしまう。

必要なのは、冷静な判断による、聡明な行動と、一生懸命な考察による、賢明な決断だ。

そして、理不尽な涙を極限まで相殺する、鼓動に満ちた志である。

行動力のある方々には、それを忘れないで頂きたい。

立ち向かうべき『問題』を見極め、立ち向かう『方法』を研ぎ澄ませば、人は確固たる道を歩めるのだから・・・。