2011年05月05日 21:45 武田先生の記載と、東電社員からの勧め・・・。(改良版)


武田先生は、マスクを不要と記載される。

先週、東京電力の社員は、何が発生しているか、全然わからぬからと、私にマスクの着用を推奨した。

何より、確実性が不足する情報を獲得しても、その概念は把握可能だが、事態の大きさは理解出来ないそうだ。

要は、現状を指し示す情報の取得が叶ったが、それが確実か判らない上に、
絶望を明確にする単語・数値の重さが、容易には計れなかったのである。

また、日本政府・大手報道・電力会社のスタッフは勿論、原子力推進派の先生も、細心の注意を怠るなと仰る・・・。




人々の魂が、安全・危険で大きく揺れ動くのは、真実と虚偽の狭間に立たされ、
現実と理想を彷徨い、誰もホントウを知らないからだ。

要は、専門知識を保有しない大衆は当然とし、専門家ですら安全・危険を断言するのに、必要となる材料を保有していない。

何より、事故が実際に起きるとは、想像・想定はしていても、信じていなかっただけに、
本気で己を磨く事を怠り、完全無欠な次元で、パッパラパーな状態である。

残念なのは、パッパラパーであるにも拘らず、日本政府・大手報道・電力会社・原発推進派は、安全論を展開した。

内輪には地獄(不確定)と語り、大衆に対しては、多大な責めを恐れ、確証が無い安全・安心をバラ撒いている。

危険論を展開する、非原発推進派に関しても、確実性を欠損した話しか、語れぬのが実情だ。




安全論者・危険論者に、大きな差は存在しない。

それは、双方が必然的な流れしか形成出来ず、個人や小規模な集団を救えても、社会を救えないからだ。

それどころか、個人や小規模な集団を苦しめ、社会を滅ぼす流れを形成する、一役を担う比重が遥かに大きい。

連中は、安全か危険か混乱する状況を形成し、あまつさえホントウを知らない。

各国による、放射線犯罪を隠匿するため、様々な改竄が行われた結果、
自分達がホントウは役立たずである事を、認めようともしない。

結局、大衆の都合を考えた、柔軟な打開策は当然とし、
ホントウを前提とした、生命と健康を最優先とする判断は絶無である。




この件で、後者の意見を尊重する者は、倫理・道徳を前提に、考察が可能な者である。

それに、人としての良き良心があり、聡明かつ賢明である。

そして、事態を懸命な努力で、見つめる事が出来ている。

だが、見方を変えると、連中と同質を内包する可能性がある・・・。

だからこそ、醜悪な思惑を見極められる事は勿論、直接の対話を材料に、判断が可能なのかもしれない。

極大において、『安全かも』・『危険かも』の状況で、前者に耳を傾けて突っ走れば、簡単に崖から落ちてしまう。

前者には、安全・安心を断言・強調する者がいるが、その内容を確認する限り、非常に受け入れ難い無様なモノだ。

前提となる条件を可能な限り制限し、己の中でさらに設定を形成し、アリバイを用意した状態で、虚偽を垂れ流している。




以下に、日本政府・電力会社・大手報道の実態と、安全論者の実情を記載している。

☆ 最悪の状況とは・・・。(改良版)

以下は、福島第一原発事故を精査する上で、参考となるだろう。

☆ 原発賠償 税金投入の可能性も・・・。




それにしても、人々の決断が気になる・・・。

誰しも、己に都合がいいデータを、選択するのは当然だ。

大量に被曝をした者ですら、安心が可能なデータに、しがみついてしまう。

何より、組織に所属し、責任を恐れる者は、組織と己に対し、都合のいいデータを選択する。

結果、潮流が変わる事無く、過ちが繰り返されるのだ。

これは、超絶絶頂・臨界突破に、是正する必要がある。




都合を優先してしまえば、品行方正な解決の糸口を見失い、間違った選択をしてしまう。

ここまでの窮地に陥ったのは、それが最大の原因と言えるだろう。

そう、我々は愚かである・・・。

だからこそ、道義的判断を誤らぬ、正当な道を可能な限り、切り開ける人材が必要だ。

福島第一原発における、大規模人身事故の被災者の方々には、
次の世代が正しかったと感じる、実りある選択をして頂きたい。

この問題に対し、それが実現出来れば、世界の潮流すら、より良き方向へと変えられるだろう。

本来、それを後押しすべき存在が、都合優先主義に疾走し、それを阻害している事に憤りを感じる。




私を含めた、日本全土に溢れる、福島第一原発による被災者が、
日本政府・大手報道・電力会社における腐蝕層の、鼻を明かす方法がある。

連中は、責任を曖昧にしたまま、いくらでも回避可能な状況だからこそ、やりたい放題の超御都合主義に走っている。

何より、責任が伴わない判断は、慎重さを大幅に欠損し、後で取り返しのつかない過ちを犯す。

あまつさえ、責任を極限まで負わないために、問題を大きくする手法を、日本政府が採用している。

結局、手の施しようが無い状態を形成し、あらゆる政治家は当然とし、
国家すら傍観する状況を形成する事で、完膚なきまでに大衆を諦めさせ、徹底的に抑え込むのである。

己の保身を考えない者は恐ろしい・・・。

だが、己の保身しか考えない者は、時にそれ以上に恐ろしい事を考える。




この日本から、癌細胞を取り除くには、放射線障害に相当する疾病が発生した場合は勿論、
風評被害が発生した場合の責任を、連中に明確に求める流れを、形成してしまう事だ。

当然だが、理不尽な申出をしていると、受け取られないよう、綿密な調整が必要となる。

そうすれば、連中の迂闊で殺される事を相殺可能だ。

何より、既に多大な過失を、連中は自ら背負っている。

そう、安全・安心と宣ったのは当然とし、その暴走を止められなかったからには、責任を取るのは道理である。

少なくとも、保証を受ける権利があるのは、高度に被曝をした、関東・東北・中部・近畿の人々だ。

これを実現出来れば、日本は引き締まり、いくらかまともになるだろう。

そもそも、実用レベルに達していない、原子力発電所に関しては、当初から先を見据え、責任の矛先を決めさせるべきだった。

絶大において、原子力発電所を導入せぬのが、最良の選択だった。




原発の事故責任を、電力会社の有限責任に定めていた事は、日本政府の莫大な過失である。

これを、見過してしまったのは、日本国民にとっての痛恨事である。

それを許さなければ、全体的な体たらくを未然に予防し、事故を防げたのは確実だ。

なんせ、全ての流れが変わっていたのだから・・・。

責任の明確化は、今からでも遅くはない。

それが無ければ、ボロボロになって行く一方だ。

我々は、人であり続けるための道を選択し、胸を張れるよう進んで行こう。