2014年07月24日 23:57 三段(十) B-STAP細胞の概要と考察


概要であるが、整然と智見を深めよう。

細胞は、生物を構成する、基本的な単位だ。

単細胞生物は、一個の細胞で構成されている。

一個の細胞で、生物として必要な機能を備える。

多細胞生物は、複数の細胞で構成されている。

複数の細胞で、生物として必要な機能を備える。

後者は、多細胞化に伴い機能を特化した、多種・多様な細胞で構成される。

それにより、高度な能力・機能・作用を有する、様々な生物が構築されているのだ。




では、ES細胞(胚性幹細胞)とiPS細胞(人工多能性幹細胞)とは?

双方は、万能細胞と扱われている、多能性を有する幹細胞だ。

幹細胞は、自己複製能と多分化能を有する。

自己複製能とは、己と同じ細胞を複製する能力である。

多分化能とは、異なる種類の細胞に分化する能力である。

分化とは、より特化された細胞へ、細胞が変化する経過だ。

幹細胞には、体性幹細胞・ES細胞・iPS細胞等がある。

体性幹細胞は、生体内に含まれる様々な幹細胞である。

それには、 分化が可能な細胞の種類が限定されるモノがあれば、広範囲に渡る細胞へと分化が可能なモノもあるのだ。

万能細胞と扱われているとしたが、分化が不可能な細胞があるため、多能性を有するとすべきだろう。

分化が不可能としたが、それは胚体外組織(胎盤・羊膜等)である。

広範囲にわたる細胞へ分化が可能なモノもあるとしたが、多能性体性幹細胞である、ミューズ細胞が存在する。

ES細胞・iPS細胞・STAP細胞を追求する上で、重要な存在の一つではあるが、他を含め別の機会に紹介する。




生命体は、体細胞と生殖細胞で構成されている。

体細胞には、分化により特化した細胞と、体性幹細胞が含まれている。

生殖細胞は、次世代へ遺伝情報を伝える役割を有する。




ES細胞は、着床寸前の胚(受精卵)から、胎児の基になる細胞を抽出し、多能性を保持し培養している。

ES細胞の生成は、受精卵を消費するため、倫理的な指摘がされる。

それに、他者の細胞を移植するため、拒絶反応が懸念されている。




iPS細胞は、分化した細胞を抽出して、初期化因子の導入により、多能性を獲得した存在だ。

初期化因子の導入としたが、人工的に数種類の遺伝子を組み込む。

その導入は、電気穿孔法で実施する。

それは、細胞懸濁液に電気パルスを与え、細胞膜に微小な穴を空ける事で、
遺伝子を細胞内部に送り込んで、形質転換を実現する手法である。

遺伝子とは、遺伝形質を規定する因子(単位)であり、細胞から細胞へ伝達される情報とされる。

細胞の核に、遺伝子を記しているのが、デオキシリボ核酸である。

逆に言えば、デオキシリボ核酸(DNA)に、記録される情報が遺伝子である。

細胞懸濁液とは、細胞が均質に浮遊する液体である。

形質転換とは、細胞外部から遺伝子を導入し、その遺伝的な性質を変更する。

多能性を獲得したとしたが、細胞に遺伝子を組み込む事によって、
初期化(分化の記憶が消去)されて、多分化能を再び獲得した状態である。

iPS細胞は、患者の肉体から得られる、細胞の利用が可能なため、倫理的には良いとされる。

加えて、患者自身の細胞の利用により、拒絶反応の心配が僅少となる。

倫理的には良いとしたが、理論上は精子・卵子も作れるため、その実施となれば問題が浮上する。

※初期化因子の導入において、癌を誘導する遺伝子が組み込まれるため、
iPS細胞の癌化が問題視されていたが、手法の変更でリスクが大幅に低減している。




先に、双方は胚体外組織への分化が不可能とした。

着床寸前の胚(受精卵)は、胚盤胞とされる構造にある。

胚盤胞は、内細胞塊と栄養膜とよばれる、二種の細胞で構成されている。

内部細胞塊は胎児となり、栄養膜は胎盤や羊膜等の胚外組織に変化する。

ES細胞は、内部細胞塊から生成されるため、胚体外組織への分化が叶わない。

iPS細胞は、内部細胞塊が成長した存在から、分化した細胞を抽出するために、胚体外組織への分化が叶わない。

厳密には、胚体外組織を形成するには、母胎の影響力により生じる、
遺伝子の働きが必要であり、その発現の再現が出来ない。

発現とは、遺伝子の情報に基づき、細胞の機能や構造等が、変換される経過である。

受精卵は、その条件が適用されている、全能性を有する細胞である。

そのため、あらゆる細胞への分化が叶い、完全な一個体の形成が可能だ。

端的に言えば、全能性を有する受精卵の中から、多能性を有する細胞を取り出し、生成されるのがES細胞である。

そして、その多能性を有する細胞が成長した存在から、摘出した細胞で生成されるのがiPS細胞だ。

それらが単独で、その影響による条件を満たした状態になる事はない。

その条件を、意図的に満たす事も、非常に困難な状態だ。

要は、遺伝子刷り込みに由来する、選択の制御が出来ないため、それ未満の事しか叶わない。

遺伝子刷り込みとしたが、父親または母親に由来する遺伝子が、必要に応じてー方が発現する現象だ。

ただ、ES細胞をTS細胞に変化させ、特殊な培養液FGF4で培養し、胎盤を培養する技術手順がある。

TS細胞とは、栄養膜幹細胞である。

FGF4とは、線維芽細胞増殖因子(多機能性タンパク質)である。




現時点までは、ES細胞とiPS細胞は金食い虫だ。

実用に不可欠な諸条件が極端に乏しく、最終的な到達点を考慮すれば、酷く原始的な次元にあるのだ。

周知の研究機関に託す限りは、様々な柵による制約で、その進歩は鈍足となる。

何しろ、費用対効果が超最悪だ。

確かに、研究の積み重ねは重要であるが、関連性が乏しい内容に浪費され、
倫理的と扱い出来ぬを誤魔化し、己や己達が利益を獲得するため、意図的に遅延させる場合がある。




不可欠な諸条件としたが、幹細胞の分化誘導が至難な状態だ。

分化誘導としたが、位置情報に基づいた肉体(組織・臓器)の再生である。

分かり易くするため、イモリを例に挙げてみよう。

イモリは脱分化により、細胞が未分化の状態となり、高度な再生を実現している。

脱分化としたが、体細胞が初期化され、多分化能を再び得る。

イモリの細胞には、位置情報が記憶されており、それに準じた位置において、適した細胞に分化していく。

人間の体性幹細胞は、位置情報を記憶していないため、部分的な修復をするのみとなる。

体性幹細胞の数は僅少で、摘出・培養が極めて困難とされる。

それに、分化が可能な細胞の種類に限界があり、受精卵のような全能性を有していない。

全能性とは、あらゆる細胞に分化する能力である。

その、全能性幹細胞を有する生物にプラナリアがいる。

プラナリアは、複数に分断しても、位置情報に基づき、体の再生が可能だ。

分断しただけ、その個体数が増加する。

再生を制御する遺伝子を破壊すると、再生が不能となる場合があれば、とんでもない状態になりもする。




再生(分化)をコントロールする遺伝子を探し、その制御が出来るようにならねば、助けられぬ人々が多いのが現実だ。

以下のどれを実現するにしても、不安に満ちた状態であり、危険性と不確実性は高く、多くの時間が必要となる。

細胞の移植・人体における再生能力の改変により、組織・臓器の部分的・全体的な回復を可能とする。

※位置情報に基づいた再生を、外部からの制御で可能とするか、
内部からの制御にするにしても、様々な異常の発生が懸念される。

独立した状態で、組織・臓器の培養を可能とする。

※組織・臓器にもよるが、培養機材の開発だけでなく、適合する状態までの培養に、相当の時間が不可欠となる。

多くの時間が必要としたが、これらの治療を受けた人々に、なんらかの異常が発生せぬか?

子々孫々に、なんらかの異常が発生せぬか?

それらを十分に、確認する必要があるのだ。

部分的な回復としたが、造血幹細胞の作成が期待される。

少し話がそれるが、骨髄移植を交えて探ろう。

骨髄移植とは、血液の癌治療で発生する、障害への治療手順である。

骨髄とは、骨の中にある血液成分(白血球・赤血球・血小板)を生成する造血組織だ。

その細胞は、造血(骨髄)幹細胞と呼ばれている。

障害としたが、白血病の治療は白血病細胞を攻撃(抗癌剤・放射線治療)し消滅させる。

その際、白血病細胞だけでなく、骨髄の中の正常となる、造血幹細胞も消滅する。

それにより、血液の生成が出来なくなるのだ。

その機能を取り戻すため、骨髄の造血幹細胞を移植する。

それが、骨髄移植である。




骨髄移植は、提供者の骨髄液を腰の骨から採取して患者へ移植する。

骨髄液は、点滴により静脈から全身へめぐり、骨髄に生着し血液の生産を始める。

生着とは、手術で移植された存在が、本来の機能を果たす事だ。

骨髄移植は、造血幹細胞移植に分類される。

他には、末梢血幹細胞移植・臍帯血移植がある。

造血幹細胞移植は提供者により、自家移植・同系移植・同種移植に分かれる。

自家造血幹細胞移植とは、患者自身の造血幹細胞を保存しておき、抗癌剤や放射線治療の後に戻す方法だ。

自身の造血幹細胞のため、免疫抑制剤の投与は必要ない。

同系造血幹細胞移植とは、一卵性双生児から造血幹細胞を移植する方法だ。

同種造血幹細胞移植とは、HLAが合致した骨髄提供者から、造血幹細胞を移植する方法となる。

骨髄移植は、提供者により血縁者間同種骨髄移植・非血縁者間同種骨髄移植に分かれる。

HLA(ヒト白血球抗原)とは、親から子供に受け継がれる、自他認識のマーカーである。

自他認識のマーカーとしたが、自己と非自己を識別する厳密な指針だ。

それは、主要組織適合遺伝子複合体であり、白血球の血液型とも言える存在だ。

血液型は、赤血球の型を指す。

HLA型は、白血球の型を示す。

HLAは、殆どの有核細胞に存在しており、移植の際に適合させねばならず、組織適合抗原とも扱われている。

これらの治療では、GvHDを予防するために、免疫抑制剤の投与が必要だ。

GvHD(移植片対宿主病)とは、同種移植を受けた際の顕著な合併症で、移植片に含まれる提供者のリンパ球が、
患者の体を異分子と判別して攻撃する、とても厄介かつ煩雑な免疫反応である。

端的に言えば、臓器移植による拒絶反応の逆となる反応だ。

移植片としたが、体から採取した正常な細胞や組織である。

この場合は、骨髄液(造血幹細胞)となる。

免疫抑制剤の投与としたが、それによる免疫応答を弱める事により、拒絶反応が酷くならぬように治療する。

造血幹細胞移植では、患者に投与する細胞が少数であるため、
患者の免疫力を非常に弱めておかねば、移植片が排除・拒絶されてしまうのだ。

それを免れ、造血幹細胞が患者の体内に生着すれば増加していく。

生着には、移植片に含まれる提供者のリンパ球が重要だ。

それが、免疫力を回復させるために必要な働きもする。

移植前の治療によって、患者の免疫力は著しく低下しており、外部からの菌等に対し無防備である。

提供者のリンパ球が、患者の免疫力を上げ感染症を予防し、残存する白血病細胞を抑え込むのだ。

免疫抑制剤の投与が必要としたが、HAL型を合わせて移植を行う事で、GvHDを軽減する事が可能となる。




HLA抗原は、A座・B座・C座とD領域(DR・DQ・DP)がある。

各々が、それぞれの座に2つの型を有する。

骨髄移植ではHLA型の座のうち、A座・B座・DR座(其々の2つの型)の適合(6抗原適合)が必要となる。

HLA適合には、適合数に応じて6抗原適合・5抗原適合・4抗原適合がある。

6抗原適合は、患者と提供者の6種類の抗原型が全て一致する。

5抗原適合は、5種類の抗原型が一致し、1種類の抗原型が不一致。

4抗原適合は、4種類の抗原型が一致し、2種類の抗原型が不一致。

骨髄バンクでは、2009年8月よりC座を調べるようになった。

それは、その適合度により深刻なGvHDが引き起こされると判明したためだ。




末梢血幹細胞移植とは、通常の血液に含まれる極僅かな幹細胞を、
特殊な状況で抽出して保存しておく事で、大量の抗癌剤を用いた後に体の中へ戻す。

特殊な状況としたが、抗癌剤による治療を受けて血液が回復する時期、白血球を増やすための薬を大量に投与した後だ。

大半の自家移植が、この末梢血幹細胞移植となる。

末梢血幹細胞移植は、提供者により自家末梢血幹細胞移植・同種血幹細胞移植に分かれる。

同種血幹細胞移植の場合は、患者と提供者のHLAが一致する必要がある。

提供者は、幹細胞の数を増やす処置(投薬)を受ける。

その処置には、副作用(心筋梗塞・脳梗塞等-血が固まり易くなるため)がある。

臍帯血移植とは、臍帯血を患者へ移植する。

臍帯血は、妊娠中の母親と胎児を結んでいる、臍帯と胎盤に含まれる血液である。

ただし、骨髄や末梢血幹細胞(増加時の状態)に比べると幹細胞の数が少ない。

生着率が低く回復が遅いが、適切に保存されたソレならば、短期間での移植が可能であり、
定着して造血が安定したなら、骨髄・末梢血由来の造血より、GvHDが少ない傾向にある。

それが少ないため、HLAが完全一致しなくとも移植が可能だ。




iPS細胞により、患者自身の分化した細胞から、造血幹細胞の培養が出来れば、その移植のリスクが低下する。

既に、マウスとヒトのiPS細胞により、造血幹細胞の生成に成功している。

しかしながら、超えるべき壁は複数あり、まだまだ先は長い状態だ。

時点のソレは、人体への移植に対して、適正な存在に該当せず、その確立までの時間は、未知数の状態と言える。

実証に、必須な期間を加味すれば、百年近い時が必要だろう。

人体への移植に相応しい、造血幹細胞の培養が出来ていたのか、じっくり精査しなければならんのだ。

様々な試料・試薬による、効果測定で良好な結果が得られようと、実際の人体に移植をした場合において、
それから及ぼされる様々な影響により、その有効性が発揮出来ぬ場合があれば、
想定しきれなかった副作用が発生して、傍証の対象を死に至らせる場合もある。

はたまた、特定の患者で妥当な結果が得られようと、
年齢・性別等の千差万別な個体差により、効果が反転してしまう場合さえあるのだ。

おまけに、一定の期間が経過した段階で、妥当な結果が瞬く間に覆され、失意に劈かれる場合すらある。

あまつさえ、世代を超えて問題・不具合が発生する場合もある。

憂慮すべきは、実に膨大なのである。

故に、十二分となる研究・実験・実証が望まれる。

とは言え、碌に儘ならぬ実態なのだ。

そう、不正が横行し、過誤が蔓延し、肝心が伴わぬ。

何より、杜撰な論理が基盤となり、曖昧と矛盾に翻弄される。

そもそも、コレが最適・適当な手段とは限らない。




では、STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)とは?

体細胞に、強い外部刺激を与える。

これにより、体細胞が初期化される。

また、白血病阻止因子を含む培地で培養する。

これにより、多分化能を有している、該当の細胞が誕生する。

さらに、副腎皮質刺激ホルモンを含む培地で培養する。

これにより、十分な自己複製能を有する、STAP幹細胞が誕生する。

ただし、該当細胞の作成法を含む論文に、不適切な操作が検出されたため、存在は夢や理想へと逆戻りした。

要は、実存を証明する証拠が崩れ、無いに等しい状態と化した。

最初から、そうでしかなかった。

まあ、厳密なSTAP細胞に相当する存在があろうと、
そこそこ安心して使えるようになる頃には、時点で生存する人々の大半が死亡している。

現状で病気で苦しんでいる方々ならば、この恩恵を受ける事はないに等しい。

所詮は、泡銭を手に入れるための口実にすぎんのだ。

それで、精一杯なのだ。

だから、こうなってしまったのだろう。

該当細胞の作成法を含む論文としたが、その論文の作成・細胞の研究において、
中心的な役割を果たした研究者による、博士論文に深刻な盗用が見受けられる。

研究者としたが、小保方晴子(理研 発生・再生科学総合研究センター細胞リプログラミング研究ユニットリーダー)氏だ。




STAP細胞に関する論文は、Nature(総合学術雑誌-英国)2014年1月30日号に掲載された。

論文は二編で構成され、STAP細胞とSTAP幹細胞に関して綴られている。

STAP細胞とは、体細胞に強い外部刺激を与える事により、体細胞が初期化された万能性細胞である。

万能性としたが、胎盤への変化が可能とされたためだ。

STAP幹細胞とは、その培養で自己複製能を得た、多能性を有する幹細胞である。

多能性を有するとしたが、胎盤への変化が不可能とされたためだ。

論文の不適切な操作であるが、STAP細胞の存在を証明する証拠画像が、小保方氏の博士論文からの流用だった。

流用されたのは、STAP細胞と異なる、実験の画像である。

画像は、鮮明にする加工がされていた。

また、細胞が出来た事を示す画像が、張り合わせによる代物だった。

さらに、第三者の論文から文章の剽窃があり、その実験に使われた試薬だけでなく、
製造終了した機器の情報が転用され、論文の信憑性はほぼ失われた状態だ。

その環境を再現し、実験をするは非常に困難である。




小保方氏の博士論文であるが、極端な盗用で形成されている。

以下の指摘もある。

実験に、十分と言える水準において、小保方氏が携わっていない。

時点で、メディアに取り沙汰されていない、非常に深刻とされる疑惑があるが、
それに関しては状況の推移を見て、必要に応じて記載する所存である。

その英字論文は、万能性を有する体性幹細胞の探索をテーマにしている。

主要108ぺージ中の約20ぺージ分が、第三者(米国立衛生研究所)のサイトにて、
公開されている内容とほぼ同一だったのだ。

以下のような、素材画像の盗用がある。

米国立衛生研究所のサイトの画像を盗用し加工している。

幹細胞研究会のサイトの画像を盗用し加工している。

ハーランラボラトリーズ株式会社のサイトの画像を盗用している。

以下のような、実験画像の盗用もある。

コスモ・バイオ社の画像を盗用し加工している。

ZenBio社の画像を盗用し加工している。

他にも、複数の顕著な改竄・不備が認められる。

詳細は、以下に纏められている。

早稲田大学:「先進理工学研究科における博士学位論文に関する調査委員会」調査報告について




理研は、予算を減らされないように、無駄遣いに励まねばならん。

ただし、その維持には実績が必要だ。

近年は、ハリボテばかりのため、目立った成果を上げたい。

そしたら、特大のハリボテを拵えさせていた。

現段階までは、このような顛末である。

多かれ・少なかれ、この素養が事態の悪化に拍車をかけている。




小保方氏に対し、多くの人々がSTAP細胞が、本当にあるのかを尋ねてきた。

彼女は、あるとの明言を続けている。

そもそも、ある事を前提とせねばならぬ者に、その有無を確認しても意味がない。

鸚鵡返しをするしか、余地がない状態なのだ。

それを考慮した質問・提案により、彼女を諭し導く者がいなかった事が残念だ。

加えて、不適切な論文の操作に対し、悪意はなかったとしている。

悪意を否定しなければ、膨大な過失を認める事になる。

故に、悪意の有無を焦点とする事で、その不在を認めさせたいのだ。

とは言え、間違いを犯した事に、なんら変わりはない。

所詮、犯した殺人に対する殺意の有無を、好都合な感覚で認めぬにすぎない。

重要なのは、証拠を示せるかだ。

それがなければ、潔白を訴えるべきではない。

証拠としたが、STAP現象の早急な再現である。

もしくは、正確かつ精確な手順の公表だ。

それにより、第三者が再現を実現せねば、最低限の証拠を示せはせぬ。

理研は、以下のトレースに必要な資料の提出を求める。

STAP細胞は、分化した細胞が初期化された存在であり、多分化能を再び獲得した存在なのである。

小保方氏は、自発的にそれを揃えて提出する。

とは言え、彼女の絶大な超不徹底により、それが叶わぬ実態だったため、微妙な記者会見が実施された。

己の莫大な不足を認める布陣で、弁護材料を形成するための、
在り来りなシナリオによる、自己弁護が繰り広げられた。

それにより、己が信用・信頼に値せぬ存在と証明していた。

そのような存在に、任せられる事は何もない。

彼女は、数十年~数百年後の人類への貢献を訴えていたが、
それを訴えようにも余りにも伴わず知らなすぎる。

訴えるべきは、厳密なSTAP細胞に相当する存在が、実存する証明が出来たかどうかである。

問い質すべきは、それだけだ。

それが出来た証拠がないため、我々が振り回されている。

だからこそ、どうすべきかが重要となる。

先ずは、ここまでを説明する。

そして、全者に対する提案が必要だ。

時点では、それをするに不可欠となる、枠組・仕組・存在が望めん。

何より、小保方氏による会見の内容で、信じられると判断した方々が、非常に不憫と感じてならない。

そのような感覚だから、何遍も過ちを反復させるが、碌にそれに気付くも叶わず、何処までも転げ落ちていく。

だからこそ、それだけ・そこまでの人生(極端に侘しい)を、どうにもならなくなりながらも生きられるのだ。

そんなだから、生きられなくもなってしまう。

それは、信じられぬと判断した方々にも、多少の差があれども言える事だ。




失敗・失態・失墜を重ねる存在は、猪瀬・渡辺・小保方さんは、理研すら同じ事をしている。

誰しも、誤魔化し有耶無耶とし逃走を続ける。

猪瀬さんとしたが、元東京都知事の猪瀬直樹氏だ。

彼は、徳洲会からの五千万円献金疑惑で凋落している。

渡辺さんとしたが、元みんなの党代表の渡辺喜美氏だ。

彼は、DHC会長からの八億円献金疑惑で淪落している。

誰もが、言い訳を並べるに躍起となり、己が過失と碌に向き合わずに、逃げる事ばかりに夢中となる。

本来ならば、匹敵する行為をした事を率直に謝罪し、
その真相を即座に明確にする事により、正真の機会や猶予を懇願すべきだろう。

それなのに、誤解と訴えながら詭弁を陳列し、
違和感(矛盾)を感じさせれば、己が醜悪な人間との明証になる。

されど、率直な謝罪を実施して、真相を語りつくそうと、不意味・不価値である、曖昧な選択にすぎない。

さすれば、法的に立場が危うくなる。

それに、信用・信頼をしてくれている存在を、
羨望の眼差しを向ける者を裏切れば、それ相応の反動に劈かれてもしまう。

とは言え、長期的に平行線を辿らせて、煙に巻こうと考えていても、
本当に無実でもない限りは、辿る末路が変わりはしない。

だけでなく、より最悪の末路を引寄せる破目にもなる。

であるからして、悪足掻きをすべきではない。

作為・無作為に、大きな過ちを犯す者は、碌に謝罪するも叶わず、己と周囲を追い詰める。

ハナから、その程度の自我しか育めぬために、
失敗・失態・失墜に歯止めをかけ、機会や猶予を得る事が叶わんのだ。

そんなだから、取り返しのつかぬ過ちを犯してしまう。

仕方ないと開き直れば、どんどんどうにもならなくなる。

万人は、どう足掻こうと『正しい』だけの選択は叶わない。

あらゆる選択は、正当であり・不当であり・どちらでもない。

全人は、善人であり・悪人であり・どちらでもない。

詰まるところ、悪人~極悪人しかいない世界である。

知らなければ、己が不幸や過ちにすら気付けぬ。

我々は、それを把握・理解・洞察・知悉し、自分自身を磨き続けねばならない。

それにより、より不意味・不価値な選択を退けるべきである。

さもなければ、自作自演で気休めと自己満足に耽る、歪な木偶人形で終わってしまうのだ。

機会や猶予としたが、過失があるにも拘らず、茶を濁し続けるならば、期待値が低下を続ける。

己だけでなく、家族・友達・周囲のソレすら失われていく。

その期待値とは何か?

何故、それが低下するのか?

それが分かるようになる、経過を辿れなかったから、選択を誤り手遅れとなる。

手遅れとなろうと、その察知が叶う道理はなく、益々後戻りが出来なくなる。

だから、特有の条件を掲げる事により、正真の機会や猶予も得られん。

正真の機会や猶予としたが、危険性や不確実性の上昇を抑え、事態を収束に導くための選択だ。

これまで、多くの者が選択を誤り、更なる選択も過誤した。

先進者が選択を誤れば、後進者の猶予・機会が奪われる。

人間・人類・社会・世界は、出鱈目な論理・感情・理論・根拠による、妄想・空想・想像・理想・希望の設定を、
屁理屈で成立するかのように見せかけて、どうにかこうにか物語を紡いでいるのだ。

資金・富・名誉・栄誉を獲得するため、多くの者がより歪な物語を紡ごうとする。

それにより、多くが不意味・不価値に費やされる。

ばかりとなれば、我々は滅びる。

逆にその余地を失くしても、我々は滅びる。




小保方氏は、記者会見後に以下の内容を、弁護士に打ち明けたようだ。

『私が会見に出て、本当によかったんだろうか?』

それは、良くもあり・悪くもある。

それに、どちらでもない。

ただ、どんどんどうにもならなくなる。

会見で、彼女を支持するとした人々を、裏切るような結果ともなれば、何が起きても不思議ではない。

そもそも、小保方氏の信用・信頼を決め込み、擁護・援護をしているつもりでも、やがては彼女を追い詰めてしまう。

中には、利権の独占を身内で謀るため、不貞を働いた可能性を指摘し、
援護・擁護すると見せかけて、炙り出そうとする連中がいる。

契約に束縛され、歯がゆい思いをしながら、人々を見守る者達もいる。

彼女を、批難・批判・擁護・援護しようと、腐った傷の嘗め合いにすぎんのだ。

存在の実証が出来ねば、もはやそれまでだ。

存在の実証が出来ようと、それはそれで責められる。

もし、小保方氏に存在の証明が出来た場合、
批難・批判・擁護・援護が仇となり、様々な面倒が引き起こされてしまう。

その予防措置ですら、現状の枠組・仕組・存在は、余りに下手糞な状態なのだ。

何より、夢・希望と大幅に異なる存在を、弄り回していただけかもしれん。

それを上手に解き明かす事で、より良き選択肢の形成により、這い上がらなければならない。




三段(十) C-ベビーシッター事件の概要と考察に続く。