2014年07月21日 02:43 三段(十) A-ビットコインの概要と考察


概要であるが、整然と知見を深めよう。

通貨(流通貨幣)とは、国家等に価値を保障されている、決済に使われる価値交換媒体だ。

電子通貨(電子マネー)とは、企業等により提供される、電子決済サービスである。

電子決済サービスとしたが、貨幣を電子的な情報に置き換えて、より手軽な決済を可能としている。

これには、オフライン方式・オンライン方式がある。

オフライン方式は、専用の機器等に入金し、サービス特有の媒体に、取引の情報を記録して、その媒体で決済を行う。

オンライン方式は、金融機関の口座等と関連付けられた媒体を使用し、インターネットを媒介とする形で決済を実施する。

仮想通貨とは、特定のオンラインサービスの中で、経済活動の実施に必要な通貨である。

サービス(ゲーム・ショッピングモール等)によって、
現金で専用となるポイントを購入する事により、物理的・論理的な商品との交換を提供している。

それは、サービスの提供者と利用者の間での取引となる。

その利益が、サービスの運営費に充てられる。

サービスがゲームである場合、以下のような条件で仮想通貨の獲得が出来る。

クエストをクリアする。

モンスターを倒す。

鉱山で採掘する。

もしくは、これらで得られたアイテムを売却する。

いつの頃からか(十年以上前)、ゲーム内で使用可能な通貨・アイテム等を現金と交換する、
RMT(リアルマネートレード)が行われるようになった。

通貨・アイテム等としたが、ゲームのアカウント(キャラクター)も商売の対象となる。

端的に言えば、架空の財産を現金で売買する行為だ。

それは、プレイヤーとプレイヤー・プレイヤーとRMT業者の間での取引となる。

RMTは、大概のゲームで禁止されている。

そこには、以下のような理由がある。

ゲーム内の経済が崩壊し、その寿命が短くなりかねない。

それには、以下のような経緯がある。

ゲームの競争率(人気度)が上がれば、アイテムの相場が上昇する。

アイテムの相場が上昇するとしたが、一定の水準以上のアイテムに関しては、固定された価格による入手が叶わない。

その入手には、モンスターを倒す必要があり、討伐時のアイテムの出現率が、
低めに設定されているがため、獲得には相応の時間を要する。

それに、アイテムの希少性に応じて、モンスターの強さが変わる。

加えて、出現する個体数・時間・場所が限られ、熾烈な競争を強制される場合すらある。

他には、ソロ・チームによるクエストの報酬として、モンスターの討伐で得られる材料を集めて、
レアなアイテムを手に入れる事も出来るが、難易度は様々で多くの手間が不可欠なのだ。

その実情に対し、ゲーム内には多様なアイテムを、任意の値段で販売が可能となる、販売スペースが実装されている。

これらは、ゲームにより様々な差異がある。

そこにRMTの弊害(ボット・マクロ・チート等)が加わる事で、需要インフレ・供給インフレ・貨幣インフレが発生する。

需要インフレとしたが、需要が供給を上回る事で発生する。

供給インフレとしたが、材料費の高騰で発生する。

貨幣インフレとしたが、貨幣の供給が増える事で発生する。

それにより、通貨の価値が大暴落してしまい、アイテムの物価が上昇する事で、追い付けぬ存在が離脱していく。

追い付けぬ存在としたが、新参・古参の双方となる。

中には、その状況に翻弄されて、クダらなさを痛感した、大人・子供が含まれる。

それによる過疎化等(人気低下)で、運営費が賄えぬ事態ともなれば、そのゲームは終焉を迎えるのだ。

運営費が賄えぬ事態としたが、イレギュラーな取引が活発となり、
レギュラーな収益が減退を続けて、サービスが停止へと至ってしまう。

また、RMTによる利益を上げるために、ホスト・クライアントの双方が、クラッキングに晒されてしまう。

ホスト(提供する側)は、サーバーのデータを改竄・奪取される。

クライアント(使用する側)は、アカウント情報を奪取されて、通貨・アイテム等を盗まれる。

さらに、価値を釣り上げられてしまった、希少なアイテムを入手するため、詐欺・援助交際が行われてきた。

現金によるポイントを得るためにも、同じ事が繰り返されている。

詐欺としたが、仮想通貨を現金へ交換するにしても、アイテムを現金へ交換するにしても、
双方向に対し同時に交換する機能が、仕様により実装されていないために、
どちらかが先に渡さねばならぬため、一方に持逃げされる場合があるのだ。

はたまた、現金で購入したポイントをアイテムに、
現金で購入したポイントを仮想通貨に、交換する場合も同様の被害が発生する。

その場合は、現金によるポイントで入手可能なポイントアイテムを、
ゲームに実装されたプレゼント機能を使用し引き渡す。

アイテム・仮想通貨は、標準の交換機能で引き渡す。

どちらかが先に、その処理を実行せねばならぬがため、その性質を利用した詐欺が横行する。

こちらも、ゲームにより様々な差異がある。

援助交際としたが、小学生・中学生の子供が、身売りをしている状態だ。

それを促すため、ゲームをしている大人もいる。

その者達は、悪知恵を最大限に働かせて、様々なツールの併用により、子供達を毒牙にかけている。

RMTやゲーム内のポイントの売買は、規約で禁止されているため、
それらを詐欺で奪われても、運営者が対応するのは稀だ。

規約の違反により、双方のアカウントが消される可能性がある。

そのため、大半の者が泣き寝入りする。

後者に関しても、その殆どが警察沙汰になりはせぬ。

他にも、種々雑多な犯罪の温床となっている。




ビットコインであるが、仮想の鉱山で金の採掘をするだけのゲームで、リアルマネートレードをしているにすぎない。

金としたが、無数にあるオンラインゲームのアイテムと同じように、現金に換算した価値を持たせれば竹箆返しに曝される。

ビットコインは、画期的な存在とされているが、目玉となる中枢の機構でさえ、
数百年前から行われているを、半可通で流用した状態である。

それは、最悪の事態を引き寄せる、致命的な欠陥でしかない。

斬新と扱われている、中核技術の悪用を前提とする、悪意あるプログラムによって、
真の役目を終える仕様であり、折り込み済みの可能性がある。

致命的な欠陥としたが、規制の不十分により、安易な存在に対する、以下の落し穴もある。

ビットコインをべースとする取引所なれば、利益を上げる手段・規模(利鞘・手数料)が限定される。

余程、条件に恵まれなければ、食い潰すばかりとなる。

大概は、夜逃げを前提とする、闇銀行しか築けない。

逆に、それを洞察・知悉する者が、それが分からない者達から、巻き上げて逃走してしまう。

何より、仮想化による水増しを実現したとて、中身が伴わぬ限り台無しとなるのだ。

仕様上の都合により、それは可能であり・不可能である。

どちらかと言えば、皆無・空無・絶無に収束していく。

そのため、規制する・規制せぬにかかわらず、どうにかなり・どうにもならない。

そして、どんどんどうにもならなくなっていく。





ビットコインは、コンピュータを使用した、複雑な演算で獲得可能な、仮想通貨と扱われている。

その難解な計算は、採掘と定義されている。

採掘には、コンピュータの演算によるソレに加え、取引を検証する処理の報酬が含まれる。

取引を検証する処理としたが、取引の正当・不当を精査するため、第三者が面倒な数式を解く作業だ。

採掘の水面下では、整合性の調整が実施される。

それにより、採掘の難易度が変化する。

難易度が変化するとしたが、採掘者が増えれば、難易度が向上する。

現状、その競争率は高い状態であり、高度な演算能力が要求される。

そのため、採掘者が手を組んで、処理を分散する事で、その効率を向上する。

チームを形成しての採掘は、プール採掘と定義されている。

チームのメンバーには、その貢献度に応じて、コインが分配される。

採掘したビットコインは、仮想の財布(ローカル・クラウド)に格納される。

ローカル(デスクトップウォレット)に保存する場合は、
ブロックチェーン(全取引履歴)をローカル(自分のパソコン)に保存する必要がある。

※ 保存が必要となるのは、ビットコインの公式クライアントであり、公式のデスクトップウォレットでもある、
Bitcoin-Qtを使用した場合であり、ブロックチェーンを外部から参照する、MultiBit等を使用すれば不要となる。

ブロックチェーンには、固有のビットコインアドレスと、自分の保有量が記録されるため、それがコインを有する証となる。

つまり、ブロックチェーンこそが、ビットコインなのである。

ビットコインアドレスは口座番号であり、対応した秘密鍵が存在する。

ブロックチェーンは簡単に閲覧が叶うが、内容は符号化されているため、取引者の特定は不能とされる。

ちなみに、そのアドレスに対応した秘密鍵の所有者だけが、
取引に不可欠となる署名をする事が可能であり、それが一致しなければ取引記録は更新されない。

故に、ブロックチェーンを安易に改竄しようと、その不正な取引が成立する事はないのだ。

だけでなく、曲事・問題・不具合が発生した場合は、最長のブロックチェーンが優先される。

それが優先されるは、計算量が最多となる解答だからだ。

正確には、常に最長のブロックチェーンが優先され、次々と検証を終了した履歴が追加される。

取引には、複数の第三者による検証(署名等の確認)もあり、それには計算量が大きい問題を解かねばならない。

その問題を解く事により、ブロックチェーンの末尾に、新規ブロックが追加される。

検証において、最速でソレを追加した者には、送金者から報酬が支払われる。

失当なブロックチェーンが優位性を獲得するには、そこから分岐したチェーンが最長になる必要があるが、
それには総演算能力を上回る処理能力が不可欠となる。

現況における、コインの採掘条件を鑑みると、その用意は非常に至難だろう。

個人採掘(ソロマイニング)・集団採掘(プールマイニング)を実施する存在が手を組み、
全体の半分を超える処理能力を有した場合、様々な攻撃が可能になる危険性は拭えない。

全体に分散される主導権が、悪意ある存在に独占されれば、全てが瞬く間に台無しになる。

即ち、分散されている主導権によるブロックチェーンが、
悪者の主導権によるブロックチェーンに置換され、悪意ある攻撃の内容次第で再起不能へと陥るのだ。

クラウド(オンラインウォレット)は、秘密鍵の管理を第三者に委任する事で、
インターネットの使用が可能な環境で、手軽な取引を実現するために使用する。

デスクトップウォレットとオンラインウォレットの双方で、
クラッキングによる秘密鍵の盗難が発生し、オフラインでの盗難・詐欺も頻発している。

時点の採掘には、超高度な処理能力が要求され、専用の採掘機が稼働している。

採掘機は、高度なCPU・GPUで構成され、専用機材で拡張されている。

それらに太刀打ちするは至難であるため、ビットコインへの交換率が高い、
派生コイン等の採掘をした方が、黒字の期待値が比較的高くなる。

ただ、それにも相応の知識が不可欠だ。

採掘には、CPU・GPU・FPGA・ASIC等を道具とする。

コインの種類によって、そのアルゴリズムにマッチした、道具を選択しなければならない。

道具により、各コストが変動する。

コインにより、ビットコインへの交換率が異なる。

他にも、考慮すべきギミックがある。

であるからして、生半可な状態で挑めば、赤字にしかなりはせん。

流通するビットコインは、採掘(非公開・公開)・プール採掘で齎され、取引所で既存通貨と両替する事も可能である。

ただし、その信用・信頼(人気度)で、コインの相場が変動する上に、採掘の仕組が反映されており、
両替時の処理にも問題があり、その価値に同等となる金銭が、システムに蓄積されはしない。

それを考えると、両替と云うよりも、売買が適当だろう。

何より、信用・信頼が通用する範囲が限られ、安全・安心には程遠い実態と言える。

また、難易度が向上を続けるのだが、流通量の厳格な制限がされず、コインは徐々に増加を続ける。

そう、節度を調整する厳密な機能の不足が、深刻な事態を招く可能性がある。

さらに、その価値を一定の次元で保証する、中央銀行に相当する存在が不在で、その実質は投機の対象でしかない。

結句、義務や責任を果たす者が不在で、価値や権利は非常に曖昧なのだ。

発行に上限を設ける事で希少性を演出し、取引手数料で冗長性を高めると言った、
実物を模倣した設定を付与しているが、所詮は多寡が知れた蜃気楼にすぎない。

実物を模倣した設定としたが、投機・投資の対象となる存在に、
付与されている設定を流用して、それっぽく仕上げているだけだ。

それっぽく仕上げるとしたが、既存の仕組を遠回しに置き換え、
新しきをしているかのように、何とかカモフラージュしている。

それには、以下のような例がある。

ブロックチェーンは、銀行のメーンフレームのデーターベースと変わらない。

ビットコインアドレスはカードや通帳であり、秘密鍵は手で入力するパスワードと変わらない。

コレは、より煩わしくしただけで、新しさを窺わせる要素は、微塵も望めぬ代物である。

ビットコインには、様々なメリットが掲げられているが、それらは脆弱なメリットでしかなく、精確に分析すればデメリットの塊だ。

まあ、遊び道具や経済兵器としてなら、実に良く出来た仕掛けではある。

要は、自己責任で扱うべき代物であり、本性を察知し運用すべきなのだ。

それを、把握・理解せぬ存在では、碌な利益を上げられない。

言い換えれば、勝機を逃す運命となり、大損する命運にもなる。

ビットコインの醍醐味は、その表面的な価値を釣り上げる事で、
頭が回らぬ人々を欺き・謀り・唆し、現実の金・品を巻き上げる事にある。

採掘のため、赤字・黒字になる者がいるが、正確に考慮した仕組ではなく、
現実の金銭や財産と引換とし、コインの所有者が増えようと、適正に反映する秩序すらない。

おまけに、馬鹿共に吠え面をかかせようと、最初から準備している者がいる。

あまつさえ、最大級の致命的となる欠陥に関しては、死角・盲点で悪質化・深刻化を続ける。

それには、ビットコイン特有のソレがあれば、他の存在に対するソレもあるのだ。

ビットコインの通信処理は、P2Pが主幹を成している。

P2Pは、取引をしたい複数の存在が、特定の仲介者を挟む事無く、直に取引が可能な仕組みだ。

特定のホストとなるサーバーに依存せず、多数のクライアントが直結する事により、効率的・能率的・効果的な処理が出来る。

これにより、ホストとなるサーバーのランニングコストが不要となる。

無数のクライアントが、特定のホストに依存するサービスでは、ホストに深刻な障害が発生した場合は、
そのダメージを共有する破目となって、復旧に莫大な時間を要する場合がある。

P2Pであれば、特定のクライアントに障害が発生しようとも、ダメージはとても狭い範囲で抑えられるのだ。

先に、ランニングコストが不要としたが、クライアントで分散するにすぎん。

それに、特化した高度な攻撃を受ければ、ネットワークの連結性が失われ、全体が脆く崩れ去る場合がある。

その対策として、クライアントにバックアップを分散させたり、バックアップ専用のホストを稼働させている。

とは言え、砂上の楼閣である限りは、簡単な事で台無しとなる。

我々は、それしか築けない実相に、骨の髄まで蝕まれている。

それなのに、安全・安心を標榜する程度では、意味・価値を欺瞞する風情では、
それらを鵜呑みとする若輩では、皮肉な末路を辿るばかりである。




ビットコインへ、独特の総評と考察を述べよう。

時の経過により、仕様上の都合で破綻する代物だ。

原初から座礁しており、特定の影響で沈没する。

何しろ、危険性・不確実性が非常に高く、問題・不具合の巣窟でしかない。

そうだ、惨憺たる末路を誘因する、大きな原因・要因なのだ。

それは、不可欠な至当の存在を生み出せず、想像・妄想・空想の狭域で潰える、人間・人類・社会・世界のようだ。

結局、新しい事をしているのではなく、余地がないから杜撰な組合せで、より余計な事をしているだけだ。

新しいモノを生み出す。

組合せて、新しいモノを生み出す。

ただ組合せて、それっぽいモノを拵える。

これらは似ているようで、大きく実質・本質・本性が異なる。

ただ組合せるだけでは、それをしただけ中身が空虚となって、曖昧な意味・価値が希薄となるのだ。

現実における、通貨の意味・価値を確立・維持するため、
どれだけの事をしてきたかを考慮すれば、ビットコインは極めて負の存在と言える。

コレは、延長上の存在ではなく、威を借りた虚構である。




理屈と見せかけた、屁理屈を積み上げる事で、存在が捏造・容認されて、多くが餌食にされている。

要は、様々なトリックによって、理論・根拠が贋造されて、価値を欺瞞された存在に、人々が大翻弄されている。

逆に、屁理屈を理屈と勘違いした状態で、歪な存在を生み出す者もいるのだ。

それは、必然かつ当然の流れでしかなく、改善・是正・打開をすべきだが、追求のしすぎには注意が必要だ。

したらば、我々の手元には何も残らない。

従来、悪用を前提に設計されている、金銭を収集する不穏な仕掛が、
分岐・発展を継続しているが、規制すべき立場にいる者達が、不可欠な道理は無論であるが、
理論・根拠の不在に気付けず、証明不能の虚妄を鵜呑みとし、その他大勢と共に翻弄される。

結果、不分明を解き明かせず、多くが放置されている。

皆が、同じ錯覚・感覚にとらわれて、なんだかよくわからぬ存在を、半可通で肯定・否定・放置し、
手の施しようがなくなるまで、碌に改善・是正には及ばずに、例えその打開を試みようとも、悪化させ反復するが精一杯だ。

多くが放置されているとしたが、手柄を大きくするため、より手遅れとなるまで、泳がしている事もある。

必然かつ当然の潮流により、作為・無作為の双方において、そうなるは自然な傾向なのだ。

それが、悪質化・深刻化に拍車をかけて、いたちごっこを助長してしまう。




ビットコイン(基幹のシステム・アプリケーション)を、外側の下・内側の上から見つめるか、
その上・下の階層から見るかにより、見え方は非常に大きく変わってくる。

政治・経済が立ち位置により、良く出来た仕掛けと感じる場合があれば、
不可欠から隔絶されて仕方なく形成した、貧相で粗末な仕掛けと感じる場合もある。

事件・事故においても、加害者でなければ、被害者でなければ、
制裁者でなければ、弁護者でなければ、傍観者でなければ、分からぬ事がある。

逆に、専門家であるため、有識者であるため、当事者であるため、
関係者であるため、局外者であるため、分からぬ事がある。

正確には、それまでに何をどれだけ培うか、どのような経験を積むかにより、計り知れぬ差が生じるのである。

我々は、体裁を整えるに躍起となり、歪んだ自尊心に翻弄されて、自分自身を過大に評価する。

まして、正鵠を突かれると反骨精神で反発し、碌に自己を顧みる事が叶わぬ状態で、己が無知・無智・無恥をひけらかす。

無知・無智・無恥をひけらかすとしたが、
批難・批判・誹謗・中傷をするは、他愛無い馬鹿の一つ覚えにすぎず、
使い物にならない提案しか叶わず、肯定・否定・傍観で頭打ちなのは、
多大な能力・機能・作用の欠如を、瞭然な次元で証明しているだけだ。

それに、素質が不足する者ほど、でかい声で喚き散らす。

なんせ、碌でもない実態のため、強請るが関の山なのだ。

年齢を重ねる事でそれに気づく者がいるが、気付けたとて隔絶により、それ以前の不足によって、どうすべきかが分からん。

それを把握・理解する事で、自分自身を磨き続けなければ、本当に欲しいモノは得られん。

それまでは、価値が曖昧な存在に、弄ばれるだけとなる。

それを、見抜ける器量を養わねば、そうとしかなりはしない。




如何に、価値が曖昧な存在に対して、極限までコストをかけずに、ソレがあると見せかけるか?

それには、屁理屈を理屈と見せかけ、捏造の理論・根拠により、実質・本質から遠ざける。

また、問題・不具合が発生しても、それをバラバラに扱う事で、好都合な印象を植え付ける。

さらに、デメリットをメリットと扱い、リスクとハザードを度外視する。

それに、本当に不都合な情報は開示せず、どうでもいい次元の不都合を並べ、有象無象を手の平の上で踊らせる。

他にも、ソレを演出する技法がある。

価値を容認する集団を形成し、拡大を謀るは古典的な手段だ。




全ての商材に、この素養は多かれ少なかれ内在する。

それは、仕様上の都合である。

ビットコイン(連鎖販売取引型-仮想商材)は、それが極端に悪質な状態であり、現実の通貨と絶縁すべき代物だ。

容認すれば、既存の通貨・投機・投資に影を落とす。

依存すれば、足を掬われる。

流通量を制限しようと、オンラインゲームの納金アイテムと価値は同様で、
価値があり・価値がなく・どちらでもない状態だ。

まあ、意義や真価には程遠く、意味や価値は曖昧であり、良く考えれば不要である。

屁理屈を理屈と見せかけるとしたが、ある者はビットコインに、以下の言葉を並べている。

『ビットコインは、中央権力にとらわれない、デジタルマネーだ。しかし、システムを構築した人物が誰であるかは、ずっと謎だった。金属と同様、ビットコインには中心的な権威がない。誰でも試金する事が出来るし、発掘する事も出来る。そして、金属のように供給量が限られているため、その価値は上昇する。ビットコインは、今の時代の中、美しく光り輝いている。ビットコインは素晴らしい。巧妙なデザイン、狡猾さ、どの面をとっても良く出来ている。極めて高度で安全な暗号化システム。ユーザーのモチべーションが尽きない、洗練されたデザイン。ビットコインは、単なる電子通貨だと形容する人が多いが、私は(エレクトロニック・ゴールド)と呼びたい。多人数間での取引が出来るように、スクリプト言語まで用意されている。そして何より、5年の歳月が経った今でも、ビットコインは動き続けている事実がある。鋭い人間は、これが新しい金儲けの方法だと直ぐ気がついた。新世代ゴールドラッシュの始まりだ。構築した人物は、光り輝く知性を持った人物だ。そして、世界中を取り巻く今日の問題を解決しようとしている。今日の世界を取り巻く問題の大多数を、ビットコインは解決してくれると、私は思っている。構築者は、偉大なる経済学者であり、社会工学者であり、コンピュータ科学者であり、そして世紀の大天才である。』

対象によっては、以下のように受け取る。

『ビットコインは、義務や責任を果たす者が不在で、価値や権利は非常に曖昧である。その本性は、非常に不価値・不意味でしかない、陰険な妄想・想像・空想の産物だ。おまけに、システムを構築した存在を、不得要領とする事によって、事実・真実・真相・実態・本性を暴かれ難くしている。明かしたとしても、信用・信頼を演出する事で、迂闊かつ未熟である存在を、陥れるための罠でしかない。貴金属と違って、価値・意味を明確化する権威がない。そのため、意図的に貴金属かのように扱い、供給量が限られる設定を付与し、価値を作為的に上昇させている。とは言え、仮想の何かでしかないのだ。あまつさえ、誰でも試金・採掘が出来て、その共犯者にされてしまう。実際は、一握りの存在に中枢を掌握され、この上なく不便・不自由である。採掘すら、誰もが易々と出来る事ではない。所詮は、ビズインターナショナルと同様となる、連鎖販売取引を実施しているにすぎん。ビットコインは、今の時代に暗い影を落としている。ビットコインは、えげつねえ存在である。狡猾・巧妙で、非常に悪質に出来ている。それに、極めて危険で杜撰な符号化システム。ユーザーが翻弄され続ける、洗練されたカラクリがある。ビットコインは、不出来な投機の対象であり、電子マネーに不可欠となる、等価的な価値がないのだ。あるは、あくまで出鱈目(身勝手)な相場である。ビットコインは、精確に分析すればデメリットの塊だ。ビットコインを通貨として使うならば、お財布携帯や従来の電子マネーの方が、いくらか安全・安心・実用的であろう。まあ、現金と連携するカードとの組合せが一番だ。それが、本当の無駄を省く選択となる。特定のゾンザイに扇動された不出来な人形が、それを時代遅れと言うかもしれんが、不意味な存在の維持に振り回されて、己を擦り減らす方が甚だ惨めである。多人数での取引が出来るように、多種多様な用意がされているが、加害者・被害者を集めるための、必然かつ当然でしかない。5年の歳月が経った今でも、ビットコインは動き続けているが、それだけ性質が醜悪な存在なのだ。規制が困難な存在であるは、救済が至難な存在でもあり、自慰・自傷行為と変わらん。鋭い人間は、頭が回らぬ連中から金を巻き上げる、金儲けの方法だと直ぐに気がついた。新世代ゴールドクラッシュの始まりだ。その本性によって、安寧を得る事は叶わず、見抜かれれば崩れ去る。構築した人物は、憎しみに囚われた、実に不憫な存在だ。だから、世界に渦巻く問題・不具合の、悪質化・深刻化を狙っている。ビットコインが、経済秩序の中枢となり、社会の基盤ともなれば、世界が一つに纏まると、飢餓や貧困に終止符を打てると、感じる者がいるかもしれないが、惨憺たる末路を引寄せるだけの、非常に破廉恥な自爆装置である。同等の事をする限りは、同じ末路を辿る破目となる。ただし、盛大な自爆の実現によって、終止符を打つは可能である。されど、それは非道な選択だ。例え、世を憂いてビットコインを生み出したとしても、人間・人類・社会・世界による、催眠・洗脳・暗示に浸食された、それっぽさを装った凡人による、大きすぎる過ちでしかないのだ。ビットコインや派生コインには、利益を回収する手段がある。それにより、中核となる存在と協力者が蜜をすする。とどのつまり、碌なモノがないから、より碌でもない存在を形成し、どうにか気を紛らわして、食いつないでるにすぎん。』

ビットコインを、価値があり・堅牢と感じる者がいる。

はたまた、価値がなく・脆弱と感じる者がいる。

前者は、勝手で与えられる情報を、鵜呑みにする傾向にある。

後者は、与えられる情報等を、分析する傾向にある。

とは言え、ビットコインを破壊する手順を知らぬなら、どう考えていようと両者に大差はないのだ。




ビットコインは、いくつかの設定(概念・定義)の流用により、論理的な存在に意図的な価値を演出している。

そう、好都合な認識を流布する事で、価値・意味が味噌滓な存在を、
そのように扱うように誘導し、命令に従順な存在を翻弄する。

確かに、それにより築かれた世界である。

ただ、特定の前提による環境であるため、それに不的確な存在を供給すれば、その余地・機会・猶予が減少する。

何より、物理的な商材に付与されている、酷く脆い設定を流用したがため、
それらが崩壊する事態となれば、共倒れの幕切れを迎えてしまう。

即ち、価値を意義付ける存在が瓦解すれば、流用した価値が体を成さなくなって、
実質・本質・本性が露呈してしまい、通貨・投機・投資の対象から外れる。

はたまた、暴落・高騰の度合によっても、仮初の整合性が瞬時に喪失し、抜き差しならぬ状態にもなる。

そもそも、多大な不可欠の欠如によって、希少性・実用性はハリボテで、それっぽい存在の域を出ない。

要は、致命的な欠陥の寄せ集めと化した、複合型投機商材であるが仇となり、
危険・不安に満ちた貧弱な実態で、非常に希薄な価値しか築けはせぬ。

演出された価値でさえ、作為的な設定を信用・信頼する者と、
設定を逆手に悪用する者の間ですら、不鮮明な状態でしか成り立ちはせん。

傍観者からすれば、ただの足枷でしかない。

致命的な欠陥の寄せ集めとしたが、是正・改善が皆無・空無・絶無な、
物理的・論理的な欠陥が合わさり、脆弱性が大幅に向上しているのだ。

端的に言えば、アナログからのデジタルへの改竄で、
問題・不具合・危険性・不確実性が、助長されて新たに追加もされている。

皆無・空無・絶無としたが、時点の実相における、打開は不可能に近い。

であるからして、演出された設定を鵜呑みとしようものなら、
決して埋める事が叶わぬギャップに苛まれ、勘違いしたまま転げ落ちて絶滅してしまう。

それに精通する存在は、仕組を容易に蹂躙し、関係者を手玉に取る。

ビットコインの設定を逆手に取れば、その仕組を把握・理解し逆算すれば、
実態を計り知るが可能なだけでなく、攻略法・破壊手順の確立さえ簡便だ。

付与されている設定(先入観・固定観念・既成事実)と、
実質・本質・本性を洞察・知悉すれば、それが叶わぬ存在を屠るは実に軽易だ。

それに、実質・本質を調整した存在に、意図的な設定を付与する事で、人々を嘲弄するも可能である。

人間・人類・社会・世界が有する、迂闊さと未熟さに精通すれば、それらを滅ぼすも簡単になる。

迂闊さと未熟さに精通としたが、個人・集団・国家・国家集塊により、
識別・判別・区別・分別は当然とし、その認識には大きな差が生じている。

万人は、特定の狭い範囲で頭打ちとなり、認識が不能な事象が無数にある。

何にも増して、既成の狭い範囲ですらも、満足な状態ではないのだ。

それにより、共有・特有の弱点があるため、そこを責められようものなら、術なく滅ぼされる事すらある。

我々は、それを明晰に自覚をする事で、内側と外側の脅威を察知して、
被害者・加害者になるを退け、より良き選択をせねばならん。

さもなければ、奪い失い奪われるばかりで、浪費されて使い捨てられる。

それ程、つまらぬ事はない。




人々は、より不便・不自由な選択を、より便利・自由だと錯覚し、甚だ余計な事をしてしまい、
どうする事も叶わなくなり、どうにか適応せんがために、己を歪に変えて生きている。

それは、どうにもならなくなる現実への我慢であり、より不憫な存在への強制的な服従でもある。

この影響が、万人に狂いを生じさせる。

それに注意せねば、懐も精神も肉体も、乏しくなる一方だ。

とは言え、欺瞞による錯覚により、それを余儀なくされる。

対象により、好き好み不意味・不価値に嵌り、どんどん自分自身を追い詰める。

その反動が、壮絶な悲劇を引き起こしてきた。

壮絶な悲劇を引き起こしたとしたが、特定の前提で形成された環境に対し、
不適切となる存在を供給したならば、一方・双方が破綻・破局・破滅する。

その経過において、利益・快楽で幸せとなる者がおり、損害・苦痛で不幸となる者もいる。

幸せとなる者がいるとしたが、ほんの一時の趨勢にすぎず、大半が後者へ集束していく。

そうやって、多くの者達が絶望・後悔に曝され、より不適切な選択の餌食となった。

しかしながら、真実の言明における幸福は得られず、万人が罪過を増大させ続ける構造だ。

不適切(不一致)な存在を提供するなら、それを適切にする(一致させる)アプローチが必要なのだ。

ただし、不適切を適切と歪曲するなら、思惑は悉く頓挫し墓穴を掘り、全てが零れ落ちる一方となる。

それなのに、個人・集団・国家・国家集塊は、悪化させるに躍起の状態である。

我々は、許される時間の中において、得意・苦手・面倒な事柄を、実施しなければならぬのだ。

言い換えれば、許される時間の中であれば、それらの実施が可能となる。

そして、好き・嫌い・無関心な事も、前提が許容する範囲でしか、謳歌する事が叶いはしない。

逆に言えば、前提が許容する範囲なれば、それらを謳歌する事が叶う。

その前提を据えるは、人間・人類・社会・世界であり、それらの先進者・後進者であり、家族・友達・周囲・自分自身だ。

その礎には、自然環境による影響がある。

それにより据えられる前提は、正当であり・不当であり・どちらでもなく、常に矛盾する性質を有する状態なのである。

その前提による選択は、相反する本質・実質を把持し、尽未来際において適切でなく、
不適切を適切にする選択でも、それを回避するが叶わんのだ。

つまり、適切であり・不適切であり・どちらでもない、曖昧で矛盾に満ちた片秀な選択しか叶わない。

義務・責任・権利・意味・価値・名誉・栄誉・感情・理論・論理・倫理・常識・正義ですら、
多義的・頓珍漢・不満足な概念・定義でしかない。

だから、どんどんどうにもならなくなる。

悪化させるに躍起としたが、不可欠な条件と隔絶されたまま、
絶対にしてはならぬを繰り返し、発生した問題・不具合に対して、
適切な対応が叶う道理すらなく、悪質化・深刻化させてしまって、
誤魔化し有耶無耶とし逃走して、危険性・不確実性を向上させる。

前提たる諸条件を、正当か・不当か・実はどうなのか、吟味するには膨大な時間が必要だ。

結局は、どちらかであり・どちらでもあり・どちらでもなく、
いずれかであり・いずれでもあり・いずれでもなく、
ありのままが答えであり・答えではない状態である。

答えは、ないようであり・あるようでなく、『曖昧』が模範たる解答となろう。

それなのに、特定の壁を越えるが叶わぬ状態で、確定的な答えを求めようとすれば、永遠に考え続ける破目になるのだ。

それに、超えるべき壁は無数にある。

はたまた、その壁を越えられぬ状態で、好都合な認識の流布により、
その迂闊かつ未熟な迷夢を、確定的な答えと扱うならば、誰かに殲滅される事もある。

その実を考慮すれば、自分自身にマッチしている、目的・目標・理由を念頭に、
やりたい事を実施しながら、より良き前提を調整するが、人生を謳歌する秘訣だろう。

されども、選択を過誤したならば、意趣返しの餌食となる。




これまで、見本・手本も望めぬ状態で、我武者羅に突っ走ってきた。

それにより、それっぽいモノが築かれている。

それらは、特定の条件を満たさぬ限り、曖昧でなければ滅ぶ状態だ。

されど、曖昧でしかないため、次々と消滅していく。

だからこそ、以下の判断が重要となる。

ダメージが軽微な間に、考え直す事が出来るか?

不安がよぎった瞬間に、それを切実に受け止め、マシな選択が出来るか?

曖昧だからこそ、それを明確に自覚する事により、砕身かつ細心の注意が払えるか?

誰しも、それが下手糞だ。

それなのに、事前・未然・直前に、正鵠を明確に陳列し、提案・助言をすると、反発をする者がいる。

後でどうなるかは当然とし、目先や自分自身の事すら碌に考えられず、己が迷走・暴走に思い知らされた存在に、
提案・助言の内容が正しかったがために、止めなかった事を責められる場合もある。

思い知らされる事で、成長を促される存在がいれば、さらなる殻へと閉じこもって、どんどん腐り続ける者もいる。

提案・助言をせねば、それをしなかった事に対して、責められる場合さえあるのだ。

相手・自分の事を思い、する・しない場合があれば、碌に思慮しなかったがため、する・しないケースもある。

さりとて、その提案・助言の内容は、正解・不解・誤解であり、その提供手順に関しては、正当・不当・空漠である。

であるからして、どう足掻こうと埒が明かない。

それは、必然かつ当然だ。

そうでなければ、曖昧な状況の維持が叶わなくなる。

曖昧な状況の維持としたが、人間・人類・社会・世界は、空虚な状態より粗造された。

手本・見本は存在せず、目的・目標・理由すらなく、意味・価値も有していない、阿呆と精神薄弱だけだった。

であるからして、それをどうにか形成し、曖昧な状態とする事で、どうにかここまで来た。

空虚から曖昧となるは、不可欠から隔絶されて、無秩序に追及したため、ぐちゃぐちゃだからだ。

その曖昧により、分岐・発展・乱立・対立・拮抗・瓦解が反復される。

暫くは、それなりの地獄が織りなされるが、折り返し地点を迎えれば崩れ去る。

なんせ、総体が滅びる条件が、整えられていくのだ。

何より、最初から破滅の最中におり、アルマゲ丼の具材であるを、痛感する事態が到来すれば、人々は連鎖的に堕ちていく。

原初より、確実・絶対・完全・完璧なんぞ、求めるべきではない状況であり、それらを築ける実相にないのだ。

あるは、曖昧とせねば耐えられぬ現実と、どうであろうと儘ならぬ実態だ。

厳密には、改善・是正・打開のため、不可欠な術と答えがある。

それに準ずる、目的・目標・理由もある。

ただし、下手に提供したならば、曖昧が大きく崩落して、選択を過誤した人々が、圧殺されてしまうのだ。

とは言え、供給せずとも勝手に滅びる状態だ。

であるからして、網羅率を向上した包括的な処方により、理不尽による涙を極限まで緩和しつつ、
正真の学業・仕事・趣味に邁進可能な、より良き未来を手繰り寄せねばならん。

これまでは、どれだけ世を憂いた存在でも、蜃気楼・天麩羅しか掴めずに、不意味・不価値で潰えて来た。

そうなるは、綜合的な催眠・洗脳・暗示によって、疎放な主義・思想・信仰の虜となり、
それだけ・そこまでしか己を育めず、建前・自己都合・利己主義に弄ばれ、
憂いを齎した有象無象と同じ過ちを、繰り返すだけで精一杯だったからだ。

履き違え足を踏み外し、本当はどうすべきかが分からないのに、
思い決め・思い込み・思い違いにより、何となくそれっぽい事をしてきたのだ。

挙句の果ては、手持無沙汰を紛らわせるため、迷走・暴走を繰り広げている。

これを念頭に刻めば、些少なりとも這い上がる、目的・目標・理由ならば、万人が掴める所であろう。

さすれば、意味・価値の欠片を、築く道が開けてくる。




そろそろ、この項目を締め括ろう。

サービスを提供するには、いくつのクッションが必要なのか?

ソレを安定的に供給するには、どれだけの条件が揃わねばならぬのか?

ビットコインは、それらが好都合な目線に基づきすぎている。

それは、他のサービスにも言える事だ。

確かに、非常時の払拭が叶わぬを明確とすれば、人々が寄りつかなくなるは事実である。

そうだ、明確とすれば儘ならぬ事がある。

逆に、明確とせねば儘ならぬ事もある。

どうであるにしろ、儘ならなくなる一方なのだ。

何と言っても、安全・安心が前提なれば、最低・最悪の想定が滞る。

そのため、想定すべき事態が発生すると、想定外と逃げ惑う破目となる。

それどころか、その原因・要因を自ずと形成し、自分達で台無しとするは尋常だ。

既に、ビットコインはその最中にあり、失敗・失態・失墜を重ねている。

如何に、提供網に万全を期したつもりでも、サービスの内容に欠陥があるなら、特有の条件により万事休すとなる。

もとより、提供網に万全を期するは当然とし、完全無欠たるサービスを提供する、
それらの不足を適正に補完しうる、能力・機能・作用を有していない。

強いて言えば、それを阻害する原因・要因で満ちている。

スケールによるが、戦争・破綻・恐慌ともなれば、仮初の価値に襤褸が出るのだ。

国家・国家集塊の情勢が傾けば、設定を鵜呑みにする人々が、コインの価値を引き上げる。

とは言え、紛乱が長期化したなら、事態が深刻ともなれば、実質・本質が剥離して、負の領域へ転げ落ちる。

何しろ、物理的に保有が出来ねば、緊迫した状況では使えん。

そもそも、使い道がどんどん消えていく、ゲームセンターのコインでは、碌なモノに交換しては貰えぬ。

ビットコインは、現金や貴金属の弱さに加え、特有の弱点を内在しており、
不都合な存在がなくなれば、自己の維持さえ儘ならない。

要は、価値を担保するが信憑であり、価値を定義するが通貨のため、
そしてコレは金ではないため、特定の段階に移行しただけで、矛盾が剥離して崩壊を始める。

端的に言えば、付与されている設定が仇となり、
実質・本質との整合性が瓦解し、立ち消えを余儀なくされるのだ。

まして、横から引き抜ける仕様がある。

それが、明確となれば脆く崩れ去る。

何より、義務や責任を負担する存在が不在で、用意したとて負える道理はないのだ。

そして、信用・信頼に必要な理論・根拠が欠如し、
理屈と見せかけた屁理屈を陳列する事で、安全・安心・価値・意味を贋造している。

ビットコインは、それが極端な状態である上に、作為・無作為の罠が多すぎる。

これからも、己・己達の理想を成立させるために、自分・自分達に好都合な詭弁を並べ、
より不意味な存在への散財を促して、深刻化・悪質化を齎す者が乱立する。

それらの顛末により、催眠・洗脳・暗示の効果が、発動・消失する事によって、大きな過ちを犯しかねない。

あらゆるは、マイナスの虚像でしかなく、それが状況の推移で露呈し、
万人が悪質な心象へ推移し、家族・友達・自己を見失う。

表層の上澄から深層の深潭を、ある程度の水準で見済ませば、下手糞な魔法の効果が反転し、
より歪な状態へと追い遣られ、二進も三進もいかなくなるは、凡庸な範疇のつまらぬ流れだ。

我々は、自分・自分達の仕様上の都合によって、己・己達の化けの皮を剥がしてしまう。

それにより、ギリギリで生き残る場合があれば、それで絶滅する場合さえあるのだ。

それを忘却せずに、根源的・根本的・抜本的となる、改善・是正・打開を実現せねば、
貧乏人だろうが金持ちだろうと、うだつがあがらぬ狭域で潰える。

全者が、敗者にしか成り得ぬ実相で、誰もが以下のように考える。

『誰かが、何とかしてくれる。』

『自分は、きっと大丈夫だ。』

だが、そんな上手い話はない。

そのように過信するから、自分自身にさえ騙され続け、浪費され廃棄される結尾だ。

誰しも、本当の意味・価値・理由を知るまで、多種多様な違和感に苛まれてしまう。

現状は、そこにつけ込む者達が無数にいる。

宗教や政治に縋り、認識が好都合に歪んだ存在の餌食ともなれば、それだけ・そこまでの木偶人形にされるのだ。

それを噛み締める事により、己を研ぎ澄ますだけでなく、一変する未曾有の有事でも、
自我を喪失せぬ魂魄により、かけがえなき多くの存在を、強靭に守り抜かねばならん。

多くの人々が、能力・機能・作用の低下・欠如によって、あからさまな大嘘を簡単に信じてしまう。

迂闊かつ未熟な人々は、嘘が大きく膨れ上がる事で、感覚で本当と割り切るのだ。

虚偽に呑み込まれてしまえば、疑念の発想が封殺されていく。

それにより、死屍累々の末路が、幾度も反復された。

そうなるは、枢要との隔絶による、余儀ない運命なのだ。

その目溢に苛まれる、何も知らずに生まれ、そのまま死んでいく、我々は至極に不憫だ。

命運と言えど、デッドラインを超えすぎた。

その数を、計り知るは至難である。

にも拘らず、そのまま進まずにはいられない。

それは、一番楽な選択だからだ。

それに耽る限り、どんどんどうにもならなくなっていく。

築き上げた地獄に劈かれ、包括的な収奪に晒され、頭が回らぬ実情もある。

だからこそ、面倒から目を叛けるばかりでなく、潮流に弄ばれ砕け散るだけでなく、
より多くの選択肢を確保しながら、より良き経過・結果を辿る選択で、遥か先々へと進み続けねばならん。




三段(十) B-STAP細胞の概要と考察に続く。