2011年10月09日 14:22 潮流は、変わったかね?(改良版)


自分が、当然と知覚している事柄が、他者の場合もそうであるとは限らない。

これは、誰にでも言える事だ。

そう、自分にとっての常識が、他人には非常識となる、場合があるのと同様だ。

また、さりげなく過ごしている、その当然と認識する日々が、
かけがえのない状態であり、身の毛がよだつ状態でもある。

例えば、東日本大震災は当然とし、福島第一原発における人身事故は勿論、どうにもならぬ病気により、
家族や友人や故郷を失って、それまでは当然とした人々や場所が、何ものにも代えがたい存在だったと痛感する。

はたまた、福島第一原発における人身事故により、人々の生命と健康が脅かされ、愛する故郷が大規模に汚染され、
日本政府や電力会社や大手報道の化けの皮が剥がれ、吐き気が突き上げる状況が、
これまでに織りなされていたのだと思い知らされる。

さらに、これから白血病や癌となり、大幅に健康を欠損した場合は、
それまでの日々の素晴らしさに、強い憧れすら感じてしまう。

誰しも、失ってから実感する。

誰しも、奪われてから確信する。

結局、手遅れになるまで、それに気づけぬのだ。

例え、いつかは手遅れになると、気づいていたとしても、差し迫る状況でなければ、すらっと通り抜けてしまう。

無論、手遅れとなっても、それを把握する能力が無ければ、何処までも落下する破目となる。

そうなるのは、それが至当だからだ。

厳密には、それを当然としたからである。

現況では、様々な弊害によって、より手遅れとなる状況が、熱烈に後押されている。

それに関しては、以下の日記に記載している。

☆ 初歩的な話・・・。

注意すべきは、当然と識別する情報が、正当なのか、不当なのか、
どちらでもあり、どちらでもないかを、可能な限り精確に見極める事だ。

それにより、正統な見解を獲得せねば、後になって恥ずかしい気持ちとなり、
強烈な意趣返しに曝され、完膚なきまでに叩き潰される場合がある。

人間は、自分に『好都合な解釈』を前提に、『曖昧すぎる仮説』を採用し、『誤解した結論』を下し易い生物だ。

だから、あらゆる存在を犠牲としても、平然と暴走を続けている。

そもそも、大衆の情報精査能力は、眉唾物であるのが当たり前なのだ。

それは、情報媒体や教育機関からの影響では、その程度しか育めぬ仕組だからだ。

そう、情報を提供する側と教育を提供する側と、そのバックグラウンドにとって、
不都合な存在に成長せぬよう、作為的・必然的な調整が実施されている。

連中が、自分達に不都合な情報を、ひた隠しにしている時点で、作為的なのは明白である。

あまつさえ、それに携わる人材の能力が、権利と義務を考えられぬ程度であり、
超絶絶頂に未熟で御粗末だった事が、それを必然的に助長している。

おまけに、人間と呼ばれる卑怯な生物は、周囲との認識の差異を埋めるため、
道義的にどうなのかを無みして、場の雰囲気を読んで溶け込んでしまう。

そのため、戦争と呼ばれる空気に流され、あっと言う間に殺戮兵器となり、
狂気に蝕まれた果てに、無抵抗な子供や老人すら、
友達と一緒に惨殺してしまう。

それも、それを当然と割り切って、とても楽しそうに実施するのだ。

そうだ、自身が置かれている状況が、自分が実施している行動が、正当なのか、不当なのか、
自然なのか、不自然なのか、感覚が麻痺して有耶無耶となり、人道から遠く離れた化物となる。

それは、適宜ではない。

人類の仕様に基づき自動で形成される、陰極となる表裏一体の世界では、
様々な枠組が抱える矛盾により、全てが紙一重の状態へと追いやられている。

その世界で掲げる主義や思想は、己と第三者の建前・自己都合・利己主義に弄ばれ、
不適切に導き出された噴飯物であり、襤褸切れの雑巾と大差なき存在なのだ。

もとより、根拠は不在の状態であり、己達で捏造した根拠すら、
吹き飛ばし台無しにした人類は、何かを言える立場から落伍している。

その人類は、悪循環である袋小路の坩堝で、同じ事を繰り広げ、悪化させて繰り返すのが限界だ。

諸賢には、そこから脱却して頂き、より良き日々を満喫して頂きたい。

我々は、人としてのより良き良心を基盤とした、より品行方正な倫理・道徳・常識・正義を育み、
冷静な判断による、聡明な行動と、一生懸命な考察による、賢明な決断を心掛け、
真摯に事実・真実・現実・実質・本質・真相を見極める必要がある。

無論、諸事万端を表層から深層と深層から表層へと、双方向で分析し精査する事も重要だ。

そして、各々が他の追随を許さぬ、唯一無二の存在である事を証明しつつ、
極限までの屈託を打ち払い、理不尽によって流れる涙を相殺し、
極性の変更により、永劫の世界を築かねばならない。

私は、それを目指す者のたったの一人だ。

諸賢に傅き、より良き未来を引き寄せる事を渇望する、無数に散らばる人材の一人にすぎない。

当方は、制作と政策の二方向から、双方における三段階の活動で、是正を実施する所存だ。

率直に示せば、制作と政策で自給自足する団体を形成し、創造補佐と適宜化のサービスを提供する。

活動の趣旨に関しては、情勢が大きく傾かねば、説明が容易ではない内容だった。

その都合により、企画関連の資料に関しては、無難な内容で調整している。

まあ、それは私の尺度ではあるがね・・・。

残念な事に、情勢が傾いてしまったため、書き直す事を前提とした日記を綴り、
不足となる情報を追記した日記を編纂し、徐々に差替えている最中である。

最低限において必須となる内容を、粗方ではあるが記載出来たので、
政策活動の基盤となる、制作活動を優先して、資料やサイトの公開を進める。




この世界には、莫大な問題が実存する。

そして、無数の不完全な枠組が、相手に譲れぬ事柄を掲げ、背中あわせの枠組と対立している。

それに感化された人々は、己が所属する枠組を絶対と信じ、その主張の正当性を連呼する。

時折、根源と根本を見つめ、それを無益な争いと指摘し、対立する双方に対して、冷静さを求める者がいる。

だが、それこそ卑怯者がする事だ。

確かに、打開力が不在の相手に対し、打開力が微塵もない者達が、何とかしろと喚き散らすのは醜いが、
スタンスを崇高と見せかけて、具体策を開示する事も無く、半端な仲裁をするのであれば、
根源や根本を見極める手段すら示さぬのであれば、しゃしゃり出るのは無様だ。

そうだ、それは余計な御世話である。

中には、根源や根本を前提とし、権利を主張する全ての枠組で、
和合の精神で譲歩を決断し、解決をしろと訴える者がいる。

しかし、それが出来ぬから、現況が齎されたのだ。

そもそも、解決せぬ事を前提としている場合すらある。

政治材料として不可欠であり、解決されると双方にとって、不利益に直結する問題がある。

地下資源の実存は当然とし、埋蔵量を誤魔化してまで、奪い合いを演出している問題がある。

台頭されては嘆息する問題を、表に出さぬようにするため、目眩ましに必須となる問題がある。

例えば、日本が大戦において、近隣国にした事は最悪だ。

大陸の一般市民を、一列に並べ次々と首を跳ね落とし、血流で頭部が舞い上がり、そして地面へと落下した。

また、馬に引かせて八つ裂きの刑に処し、老若男女が斬り裂かれた。

さらに、性器に熱した鉄の棒を突き刺され、多くの人々が地獄を味合わされた。

まあ、その程度は序の口である。

幼稚園の、お遊戯のレベルにすぎない。

それより、遥かに惨たらしい事を、半島の人々と仲良く、日本は繰り広げたのだ。

無論、残虐極まりない事を、大陸の人々は実施した。

まあ、これは至極当然の事である。

それが、人類の仕様に基づく、人間の性質なのだ。

私の先祖は、現場でそれらを見せられた。

幸いな事は、先祖がそれを否定する側だった事だ。

その御蔭で、満州で多くの日本人が大虐殺される最中、馬賊の人々によって命を救われ、
収容所で人生最大の屈辱を味合わされつつも、日本へ帰還する事が出来たのだ。

満州では、多くの日本人市民が、惨たらしい死を与えられた。

それは、非常に残念な事である。

それに、大陸や半島の市民が、惨たらしい死を与えられた。

それも、非常に残念な事である。

その最中で、大陸や半島や日本の人々が、惨たらしい死を与えられた。

所詮、中国・北朝鮮・韓国・日本は、敗残者の残りカスにすぎない。

これからもガキの喧嘩を続け、大人として歩み寄らぬ限り、
地面を這い蹲るだけの、有象無象で終わってしまう。

超大国の大人『御老人』は、それを酒の肴とし、笑みを浮かべている。

私が言いたいのは、日本軍が大陸で実施した猟奇的な日常に、
志願した半島の人々が加担し、大陸での殺戮を嘆願した場合がある。

それらが、ある程度の次元で流布された場合、大陸の人々は半島への殺意に蝕まれる。

また、様々な虚偽が真実に変わった場合、半島の人々は日本に対し、
感謝の念が湧きあがり、耐えがたい矛盾に苛まれる破目となる。

さらに、日本は慰安婦問題のような、ゼロに等しい問題ではなく、
超絶の辛酸を味わった人々と、絶頂の問題で争わねばならなくなる。

たかだか領土問題で、おしゃべりをする暇すら、完全に消失してしまうのだ。

あまつさえ、我々を嘲笑い続ける連中が、その遥か向こうで胡座をかいている。

つまらぬ問題を前面に出し、それを定着させたのは、その程度を当然とするためだ。

確かに、無数に存在する思惑の一つに過ぎぬが、グローバル化やインターネットの普及により、
対立する国家の政治家や官僚が、場所を設け真面目に語り合う程に、その必要性が高いのが実情だ。

各国において、イジメた側は忘却するが、イジメられた側はハッキリと覚えている。

証言のような、捏造可能なゴミクズではない、明確な証拠まで保有している。

それを、ほとんどの人々が忘れた頃に、妙なタイミングでバラ撒かれれば、銀河掌握に面倒な事となる。

何十万や何百万や何千万や何億殺そうと、それは殺しただけである。

最大の問題は、多角的にボケ続ける頭には劇薬となる、その内容のエグさにある。

それを救えぬ各国の人々が、己への怒りに責め立てられ、惨憺たる状況を呼び寄せてしまう。

これまでは、特定の問題が解決せぬ状況であるため、多くの者が我慢して来た。

何より、我慢をするのが当然だった。

世間体の問題もある。

されど、これからの状況により、それは常に変化する。

であるからして、妙な風潮の形成は、極力避けなければならない。

はたまた、各国の政府が国民に対し実施した、吐き気が止まらなくなる事実が、
何らかの拍子で表に出てしまえば、どこもかしこも地獄絵図となる。

最悪、その挙句に誰も救われぬ、永遠の沈黙が訪れる。

そうだ、極めて冷静な目線で解決を促す者達は、根源や根本に戻りすぎるため、その辺りが見えなくなっている。

精髄の極点に気を取られ、現実が見えておらぬ上に、宗教的な観念に縛られ、物事を楽観的に見つめている。

それでは、ただの役立たずだ。




求められるのは、究極極大に情報を収集し、臨界突破の豊作を導き出す者だ。

その者には、その対立の深層となる部分で、何が実施されているかを、見極める能力が要求される。

国民が振り回されている間に、水面下では何が進むのだろう?

日本政府は、何をするのだろう?

韓国政府は、何をするのだろう?

中国政府は、何をするのだろう?

どうやって連中は、私や君の首を絞め、その家族や友人の未来を奪うのだろう?

現状は、実情の必要性に対し、スケールの小さな事を、大きく見せかけて誤魔化すのが、
それを政治材料に国民を翻弄し、様々な策謀を果たすのが、良作となる世の中である。

それを、十分に把握せぬまま、妄りに解決の道を示してしまえば、
見た事のない地獄を引き起こす、キッカケにもなりかねぬのだ。

そもそも、どれだけ大きな壁を取り払い、蟠りを無くしたと思っても、友好を妨げる壁は連綿と並んでいる。

この、魔の連環たる大迷路の寄せ集めからは、そう易々と脱出する事は叶わない。

その迷路は、巨大化と複雑化と増加を続けている。

抜け出すには、大多数の水先案内人が必要だ。

その、実態を理解した上で解析せねば、真実には永遠に辿りつけない。

それには、大局的・対極的・大曲的に時事を見つめ、
コインの裏側と横側と全体に精通し、素材すら熟知しなければならない。

そのため、領土問題や拉致問題や慰安婦問題が、ありとあらゆる存在に対し、
どのような心理戦・撹乱戦・ 陽動戦に利用されているのか?

それすら、把握せねばならぬのだ。

無論だが、リスクを十二分に見通す能力が必須となる。

そう、最悪の場合はどうなるかを、より正確に精査する能力が不可欠なのだ。

国交を断絶した場合どうなるか?

韓国や中国や北朝鮮と国交を断絶した場合、アニメや特撮や邦画の単価が安い部分を、
アチラに依存しているので、日本のコンテンツ業界が、停滞する可能性がある。

※ 韓国や中国では、日本の法人が進出し、現地の方々を雇用し、作業をしているケースがある。

※ 北朝鮮は、中国本土と自国の双方で作業をしている。

全体の依存率は低いが、面倒な行程の依存率が高いため、
それがなくなると首を絞められる者が、大量に出るのは確実だ。

このように、特定の業界に対しても、どのような影響が発生するか、考えられる人材でなければならない。

戦争ともなれば、便乗行為によっても物価が上昇し、他にも様々な弊害が発生する。

何より、家族や友人は当然とし、己すら抹殺される可能性がある。

そうはならぬため、何をすべきかを導き出さねばならぬのだ。

ニセモノの政治家やニセモノの専門家は、腐った枠組に染まっているため、それを求める事は絶無である。

既に連中は、口だけの御人形さんだ。

様々な問題を道具とし、国民の骨までしゃぶる者達すら、それをピンぼけの状態で実施している。

であるからして、下手にそれに賛同すれば、死屍累々の状況へ、追いつめられてしまう。

政治家は、細かい情報の精査を、度外視した状態で、自己満足を垂れ流す。

そして、様々な枠組は問題が露呈せぬよう、全力で我々の成長を妨げている。

国会と呼ばれる、茶番劇を見つめれば、それは一目瞭然である。

連中は、己に都合のいい言葉を並べた、チンケなパフォーマンスで、誰かさんの思惑を通し、
言い難い言葉がある場合は、相手に批難や批判を実施させてまで、言える状況を作為に形成する。

これでは、ただの御人形さんだ。

最悪なのは、根源や根本の遥か手前で、どちらかに所属した状態で、
自分の側の主張を正しいとし、双方に自粛を求める連中だ。

そいつらは、矮小な精神でいい気になっている、火に油を注ぐだけのクソッタレ共だ。

話を、ややこしくするだけならば、相手の感情を逆なでするだけならば、そこからとっとと消えてくれ。

特に、日本人が注意すべきは、行き過ぎた行動を実施する、非愛国者や非国民の跳梁跋扈だ。

陛下の御気持ちを裏切り、皇室に泥を塗りたくる、虫ケラのような連中には虫唾が走る。

国家を憂いた愛国者が、何の打開力も無い状態で、抗議活動をしようものなら、それは敵国の手先である。

そうだ、野卑に愛国心を謳い、暴言を吐く者達こそ、真に排斥すべき存在である。

あまつさえ、神々すら愚弄する、その愚かな振る舞いは、神を信じる資格すらない、不心得者の自殺行為だ。

そこまで愚かだから、読むべきではない空気に踊らされ、永遠と続く階段から落下を続けている。

確かに、自然に身を委ね、振り回されるのも一興ではあるが、諸賢には相応しくないのが実質である。

おまけに、何処までも歪んだ上に、己の保身を重要視し、他者のリスクの向上を謀る者が横行する。

あれだけの原発事故が発生したのだ。

信義により、原発問題と向き合う者なら、それは知っている事である。

また、己の保身すら度外視し、他者の生命と健康を脅かす者が出現する。

主知的で、責任感が強い者なら、それは知っている事である。

さらに、福島第一原発クラスの核燃料による、史上空前の原子力事故が発生したのだ。

数年も経たずに、屋外での抗議活動に参加するのであれば、取り返しのつかぬ状況に陥る恐れがある。

その結果、抗議活動を扇動する者は、莫大な罪を背負う可能性がある。

まあ、脱原発を唱える者であれば、それは知っている事である。

時空制覇において、室内でも可能な活動は無数にある。

関東と東北では、それに従事すべきだ。

大御所の方々は、それを良く御存知である。

もとより、相手の能力を精査すれば、早期に動けば状況を悪化させ、無駄な体力を浪費する事となる。

だからこそ、隠然で多くの者達が、やるべき事を実施している。

暫くは、目に見えぬ暗雲が、晴れる事は無い。

ですので、皆様には家族と友人との時間は勿論、御自身の時間を大切にして頂けると幸いです。

過去の日記にも記載しましたが、抗議活動は世論には関係ありません。

人類震撼において、国家がそれに屈服すれば、テロリストにすら甘く見られます。

連中は、政治家と同じように、自分に都合のいい言葉を並べ、国家の転覆を狙う害虫の可能性があります。

そのような思惑の介在に関しては、日本政府のコモンセンスが高い方々も、強い危機感を御持ちです。

それも、悪循環の一つの要因ですが・・・。

私達は、公共性が高度な世論調査で、真面目な気持ちを示せば十分です。

それが、日本の国民に求められる資質ですからね。

現況では、迂闊な行動は避けねばならない。

そこで、無頓着に人々を動かすのは、アマチュアかテロリストだ。

そして、一騎当千の兵を揃え、絶好の機会を狙うのは、プロフェッショナルかテロリストだ。

状況をかろうじて精査し、どうにか成すべきを見極め、ほそぼそと突き進んでいるのは私である。




現状は、あらゆる放射線による影響はオマケとし、
生命・健康を脅かす原因と要因を総合した、
総括的な健康管理が望ましい状況だ。

それは、万人が適当なリスクすら考慮しなかったため、
多くの環境的な問題が、手遅れの状態となっているからだ。

それに、福島第一原発の人身事故による、放射線による健康への影響は、
前提条件の極小化と、採用する仮説や解釈の選択により、
安全・安心と誤魔化すのが、精一杯の状態だ。

将来の政権は、健康被害が顕著化した場合、過去の日本政府や専門家や関係者が、
虚偽を並べていた事は明白と掲げ、それに気付けなかったのは、被害者の責任だと訴える。

おまけに、前提条件の極大化と、仮説や解釈の選択により、
危険・不安な状態だったとし、現状と真逆の方法で国民を翻弄する。

要は、事故の以前から危険な状態だったので、そうなるのは当然だったと掲げるのだ。

あまつさえ、安全・安心と垂れ流していた連中を、
政府は巨悪の権化と扱い、大衆のストレス発散に利用する。

はたまた、主に抗議活動を対象とした、サイレントテロ(予測不能破壊工作)の横行もあり、
デモには参加の以前に接近せぬ事を推奨するが、福島第一原発クラスの核燃料による、
史上空前の原子力事故が発生したのに、自己責任で屋外で危険となる行動を、
率先して実施した方々には、好ましくない作文が編纂されている。

何より、浸潤した放射線物質が、オマケにしかならぬ程に、様々な有害物質に冒されている、
不測の事態の演出に最適な、震災瓦礫が日本中で処理されるならば、やたらと出歩くものではない。

そうだ、アリバイに利用可能な存在は、それなりに危険でなくては意味が無い。

ちなみに、震災による瓦礫を、遠隔地で処分したい連中は、無能か悪人のどちらかである。

率先して、受け入れる側の人材にも、多大な注意が必要だ。

少なくとも、碌な人間ではない。

それと、内部・外部の勢力が、前例を形成する事で、原子力政策の見直しを、促そうと画策している。

これらは、氷山の一角から零れ落ちた、水滴程度の内容である。

まあ、全ては当然と成り果てる。

結局、失ってしまい、奪われてしまい、手遅れとなるまでは、すらっと通り抜けてしまう。

私は、それを看過するのは、どうにも耐えられない。

どちらにしろ、従来の手法は当然とし、それを発展させようとも、対処が不能となる時が来る。

根源と根本を見つめた、裏をかいた自然と見える支配すら、通用しなくなる状況が必ず到来するのだ。

この世界では、多くの者が自己の利益を追求し、社会に与える影響を考慮せず、多種・多様なサービスを提供する。

それにより、多くの人々が、苦しめられてきた。

その歪は大きくなり、詐欺に相当するサービスを実施する連中の、家族や友人を迫害するサービスまで誕生した。

そのような、高度なシギントシステムを利用した、とても痛快な制裁が成り立つ時代である。

そもそも、国内・国外の双方から、地上・宇宙の両方から、人類は監視されている。

それには、様々な目的がある。

我々は、それを把握する事で、最悪の末路を未然に防ぐため、
有事の際に生き残るため、己の醜態に歯止めをかけねばならない。

まあ、そんな事は念頭に置いておくべき、小さな事柄の一つにすぎない。

ここ数年で懸念すべきは、オウム真理教が本来の計画を実施せぬか、
それより上位の団体が、同等かそれ以上の計画を実施せぬかだ。

世間を騒がせた、オウム真理教の本来の計画は、東京上空からのサリンの散布程度ではなく、
原子力発電所を中心とした、エネルギー施設の壊滅と、特定の施設を対象とした破壊工作である。

連中は、かの独裁者の予言を現実化するため、その実施を計画していた。

当時の事件は、ウォーミングアップ程度のレベルであり、
その効果の測定を実施し、前例を社会に刻む事で、
後発となる計画を円滑にする材料にすぎぬ。

要は、どの程度の被害が発生するかを検証し、予備知識を大衆に植え付けるのが目的だったのだ。

確かに、オウム真理教は姿を消し、関連団体も弱体化しているため、無用の心配なのだろうが、
政府の代替となる組織を形成し、混乱の最中に政府関係者を抹殺し、
入れ替わるのはオーソドックスな方法である。

閉塞感が強い国家は、情報と認識をバラ撒くだけで、簡単に地獄となってしまう。

中国や韓国や日本に関しては、そこまで簡単ではないが、要点を押さえれば難しい事ではない。

だが、それをしてしまえば、迷路が巨大化と複雑化と増加を続けるだけである。

だからこそ、それは回避せねばならぬ。

今後、思惑の擦れ違いや、引き継ぎの放棄や、枠組の弱体化により、不具合の発生が懸念される。

それらが、大きな問題に発展せぬ事を祈る。

果てに、中国・北朝鮮・韓国・日本が、ひとまとまりで吹き飛ばされ、それを酒の肴とされるのは、非常に歯痒き事である。

腹立たしいのは、そうなった場合において、その地域につけられる名称だ。

その末路を未然に防げるかは、それを当たり前とせぬかは、そこに生きる人々に委ねられている。




潮流は、変わったかね?

それは、現状を見れば、一目瞭然である。

抜本的な変化はなく、当然の流れによる必然が、傍若無人に過ぎ去っただけだ。

これまで、脱原発に燃える獅子達が、どれだけ雄叫びを上げた事か・・・。

だが、それによる実質的な変化は微塵も無い。

例え、変化と感じる部分があろうとも、ありきたりな出来事にすぎぬ。

至心により、本質的な是正に望まぬ限り、変わらぬ潮流に流されるだけなのだ。

誰より、脱原発を訴える知識人は、その事実を知っている。

どれだけ、紳士的に真実を訴えようと、己が執筆した本の売り上げしか、変える事が出来ぬ事を・・・。

しかし、打開の道は存在する。

より良き世界の雛型を形成し、それに対する支持を獲得し、現実へと展開するのだ。

最初は、ただの空想である。

それ以上である、道理は存在しない。

それでも、人々の想いを受け止め、それを明確に洗練すれば、いつしかそれは現実となる。

我々は、それを諦めてはいけない。