2011年06月19日 20:54
安全な寿司を食したい。放射性物質は、隠し味にはならぬ。(改良版)
私の情報源は、原子力推進派である。
厳密には、そちら寄りの方が、多い状態なのだ。
当方は、その分野に魅力を感じるが、既存の原子力発電所は勿論、高速増殖炉のような、出来損ないの玩具には興味が無い。
原子力は、宇宙へ飛び立つため、宇宙を開拓するため、宇宙で生活するため、必須となる科学と考察する。
現状の原子力発電は、その発展の弊害にしかならない。
応急処置が不十分な福島第一原発に対し、東京電力は不毛な事を続けている。
何より、未知数の汚染水の浄化に、不手際が余りにも目立つ状況だ。
東京電力・日本政府の能力では、汚染水の浄化すら、無謀と言える状態だ。
理由は、十分にミス・トラブルを想定し、問題に対応するノウハウが、欠如しているからだ。
それは、個人ではなく、組織としての欠如である。
それが、ノーミス・ノートラブルを心がける、個人の品質を低下させ、その向上を阻害している。
一昨日、新たなロードマップ(工程表)が公開された。
それを拝見すると、至れり尽くせりのように感じるが、実質はかなりアバウトである。
そもそも、広報の材料にすぎない。
結局、国王・女王の様に着飾っても、中身は農民と大差が無いのだ。
そのため、資料に誤魔化され、本質を見失わぬ注意が必要だ。
東京電力が理論的・論理的に、不可能・不可解な事を繰り返すのは、漠然とした対応を続けているからではない。
全ては、作為的・必然的に形成された、許しがたい意図があるからだ。
それは、東京電力のスタッフは当然とし、下請けのスタッフを裏切る下賤な思惑だ。
それにしても、笑うしかないを通り越し、永遠に笑えなくなるような事実が多すぎる。
確かに、不可能な問題も積算するが、そんな事は可愛らしい事実だ。
最悪は、可能を不可能に変え、不可能を可能とみせかけ過ぎた事である。
原子力が無くとも、夏場の管轄地域を1.2個分、余裕で賄える発電能力があり、それが東日本大震災でも健全な状態だった。
要は、計画停電が不要な状況だったのだ。
電気の供給網の健全性は、粗方確認する事が出来ており、停電した個所を復旧すれば、それで済む話だったそうだ。
だが、従来の宣伝計画が稼働し、管轄エリアを賄う事を不可能とした。
電車の停止は、原子力発電の有り難みを、国民に刷り込むための目玉となった。
これは、東京電力の社員から、私や友人(同社の社員を含む)・知人が拝聴した事である。
計画停電で、『殺された方々』や 『自殺させられた方々』の事を想うと、深い憤りを感じる。
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※ 補足(2012/06/22)
以下は、次の月に記載した日記だが、関連した内容を後半で扱っている。
『全てを失う前に・・・。』『「原発推進用」世論対策マニュアル 』(改良版)
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私が、一番気に食わなかったのは、火力・水力で生産した電力を、原子力の成果としていた事だ。
そう、高速増殖炉が頓挫し、原子力発電すら座礁していた・・・。
可能を不可能とし、不可能を可能と見せかけていたのは、愚の骨頂である。
そもそも、原子力発電は、電力会社が最大の利益を上げるための存在である事は当然とし、
特定勢力の政治活動の潤滑剤でしかなく、顧客への還元は極限まで削られていた。
要は、原子力発電は、面倒な部分を徹底的に除外すれば、非常に安価となる。
そのため、その状態を基本とする事で、火力より安く見える額まで単価を吊り上げ、可能な限りの金儲けに走ったのだ。
あまつさえ、電気料金を包括的に増額していた。
そして、その危険性を後ろ盾とし、政治家が金をバラ撒き、その権力の礎とした。
しかし、その面倒な部分を考慮すると、原子力の経済性は、完全無欠に失われる。
また、福島級の事故が発生すれば、数カ月で数兆円単位の経済損失が発生し、
その廃炉の作業に到っては、数千億円から数兆円(福島第一原発は、十数兆円~二十数兆円の見積がある。)が必要となる。
さらに、廃炉に必要となる期間も経済損失が発生し、その損失は勿論、健康被害を含めた、
正当性論理に基づく保証額は、数百兆円にも及ぶのだ。
原子力発電は、様々なエネルギー分野の発展を阻害し、
それらを根底とした、無数のテクノロジーの進歩すら、ドブに捨てて来た。
おまけに、原子力分野自体の発展を、拒絶する状況を形成した。
それでも、原子力発電を続けたい理由は、既存のあらゆるエネルギー権益にぶら下がる連中が、現状を変えたくないためだ。
そう、原子力が無いと困るのは、他のエネルギーは勿論、それらを根幹としたテクノロジーに、群がる者達なのだ。
各々の業界で、効率的に儲ける仕組みが形成されており、それを維持するためにも、従来の原子力発電が必要だ。
面倒な手間が増え、忙しくなる事こそ、連中が嫌う事だ。
それは、誰しも同じである。
我々は、人生を通じて、電力会社に電気料金を支払う。
それを考察すると、電力会社による顧客への対応は、不条理で理不尽だ。
顧客から電気料金だけでなく、自己都合に必要な金銭まで奪い取り、その生命・健康を脅かしている。
そもそも、安全な発電方法は存在しない。
原子力発電に到っては、顧客・大衆にとって、安全が無限絶無を突破し、臨界突破において超弩級の危険である。
不遜な人材は、原子力発電の世話になって来た事を掲げ、話を有耶無耶にしようとするが、
自民党・民主党・共産党・東京電力のスタッフが仰るには、御世話になっていない事となる。
どちらかと言えば、他のエネルギーと一緒になって、我々が面倒をみていた状態だ。
もとより、当たり前の事を、恩着せがましく言われても、反吐が出るだけだ。
それにしても、光速突入において、絶大な問題がある存在に対し、肯定する感覚を持ち合わせるのは、非常に不気味である。
そのような、矛盾と偏見の塊にはなりたくない。