2011年06月05日 01:16 安全な場所はあるのか?(改良版)


福島第一原発を中心と捉えると、危険認識は以下のように変化する。

福島市の人々は、避難区域が危険と感じている。

東北地方(福島県を除く)の人々は、福島県が危険と感じている。

関東地方の人々は、東北地方が危険と感じている。

中部地方の人々は、関東地方・東北地方が危険と感じている。

近畿地方の人々は、中部地方・関東地方・東北地方が危険と感じている。

中国地方の人々は、近畿地方・中部地方・関東地方・東北地方が危険と感じている。

九州地方・四国地方・北海道の人々は、本州が危険と感じている。

世界の人々は、日本が危険と感じている。

我々が、本質的に見つめるべきは、世界からの認識である。

以下の日記を軸とし、総合的な見地で過去を辿って頂ければ、それは紛れもない事実となる。

☆ 原発は、本当に安全なのか?

だが、我々の麻痺した感覚と、都合のいい情報にしがみつく習性が、その本質を拒絶する・・・。




究極極大の問題は、研ぎ澄まされた洞察力で、正当な決断を下すべき者達が、
我々を遥かに超えた次元で、都合にしがみついた事だ。

故に、現状は惨憺たる状態である。

連中の不遜は、これからも続くだろう。

それが、我々を何処までも追いつめるのだ。

大衆に、間違いだと指摘されても、それが正しいと断行された先で、
やはり間違いだったと露呈した場合の反動は、大衆の無抵抗神話を崩壊させる。

最悪、政治家や富裕層の処刑が、美徳とされる状況すら形成しかねない。

今後、その流れをより容易に、形成可能な状態へ、連中自身が導いていく。

それは、適宜ではない。




最悪の末路を未然に防ぐには、責任を共有する勢力が、双方に対し譲歩を避ける事である。

超絶絶頂に、実施してならぬのは、『ガス抜きの茶番』に相当する行為を、何度も繰り返してしまう事だ。

それを、何度も実施すると、全ては茶番であると断定され、捲土重来の猶予すら奪われるのだ。

何より、積算する『あの時ああしていれば』は勿論、そこから『いくらでも、それが出来たのに』が無数に湧きあがり、
作為的・必然的に大衆に植え付けた、仕方が無かったと言う認識が消失し、誰も制御不能な状態へと陥ってしまう。

もし、それが現実化すれば、連中に対する安全な場所は、極限において絶無となる。

勿論、我々に対しても、莫大な弊害が発生する。

そうなってしまえば、もはや安全と言える場所は無い。




現時点で、公僕を中心とした勢力は勿論、宗教を中枢とした勢力が、一騎当千を狙い、次の破局を待ち受けている。

それには、連中を滅ぼす志向性組織、連中を救う志向性組織、連中に無関心な志向性組織が存在する。

方々は、己達を正当化する大義名分が、確実に揃う事を望んでいる。

そのため、連中が臨界突破に避けるべきは、自己を擁護・優遇・正当化する事である。

銀河超越において、見て見ぬふりが横行すれば、途轍もない地獄の終焉が描かれる。

まあ、これも作為的で必然的な、つまらぬ流れにすぎない。

私は、子供の頃から実施すると決めていた事を、必然的にカスタマイズし、作為的に実施する所存である。

それでも、所詮は必然だ。




現状では、福島第一原発の350Km圏外であれば、ある程度は健康の保全性が期待出来るそうだ。

しかし、原子力関連施設の30km圏内は、何処に関してもギャンブル状態である。

そもそも、勝ち目のないロシアンルーレットをしているのに、負ける可能性しかないギャンブルをしている状態だ。

我々は、この悪夢を終わらせる必要がある。

さもなければ、全てが泡と消えるのだからな・・・。