龍神様の雨乞い

 たまたま、外へ出ようと考えたのは数十分前のことだ。
 家の外へ一歩出ると、ねっとりとした熱い空気が全身にまとわりついた。これから季節は涼しくなっていくというのに、まだ暑苦しさが残っている。
 額から頬にかけて流れ落ちる汗を乱暴に手の甲で拭う。
 そのまま手を下に下ろすと、少し先に誰かが立っているのに気付いた。

「そんなところでなにをしているんです?」

 近づいてみれば、見知った顔の男だった。

「お、珍しい顔に会ったな。龍神様が雨乞いするっていうんで、その手伝いにかり出されるところだ」
「ああ……最近は日照りが続いてますものね」

 そういえば、ここ最近雨が降っていない。地面は干からび、地割れが起こっている場所もあるそうだ。
 これから実りの時期になるというのに、この調子では今年はあまり期待はできないかもしれない。

 この土地は他と比べて水で悩まされることは少ない。
 土地の守り神が龍神様だからだ。水に関するある程度のことは、龍神様が何とかしてくれている。
 それなのに、今回の干魃は避けられないのだろうか、と疑問に思ったが……まあ、龍神様が雨乞いをするのであればきっと大丈夫だろう。
 ――……もっとも、竜神様の上に御座おわす水神様がその願いを聞き届けて下さらなければ意味がないのであるが。

「ところで、お前こそこんなとこでなにやってるんだ?」

 唐突に、男はそう問いかけてきた。きょとんとした表情でこちらを見ている。
 私が普段は別の道を使っているからだろう、ここを通ったのが不思議に思ったようだ。
 西日が照りつける通りに二つの影が伸びる。

「偶然ここを通っただけです」
「お前、暑さに弱くなかったっけ?」

 よくここを通れたな、と言われて思わず苦笑いを浮かべた。
 偶然、というよりも家から目的の場所まではここが一番の近道なのだ。
 ……たとえそれが、いくつもある通り道の中で、一番暑いところだったとしても。
 私は残念ながら暑さが苦手だ。だから今は一番苦手な季節。

「黄昏時っても……まだまだ暑さが残ってんな」
「そうですね。早く涼しくなってほしいものです」

 小さなポーチに入れておいたハンカチを取り出して、溢れてくる汗を拭う。
 ああ、本当に暑い。

「……この道ってことは、河原に行くのか?」
「あら、よく分かりましたね」

 当たり前だ、と男は得意げに鼻を鳴らした。

「この道から一番近いっていやぁ、河原しかねぇだろ」
「ふふ、そうでしたね」

 一気に気持ちが高揚したのだろう、男はまるで無邪気な子どものような表情になった。
 この時間は西日が強いが、この通りを歩いていった先にある河原はとても涼しく、夕涼みには最適な場所なのだ。

「俺も水浴び行こうかなあ」
「龍神様の手伝いはいいんですの?」
「……言うな」

 喜びもつかの間、がっくりと肩を落とした男を見て思わず笑った。

「笑うなよ。俺が苦労してるの知ってて、それ言っただろ?」
「まあ、あの龍神様ですし」

 ――先代の龍神様が亡くなり、新しい龍神様が迎えられたのは記憶に新しい。その新しい龍神様がまだ若いということもあり、周りが慌てふためいているらしい。
 男もまたその内の一人である。

「良い子だとは思うけどよ。だけど、まだ俺よりも若い餓鬼が龍神様だぜ?」

 こんぐらいのちっこい奴、と男は自分の腰ぐらいの高さを指した。確か、生まれてからまだ七十かそこらだっただろうか。

「私が二百二十一で、あなたは二百三十二でしたっけ?」
「おう。先代は三千五百五十二……だったよな。先々代と比べたら長生きしてたな」

 龍人は長命な種族だ。世界には短命な種族が多い中で、長い者は数千年もの歳月を生きるという。
 その中でも特に、龍神の直系はさらに長い時を生きるという。

「直系って大変だなー」
「あと先代の側近とのいざこざもあるようですね?」
「ああ、爺どもな。いい加減に引退しろってんだ」

 ぐちぐちと男が『爺ども』の愚痴をこぼす。
 やれ若いから別の者を龍神様とせよとか。やれ若いから政が分かるわけがないとか。
 生きた年数が多く、数多あまたの智恵を持つ自分たちが偉いのだとほのめかしているのは丸見えだ。若いことを逆手に取り、あわよくば龍神の座を牛耳ろうというのだろう。
 困ったものだ、と私はため息をついた。
 こればかりは直系の血が必要であり、それ以上に、龍神たる才が無ければなれるものでもない。それを理解していない輩が多い。
 欲深い彼らは、ただ、その『龍神』という証だけを欲している。

 そんなことをつらつらと考えていた時、高い声が耳に届いた。
 聞き知った声に、思わず男と目を合わせる。

「お呼びみたいですよ」
「……そうみたいだな」

 声のした方へ顔を向ければ、てってってと走ってくる小さな影。
 それは豪華な衣装に身を包んだ幼い龍神だ。走るたびに、両腕を飾る腕輪がしゃらんしゃらんと不思議な音を響き渡らせている。
 その後ろには、やや遅れて付き人と思われる者も走っていた。何事か大声を上げているようなのだが、言葉になっていない。

「また逃げてきたようね」
「勘弁してほしいんだけどなぁ。とばっちり食うの俺なんだけど」

 がりがりと頭をかく男を見上げた。
 そう言いつつも、男の表情はとても朗らかだ。
 ――……それは、まるで、親が子を見守るようなそれに似た雰囲気。
 それがあまりにも微笑ましくて、つい思っていることがこぼれてしまった。

「頑張れお父さん」
「父親じゃねえよ!」

「同じ書き出しでどれだけ違うストーリーを作れるか」企画に出した作品(を少し手直し)。
龍人の男女と幼い龍神様の一コマを書いた小噺。勢いのまま書き連ねたので細かい設定とか考えてたのですが、さらっと出しただけにとどまりましたのでここでちょっと蛇足。

龍人・・・読んで字の如く龍の血を引く一族。長命種。

龍神・・・過去に存在した特に力の強い龍人のことをそう呼んでいた。今はその龍神の血を引く直系であり、龍人たちをまとめる長になる者のことをいう。神という字が入っているけれども神様ではない。現龍神様は御歳七十。人間の年齢で換算すると七歳ほど。まだまだ若く幼いので回りがてんやわんや。

水神様・・・龍人たちが敬う神様。こちらは本当の神様。読んで字の如く水を司る神様。

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© Takaharu Tobise.