パンと告白

「よう、キュヘレ。今日もしけた面してんな」

 かけられた声に、少女は眉を寄せながら顔を上げた。
 ここは町の中にある小さなパン屋。質素で落ち着いた趣きのある外装をしていて、内装も同じように落ち着いた雰囲気がある。
 そして、先程声をかけてきた青年はこのお店の店主であり、顔なじみだった。
「うるさいわね、生まれつきよ」
 少女――キュヘレはむっとした。これで何度目だろうか。軽く受け流せばいいのに、いつも突っかかってしまう。
「おーおー、そりゃあ残念なこった」
「シュトレンっ!!」
 青年――シュトレンはけらけらと笑いながら、手に持ったお盆を差し出した。
「怒らしたお詫びに、新作の試食してかねぇ?」
 お盆の上には白い皿があり、その上に一口サイズの赤いパンが載せられていた。よくよく見れば、パンが赤いのではない。表面に何かの果実を煮詰めたジャムが塗ってあった。今の時期に穫れるのは、アリャーアの実か、それともミャノレの実か。
 彼のクリムゾンの瞳のような色をしたパンを、じっと見つめる。
「不味くはねぇからさ」
 少女が手を伸ばさないことをどう思ったのか、彼はそう言った。
 その言葉に、キュヘレは渋々といった感じで手を伸ばす。彼の言葉を疑っているわけではない。彼のパンが美味しいのは毎日食べたいと思う私が保証する。

 ……そう、毎日食べたいと思うほどに、彼のパンは美味なのだ。

 一つ取って、ひょいっと口に入れる。その瞬間、果実の甘酸っぱい味が口内を広がった。これは、アリャーアの実か。小指の爪ほどの大きさしかない実。果皮は赤く、皮を剥いた果肉はさらに濃い赤色をしている。酸味よりも甘味が強いこの果実は、生食をしても美味しいがジャムやジュースにしても美味しいのだ。
 このパンにはそのアリャーアのジャムが表面に塗られており、さらにはパンの中にも練り込まれているようで、断面には白と赤のマーブル模様が見える。
「……美味しいわ」
 正直に思ったことを口にする。
 すると、シュトレンの顔がほころんだ。
「まじで!? よかったあ……今回のはちょっと失敗したかもって心配してたんだ」
 本当に嬉しそうな表情を浮かべる彼に、思わず目を瞬かせる。
「失敗?」
「おう。ジャムがなー、どうにも甘ったるくなっちまってな」
 甘く……そういえば、果実の甘さがあまり無かったような。
 皿の上からもう一つ摘まんで口に入れる。何度か噛みしめて、飲み込んだ。
 確かに、甘すぎるかもしれない。個人的な好みとしては嫌いではないけれども、これから一般向けに販売していくならば、もう少し抑えた方がいいかもしれない。
「……どれだけ砂糖を入れたのよ」
「いやあ、ジャムだから甘くないといけないなーっと思って。どさっと入れた」
 どさっと入れた、という彼の言葉に天を仰ぎそうになった。実際にどのくらい入れたのかは分からないが、『どさっと』という表現を使うぐらいだ。たくさん入れたのだろう。
「……あなたはアホなのかしら」
 ぼそりと彼に聞こえないくらい呟く。
「とりあえず砂糖の量は減らすべきね。もしくは砂糖の変わりに蜂蜜を入れてみるとか。あとは……確か、レメラの身の絞り汁を入れるところもあるらしいわね」
「おお、なるほど! 今度試してみるよ」
 にっこりと微笑まれて、キュヘレはなぜか心が落ち着いていくのを感じた。
「そしたらまた試食してくれよ?」
 けれども、かけられたその言葉に返事をすることができなかった。
 どくん、と心臓の鼓動が近くで聞こえた気がした。
「……どうした?」
 キュヘレの様子が変わったことに気づいたのだろう、怪訝な表情ではシュトレンは問いかけた。
「…………私は、もうここには来られないわ」
「はあ!? な、なんで」
 そうだ。この和やかな時間ももうすぐ終わってしまうのだ。
 キュヘレは眉を下げて、ぽつりと言葉を落とした。
「病気、進行してて」
「……」
「もうすぐ病院に入院するの。入院したら」
 もう、来られない。
 少女は視線を下に落とし、俯く。
「……」
 どうしてだろう、急に胸が痛くなった。
 その痛みに耐えるように、ぎゅっとスカートを握りしめる。
「……キュヘレ」
「…………なによ」
 突然、名前を呼ばれて少女は顔を上げる。
 クリムゾンの瞳と視線がぶつかった。

「俺と結婚してくれ」

 ぽかん、と開いた口がふさがらない。
「っ!? はあっ!?」
 呆然と彼を見つめていたが、混乱した頭が言葉の意味を理解すると同時に、わなわなと体が震えた。
「あなた何を言ってるのよ!」
「ん? ああ、結婚はまだ早いか。俺と結婚を前提に付き合ってくれ」
「な、な、な……っ」
 何を、馬鹿なことを!
 怒りか、それとも羞恥か。真っ赤に染まった顔で、キュヘレは彼に掴みかかった。
「いきなり何を言うのかしら!!」
「いやあ、実はずっと言おうと思ってたんだけど、なかなかタイミングがつかめなくてな」
「今もそのタイミングじゃないわ!!」
「いや、今がそのタイミングだろう」
 しれっと何でもないように言うシュトレンに、思わず非難の声を上げようとして、それは叶わなかった。
「だって、お前がもうここには来られないって言うから」
 二度、三度と口を開閉するものの、 言葉を発しようとした口は、何の音も出てこなかった。
 するすると激昂した感情が落ち着いていく。
「……それ、は」
「俺としてはこのままお前とお別れは嫌だなって」
 だから今言ったんだと、シュトレンの台詞に、キュヘレは戸惑いを隠せなかった。
「そんな訳で俺としては付き合ってくれると嬉しいなと」
 なにが、そんな訳なんだ。
 ぐるぐると混乱する頭の中に、ただ一つだけ、言えることがあった。
「……ありえないわ」
「ん?」
「ありえないって、言ってるのよ!」
 きっと彼を睨みあげれば、彼は不思議そうな表情を浮かべて私を見下ろしていた。
「私は、もうすぐ死んじゃうのよ。そ、それなの、に、なんで……っ」
 怒りは長く続かなかった。勢いで怒声を上げ、しかし徐々にその声音は小さくなっていく。息が詰まりそうになり、最後の言葉は自分でも聞き取れないほどにかすれていた。
 彼の好意は――嬉しい。嬉しいけれど、だからこそ、その好意を受け取ることはできない。
 私を蝕む病気は、治らないものではないと治癒術師に言われた。
 そして、治らないかもしれない、とも。
「キュヘレのこと、困らせてるな」
「……そうね」
 苦笑いを浮かべながら言うシュトレンに、キュヘレは疲れたように息を吐き出す。
「でも、俺はお前のことが好きだから。お前が困ると分かっていても、お前のことを愛している気持ちに嘘をつきたくなかった」
 すっとシュトレンが手を伸ばした。突然のことに、びくり、とキュヘレは肩を震わせる。 
「それでも俺を愛してくれる?」
 伸ばされた手が、キュヘレの柔らかな頬にそえられた。二度、三度と親指でその頬を撫でて、顔を近づける。彼女が正気に戻るよりも早く、彼は優しく口付けた。
 すぐさま顔を離すと、驚きに目を丸くしている少女がいた。青年はしてやったりと意地悪い笑みを浮かべる。
 そこでようやくキュヘレは正気を取り戻した。慌てて彼の手をはたき落とす。
「……わたしの話を聞いてなかったのかしら」
 声が震えそうになるのを抑えて、しっかりとした口調で言う。
「勿論、聞いてたさ」
「なら」
「最期の時まで俺はキュヘレを愛し続ける」
 少女が何事かを言う前に、青年は言葉を紡ぐ。
「君はすぐに俺の前からいなくなってしまうだろうけれど、俺の心に君はずっといるよ」
 ……なんて恥ずかしい台詞を事も無げに言い切るのだろうか。言った当人は満足とばかりににこやかな笑顔を浮かべているのが、かんに障る。

 ――――けれども、心に灯った温かな光を、私は手放せそうになかった。

「……気持ちが重いわ」
 はっきりと、嫌味を含めて彼に言う。
「これまでの分も含めて、こんなに重くしたのは君なんだけどなー」
「……」
「んで、できたら今すぐにでも答えがほしいなーなんて」
「……分かってるくせに」
「俺の自惚れじゃなければいいんだけど、できれば君の口から聞きたいな?」
 にやりとした表情は、いつの間にか困ったそれに変わっていた。眉の両端が下がり、不安をのぞかせるクリムゾンの瞳に、少女はうっと息を詰めた。
 右に左に視線が移り、あーうーと言葉にならない呻きがキュヘレの口からこぼれる。それをじっと見ていたシュトレンは、ぽりぽりと頬をかいた。弱ったな。こんなにも彼女を困らせるつもりはなかったのだけれど。
「あー……キュヘレ?」
 優しく少女の名前を呼べば、おずおずと視線を合わせてくる。モスグリーンの瞳は不安に揺れている気がした。
「今すぐにって言ったけど、とりあえず考えてくれればいいから。お前も自分のことで手一杯だろうし」
 キュヘレのことを案じてその台詞を言ったのだろう。少女も、彼の言った言葉の意味を少しだけ理解することができた。
 けれども、わき上がってきた感情は――憤怒。
「……ずるいわ」
 気付けば、そう口に出していた。
「え?」
「ずるいわ! 今が良いって言ったり、考えれば良いって言ったり! 突然言われたこっちの身にもなりなさいよ! そんなすぐに答えなんてでるわけないでしょう! あなた馬鹿じゃないのかしら!!」
「え、あ、ごめん……?」
「なんで疑問系なのかしら! 謝るくらいなら言わないでほしいわ!! 私の気持ちも考えなさいよ!」
 益々怒りがおさまらない。地団駄を踏みながら、彼をにらみ上げる。
「え、もしかして好きな奴いる、の?」
「いるに決まってるじゃない!!」
 シュトレンは彼女の言葉に衝撃を受けた。
「なんだと! 誰だ!?」
 まるで目の敵だとばかりに詰め寄ってくる彼に、キュヘレは思わず、叫んでしまった。

「シュトレンよ!!」

 あっ、と思った時には遅かった。
 慌てて口を覆うものの、それが何の意味も為さないのは、分かり切っていた。
 ぽかんとした表情を浮かべていたシュトレンが、喜色に包まれていく。むにゃむにゃと何かを口籠った後、がばっとキュヘレに抱きついた。
「ありがとう!」
「きゃあ! い、いきなり何をするのかしら!!」
 顔を真っ赤に染め上げながら、しかし戸惑いと喜びに包まれた少女は、彼の抱擁から逃れられる術を知らなかった。

【青年少女ったー】クリムゾンの瞳と深緑色の髪を持ったパン屋の青年と、モスグリーンの瞳と群青色の髪を持った死期の近い少女。「それでも俺を愛してくれる?」という言葉が鍵。 http://shindanmaker.com/289564

【人物紹介】
シュトレン:クリムゾンの瞳と深緑色の髪を持ったパン屋の青年。名前の由来は「シュトレン(シュトーレン)」というパンより。
キュヘレ:モスグリーンの瞳と群青色の髪を持った死期の近い少女。名前の由来は「キューヘレ」というパンより。

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© Takaharu Tobise.