* 幸 せ の 種 *
ぼくらの家からぐるりと見渡せるシーダの森の木は、広く大きく、その葉を広げている。 でも、小鳥のさえずりはほとんど聞こえてこない。 かわりに、森に住む可愛い動物とは言えないような、なんだか恐い生き物の声が時々聞こえてきたりする。 最近は狩りをしようにも、なかなか動物が姿を見せないんだ。…って、レイにいちゃんが言ってた。 もう何日も、木の実ばっかり食べてる。でも、いつもお腹いっぱい食べられるわけじゃない。 今朝の食卓に並んだ物も、ほんの少しの木の実と、レイにいちゃんがマクニール村の民家からありがたく失敬してきたパン一個、それを三等分にしたものだけだったから、お昼になる前から皆ひもじい思いをしていた。 「にいちゃん、お腹空いたね」 「空いたな」 「にいちゃん、お腹、空いた」 「そうだなぁ」 ティーポと、ティーポの真似をして空腹を訴えるぼくに、レイにいちゃんは交互に相槌を打ち、何も乗っていないテーブルに深く突っ伏した。 ぼくとティーポも同じように突っ伏した。さっきからずっと、お腹がぐうぐう言ってる。 しばらく沈黙が続いて、でもお腹の音だけはずーっとぐうぐう響いてて。 そんな空気を払い除けるようにレイにいちゃんが勢いよく立ち上がったので、ぼくは、ちょっとびっくりした。 「さてそれじゃ、雛がピヨピヨ鳴いてるから、食糧を調達してきましょうかね」 「雛なのはリュウだけ!おれはかっこよくて大きな鷹なの!」 「えー!じゃあティーポ、自分で空飛んで、ウサギとか捕まえてくればいいのに」 「バカ!できるわけないだろ!」 ティーポはコツンとぼくの頭を叩いた。 「ゆかいだねぇ。じゃあ行ってくるから、仲良くしてろよ」 レイにいちゃんは少し呆れたように笑いながらぼくらを見て、出掛けていった。 ティーポから理不尽に殴られたりするけど、これがいつもの光景。 ぼくの、大好きな場所。 留守番って結構退屈だけど、ぼくがここへ来てからはそうでもなくなった、ってティーポは言った。 ぼくも、ティーポがいれば留守番はイヤじゃないなぁと思った。 暇な時はいつも、その辺に落ちている木の枝でティーポと剣の練習をしたり、今は森だけじゃなくて川に棲む生き物も少ないけど、川で釣りをして遊んでるから。 剣の練習ではいつもぼくが負けちゃうけど、釣りは得意。 ゴミとかクラゲばっかり釣ってるティーポの横で大物を釣った時は怒鳴られるかなって思ったけど、素直に喜んでくれたのがぼくも嬉しかった。 でも、今日はお腹が空きすぎてるから、遊ぶのはお休み。 ティーポはさっきから何も言わないでテーブルにほっぺたをつけて、瞬きだけしてる。 …… どれくらい経ったんだろう。 何時間も待ってたような気がするけど、小さな窓から入ってくる太陽の光が照らす位置はそんなに変わってなかったから、もしかしたら1時間も経ってなかったのかもしれない。 とにかく、そう思ってしまうほど、ぼくは待ちくたびれていた。 ティーポも多分、同じことを思っていたんだと思う。 いい加減我慢できなくなったみたいで、ティーポはついに床でゴロゴロしはじめた。 ぼくも真似してゴロゴロしようと椅子から立ち上がった時、ぼくら二人がずっと待っていた、小屋の扉が開く音がした。 輝く希望の扉が開いて、そこに立っていたレイにいちゃんの姿を確認した瞬間に、ティーポとぼくは自然に声を合わせて叫んだ。 「「おかえりにいちゃん!」」 「ただいま。…良かったなぁティーポ、生きてて。腹が空きすぎてもう少しで死ぬところだったんだろ」 レイにいちゃんも扉を開けた瞬間に床に転がるティーポが目に入ったみたいで、そう言っていじわるそうに笑った。 「そうだよにいちゃん、オレ、もう少しで死にそうだったんだから!」 「死にそうな割には元気いいね、ティーポ」 レイにいちゃんと、にいちゃんの持ってる獲物(今日は大きな鳥だった)を見るなり飛び起きたティーポに向かって、ぼくはつい言ってしまった。 思ってた通りティーポはぼくの頭を叩いたけど、痛さよりも今は、お腹が空いてることのほうがぼくには辛かった。 大きな鳥は丸焼きになってテーブルの上に乗った。 それから、レイにいちゃんがその鳥と一緒に持って帰ってきた、赤くていい香りのする木の実も1個、テーブルに置かれた。 ぼくは香ばしい匂いを放つ鳥よりも、初めて目にしたそのキレイな赤い木の実に興味を奪われていた。 「ねぇ、にいちゃん。これ何ていう木の実なの?」 「なんだリュウ、リンゴは初めて見たのか?」 リンゴ、っていうんだ。 レイにいちゃんはぼくの手からリンゴを持っていくとナイフで半分に切って、そしてまたぼくの手にそのひとつを戻してくれた。 「ほら、ティーポと二人で食え。甘酸っぱくて美味いんだぞ」 「リュウよだれ垂らしすぎ」 「た、垂らしてないよ!」 「ではさっそく、久々のご馳走をいただくとしますか」 リンゴの切り口から、さっきよりも強く、甘い香りが漂ってくる。 レイにいちゃんとティーポは鳥を美味しそうにほおばってるけど、ぼくはまずリンゴをかじってみた。 リンゴは結構歯ごたえがあって、瑞々しくて、レイにいちゃんの言った通り甘酸っぱくてとても美味しかった。 しばらくリンゴばっかりかじってたら、ティーポに 「肉、なくなるぞ」 って脅されたから慌てて鳥も食べたけど、初めて食べたリンゴは今まで食べたどんなものよりも、美味しかった。 本当に久しぶりのご馳走にありつけたぼくらのお腹は「満足しました」とでも思ってるかのように、いつのまにかぐうぐう言うのを止めていた。 レイにいちゃんは足取りも軽く、お昼寝をするって、ベッドのある部屋への階段をのぼっていった。 「…ねぇ、ティーポもリンゴ、好き?」 「そうだなぁ、オレはさっき食べたのより、もう少し甘いリンゴが好きだな」 ぼくは、さっき食べたリンゴの種をこっそり取っておいたのをズボンのポケットから出して、ティーポに見せて言った。 「このリンゴの種を植えたら、木の実が生ってる他の木みたいに、リンゴがいっぱい生る木が育つのかな?」 「当たり前だろ!リュウってば、そんなことも……まぁ、別にいいんだけど」 ちょっと泣きそうになったぼくの顔に気付いたのか、ティーポはまだなにか言いたそうだったけど、急に言うのを止めた。 「あのね、この種をすぐそこの森の中に植えて育てて、リンゴがいっぱい生る木にしたら、いつでも食べられて良いかなぁって、思ったんだけど…」 ぼくの提案に、ティーポの顔はぱっと明るくなったように見えた。 「家の近くに木があれば、良い非常食にもなるよな…。じゃあさ、にいちゃんには内緒にして二人で育てようぜ。立派な木になってからにいちゃんに見せたら、きっと驚くぞ!」 「うん!ティーポ、頭良い!」 ティーポは「へへっ」と照れくさそうに笑って、ぼくの頭をゲンコツじゃない手で軽く叩いた。 もしかして、叩かれたんじゃなかったのかな? 物置からスコップを引っ張り出して、水を汲む為の丁度良い大きさの桶が見付からなかったからコップを持って、ぼくとティーポは森の中へ急いだ。 ぼくは種の植え方を知らなかったから、ティーポに教えてもらいながら、一緒に植えた。 「早く大きくなれば良いね、ティーポ」 「そうだな。明日から剣の練習したあと、ここに様子を見にこようぜ」 リンゴが生る日が楽しみで、ぼくもティーポもニコニコしながら、にいちゃんが起きないうちにと急いで帰った。 その日のぼくとティーポは、夜、ベッドに潜り込むまで機嫌が良かった。 レイにいちゃんはちょっと不思議そうな顔をして、そんなぼくらを見てた。 思わずティーポと顔を見合わせて笑っちゃったけど、バレてなければ良いな。 「よう、おはようさん。冷えるなぁ。今日は寒いからな、出掛けても良いけど寄り道しないで早く帰ってこいよ?」 朝起きて、レイにいちゃんに挨拶して返ってきた言葉に、ぼくはちょっとドキっとした。 寄り道しなかったら、リンゴの様子を見に行けない。 レイにいちゃんは暖炉に薪をくべながら、話し続けた。 「こんな寒い日は、水、やらないほうが良いしな」 …どうしてバレてるんだろう。 「にいちゃん、もしかしてオレたちの後、つけてたの!?」 「おいおい、人聞きの悪い……いや、昨夜リンゴがどうのって寝言が聞こえたもんでね…」 「!リュ…」「ティーポの」 ぼくはてっきり自分の寝言だと思ってたし、ティーポもぼくの寝言だって思ったみたいで、肘でぼくを突こうとした…瞬間に、レイにいちゃんの声が重なった。 ティーポはやり場のない肘を浮かせたまま、固まってる。 「…悪かったな。まぁ、心配するな。別におまえらの秘密の果樹園から勝手にとって食べたりはしねぇからさ」 「ち、ちがうよ!にいちゃんも勝手に食べていいリンゴだよ!」 とっさにぼくは叫んでしまった。 もうバレちゃってるなら仕方ないし、レイにいちゃんだけ仲間はずれにして二人でこっそりリンゴを食べようと思ってたわけじゃなかったから… 「そうだよ!…にいちゃんには、リンゴがたくさん生ってから驚かせようと思って…オレたち二人だけで育てようとしてたんだ」 ぼくにつられたように、ティーポも間をあけずに叫んだ。 そんなぼくらの叫びを聞き終わると、レイにいちゃんは頭をガシガシとかいた。 「そ、か。そういう事言ってくれるだけで、じゅうぶん嬉しいんだけどね……その、悪かったな…」 「にいちゃんのせいじゃないのに、なんで謝るのさ…?」 ティーポはいつもの元気を失くしてて、弱気にそうつぶやいた。 レイにいちゃんのせいじゃない、ないけど… 「でも、ティーポが悪いなんてことも、ぼくは思ってないよ」 「リュウ…」 だってぼくも昨夜、リンゴの木が大きくなって、レイにいちゃんとティーポと、三人でお腹いっぱいリンゴを食べる夢を見たもの。 レイにいちゃんが聞いてなかっただけで、寝言、言ってたかもしれないし… 「食事でもなんでも、みんなで一緒が最高に楽しいんだって、ティーポ言ってたじゃない。リンゴの木を育てるのも、やっぱり三人でやったほうが楽しいってことだよ!」 気がつくとぼくは、ぼくよりちょっとだけ大きいティーポの手と、とっても大きくて温かいレイにいちゃんの手をとって、必死に訴えてた。 「ずっと秘密にしてて驚かせるのって楽しいだろうけど、それよりも、毎日ちょっとずつでもみんなで楽しいって思ったほうが、最高に楽しいんだよ」 「良いこと言うなぁリュウは。…オレも、おまえたち二人といる時間ってのが、最高に幸せだな。…な、ティーポ?」 「…うん、ホント、良いこと言うなリュウは…!今度から、にいちゃんも一緒にリンゴの世話に行ってくれるよね?」 「よろこんで」 「よかったね、ティーポ!3人でお世話すれば、リンゴの木も早く育つね!」 「そんなワケないじゃん…変なリュウ!」 「えっ!?なんだぁ、お世話する人が多ければ、育つのも早いと思ったのになぁ…」 「はは、ゆかいだね…」 種から芽が出て、リンゴがいっぱい生る木に育つには、何年も何年もかかるんだって、質素な朝ごはんを食べながらレイにいちゃんが話してくれた。 ぼくとティーポが大人になった頃くらいに、食べられるようになるんじゃないかな、って。 ぼくもティーポもビックリした。 だけど、それだけたくさんの時間を、レイにいちゃんとティーポとぼくで過ごせるんだって思ったら、なんだかすごく嬉しい気分になった。 ふとズボンのポケットに手を突っ込んだら、リンゴの種がひとつ、残っていた。 初めて、レイにいちゃんから貰って食べた甘酸っぱいリンゴの、種。 初めて、ティーポと一緒に土に植えた、リンゴの種。 ――ぼくの、宝物にしよう。 そう思って、ぼくはまたポケットの奥深くへ、リンゴの種をそっと戻した。 |