2013年06月16日 22:15 乙武さんVS銀座イタリア料理店を見つめて・・・。
最近、ザクレロ(大型の機動兵器)が補給をせんがため、
ペガサス級強襲揚陸艦に着艦しようとしたが、双方の不足によりキャンセルされてしまった。
補給をするに必要となる密約をし、ザクレロはランデブーポイントに飛来したが、
受け入れる側はモビルスーツが来ると思い込んでいた。
されど、極端に特殊な形状の大型モビルアーマーが来たため、
どう対処すればいいか検討がつかず、艦長(連邦側)は取引を見送る決断を下したのだ。
作戦の責任者(ジオン側)でもある、ザクレロを操縦するオットー・タッケー大佐は、
密約の段階で機体名を通達していたが、その仕様を伝えるを失念していた。
そのため、こうなるは不思議ではない。
しかし、受け入れられるは当然と思い込み、対応に限りなく激昂した大佐は、
己に分があると勝手に決め付け、オープンチャンネルで艦名を明かし、不満を両軍にバラ撒いてしまった。
結果、様々なスタンスが入り乱れ、泥沼の局地戦へと突入した。
本来であれば、報復的な措置を講じるのではなく、自分自身の準備不足による、教訓の流布に留意すべきだった。
それすら碌に出来ず、目くじらを立てるだけでなく、自己の正当化に躍起となれば、
冷静な連邦とジオンの将兵に、様々な指摘をされてしまう。
猶且つ、拒否された最大の理由は、機体の仕様を伝えなかった事ではなく、機体に近い仕様である大佐の五体にある。
大佐は、その事に触れられたくないため、ザクレロで来た事を理由とした。
艦長は、彼を傷つける事を恐れ、それに合わせただけだった。
真因と離れた部分を争点としたため、それが明確となり解決するまでは、大佐と艦長は問題に追い回される。
最悪、双方が全軍に撃滅されてしまう。
はたまた、思い込みの激しい存在に、撲滅されてしまうかもしれない。
対応を誤れば、全人類がチリになりかねぬ時代だ。
我々は、聡明かつ賢明な対応を心掛け、立ちはだかる戦局を乗り越えよう。
先に、些少でも話を円滑とするため、乙武さんと某レストランのトラブルを、ガンダムに置き換えて紹介した。
実際に、起きたとされる出来事を、簡潔に記載してみよう。
1.乙武さんが、とあるレストランに予約をする。その際、車椅子で来店する事と、己の仕様の申告を失念する。
2.レストランに到着するが、店は階段を登らねば入れぬ仕組で、100kg近い車椅子を上げる事は叶わず、
自分を担いで運んでくれと頼むも、店側は丁重にお引き取りを御願する。
3.乙武さんが、Twitterにより、店を名指で批難し批判する。
4.乙武さんと店の双方に、批難と批判が殺到する。
5.乙武さんが、サイトに自己擁護と謝罪の文章を掲載する。
6.なんとなく和解?
乙武さんの主張には、矛盾する点が複数あるだけでなく、
相手に発生する不利益を妄想し、稚拙で執拗な事をされている。
そう、目先の事すら碌に考えられず、とても余計な事をしたのだ。
そのため、粉砕したい相手だけでなく、己の首を絞める末路となった。
乙武さんと店側は、予約の段階で車椅子である事を、伝えなかったを論点としている。
群がる人々の多くも、そこを争点としている。
だが、乙武さんの両腕と両脚がない事は当然とし、車椅子が盗難する可能性への配慮や、運搬でトラブルが発生する場合、
料理を食べ易くしなくてはいけない等、様々なリスクを店側が感じとったため、このような結果となったのだろう。
乙武さんは、相手の対応を都合の良きように受け取り、店側はそれに合わせて対応したにすぎない。
そうでなければ、乙武さんを際限なく傷つけ、想像を絶する報復に晒されるからだ。
店側(店長)が、『お前が、ザクレロみたいな状態だから、どうにもなんねえんだよ!』と言ってしまえば、
より収拾のつかぬ事態に発展してしまう。
丁寧に、その真相を伝えたくとも、それは簡単な事ではなく、相手を傷つけるは不可避だ。
大概の場合は、そこまで気が回らない。
要は、言ってはいけない本当の事を吐露せず、店側は大人の対応をしたのである。
言い換えれば、事を大きくしたくないので、誤魔化し有耶無耶とし逃走する、
面倒を大きく省けるであろう、無難と思う選択をしたのだ。
所詮、その場凌ぎの拙い判断だ。
乙武さんは、その対応を不服と感じ、建前・自己都合・利己主義に踊らされ、
倫理・道徳・正義・常識が吹っ飛んでしまった。
最初から、それらを十分と言える次元で、持ち合わせていなかった可能性もある。
車椅子に執着するのは、己の仕様を棚に上げる事で、少しでも有利な状況で、
賛同する人々をかき集め、店を叩き潰したかったのだろう。
もしくは、絶大すぎる劣等感によって、そこに触れたくはないのかもしれぬ。
自虐と言う強がりをするは、それがネックだと言う事を、熟知しているからに他ならない。
そうやって、開き直り続ける限りは、何も解決する事が叶わず、
究極のバリアフリーとは程遠い場所で、己と誰かを傷つけるだけで終わってしまう。
乙武さんが、これまでに何とかなったのは、彼が『乙武 洋匡』だからである。
そうでない人々は、多くの辛酸を味わいながら、生きて死んで殺されて来た。
もしかすると、『乙武 洋匡』である事が、彼を狂わせたのかもしれない。
ただし、これまでに何とかなったというのは、ただの負け惜しみでしかなく、
誰かを奮い立たせるために、漏らして来た言葉かもしれん。
周囲や自己による影響によって、絶望の海を泳いで来たがために、
己の意に反する全ての健常者を、悪と見なしてしまうような、気質の可能性も否めない。
単純に、想像力と創造力が、極端に欠如したまま、ここまで来た可能性がある。
それに、双方が了承して引き起こした、茶番の可能性も零とは言えない。
偶々、状況に恵まれなかったため、どうすればいいか分からなくなって、失敗を重ねたのが実の所であろう。
それは、乙武さん自身が綴っている。
いずれかであるにしろ、いずれでもあるにしろ、いずれでもないにしろ、性質が悪い事をしてしまった。
今回の件は、彼の格別性と特別性を喪失させる。
それを、助長し続ける彼が不憫である。
五体満足である、御客様の気分を害さぬため、乙武さんを入店させる事を、好ましくないと考える者がいる。
彼の存在そのものに、吐き気を覚える者は大勢いる。
どれだけ、彼が綺麗に食事をしたとて、不快感を訴える者で満ちている。
だから、人間と人類と社会と世界は、不憫たる人々を見世物とし、現状でも迫害を続けている。
はたまた、乙武さんの気分を害さぬ環境がないため、もてなす事が出来ぬと考える者がいる。
それは、人間と人類と社会と世界の冷たさを、痛烈に把握し理解しているからだ。
前者も後者も、先入観・固定観念・既成概念に縛られた、極端な自己の目線で考えすぎ、柔軟たる対応が叶わない。
そんなだから、ならばどうすべきかの選択を、大きく過誤してしまうのだ。
それは、乙武さん自身にも、十二分に言える事だ。
無論、それは誰にも言える事である。
とは言っても、それらが欠如していれば、気の利いたサービスが出来ない。
さりとて、健常者と障害者のどちらに対し、気が利こうが・利くまいが、望んだ結果になるとは限らない。
健常者に対し、気が利かなかったため、障害者が受け入れられる。
健常者に対し、気が利いたため、障害者が受け入れられない。
障害者に対し、気が利かなかったため、障害者が受け入れられる。
障害者に対し、気が利いたため、障害者が受け入れられない。
他にも状況に応じた、様々な組み合わせがある。
重要なのは、双方に対し真の意で、気を利かせる事である。
私は、身体機能に問題が発生した方々に、食事を食べさせる介助をした事があり、
ある程度のノウハウを保有するが、それが全くない状態であれば、どうすればいいか混乱する。
逆に、ノウハウがない人材に、不十分な対応をされてしまえば、介助される側も心が乱れる。
これは、必然であり当然なのである。
誰しも、万能ではない。
だからこそ、篤実かつ闊達な精神を育み、互いを尊重した対応が必要なのだ。
さもなければ、自分自身と相手の首を、互いに絞めてしまうのだから。
我々は、それを念頭において、より良き日々を歩もう。
そのためにも、批難や批判で時間を浪費し、現を抜かしてはならない。
批難や批判に終始する者は、自分が同じ立場であれば、
同様の失態を犯さないと思い込み、自身の美化に必死である存在だ。
それに、どうする事も出来ぬ、あまりに非力すぎる、脆弱な己が許せない。
たかが、批難や批判である限りは、独り言と変わりはしない。
そこに、明確なやり取りがあろうとも、互いに独り善がりをするだけだ。
自分に不利な結果となろうとも、適当なこじつけで己を慰める限り、相手にもせぬし相手にもされていない。
惨めな独り言は、自分や家族や友達や他者に害を及ぼす。
下手をすれば、一人ぼっちになってしまう。
逆に、一人ぼっちだから、それしか出来ぬのだ。
重要なのは、より的確な意見を述べ、打開策を提案する事である。
ただ、身を弁えぬ提案をする限り、それは嫌がらせと変わりはしない。
批難や批判は、誰にでも簡単に出来る、とるに足らぬ事なのだ。
他殺や自殺や詐欺と同じで、気が向けば誰にでも出来る、やり尽くされた退屈な事だ。
それでは、意味がないだけでなく、甚だ不意味なのである。
批難や批判しか出来ぬ者達は、杜撰な人間と人類によって、粗雑に構築された社会や世界により、
成長を抑止された存在であるため、話題を変えては同じ事を繰り返す。
自分が正しい、自身に分があると思い込む、人間の惨めな性質が災いし、
永遠に解決出来ぬだけでなく、どんどん悪い方向へ沈んで行く。
時折、不毛なやり取りをしている事に気付き、そこから脱却をする者がいるが、その過去を引きずる運命である。
本当に困難なのは、解決により全者を納得させる事だ。
何より、相手を思いやる料簡が大切だ。
そうでなければ、いつまでも同じ場所で、ウロウロする破目となる。
それは、諸賢には相応しくない。
乙武さんと店側との間に、乙武さんの友人の介在もあり、当方の日記は不十分である。
ただ、誰もが重要となる点から、真に解決すべき事柄から、
目を反らしているような違和感を感じたため、
このような日記を記載させて頂いた。
当方としては、乙武さんとレストランの双方に、より良き日々の到来を願う。