2013年03月01日 23:36

最近の、TwitterとMIXIのつぶやきを、日記にしたためました。 上


TPPに参加した場合、輸出が増えねば意味はないが、出端を挫かれる可能性が高い。

そもそも、コチラの希望する額で、輸出が叶う相手は限定され、その品目も限られている。

であるからして、相手の成長を促しつつ、安く売る事が求められ、国内はさらに貧窮する破目となる。

そうだ、外部に安価で供給するため、様々な譲歩を重ねるため、日本人があらゆる貧苦にあえぐのだ。

おまけに、様々な譲歩を重ね、成長を促したとて、その見返り以上を、相手は求めてくる。

これまでは、その繰り返しであり、愚劣な現況を齎した。

そして、嘗てない貧困が、目前へと迫っている。

我々の同胞は、それを加速させる事で、悦に浸ろうとしている。

その貧窮化は、現状を遥かに凌ぐ次元となり、それはもう凄まじい勢いで、日本全土を侵食していく。

果てに、海外に移転した日本企業から、より多くの輸入を余儀なくされる。

そうだ、我々は容易く裏切られ、強固に『企業が稼ぐため』の犠牲とされる。

それに、新たな競争によって、多くの工業製品については、その格別性と特別性を損失し、切り札としての有効性を失う。

何より、権利と価値を保全する組織を、特定の前提で形成しなければ、理不尽に全てが奪われる。

その組織を根幹とし、原料はともかくとして、フルジャパンの商品を創造せねば、
思い通りに売れる商品が、手元から無くなってしまう。

貿易協定は、誰が優位な立場となり、奪い合いを演じるかの、滑稽な取り決めにすぎない。

もしくは、奪い合いの加速装置である。

TPPは、オマケ程度と考えて、これから締結される、多数の協定において、
勝鬨をあげたいのであれば、絶対的な糧の生産が命題となる。

現状の日本は、糧の大半を外部に依存している。

それを是正せねば、何度でも吸い上げられ、縮小の一途を辿るのみだ。

このまま全球化が進めば、価値観の維持が困難となり、
企業も国民も脆弱な島国を放棄し、日本と呼ばれた産廃島が出来上がる。

その認識を念頭に前進せねば、些少の成功すら得られはしない。

されど、我々が人間である限り、その認識を念頭に置こうとも、辿る末路が変わる事はない。

それは、互いがそうなる事を、己が生き残るために、強いるからである。

ハナから、条件を同一にしようとも、調整で拮抗させたつもりでも、
基本的な優越が変わらねば、弱い方が食潰されるだけだ。

あまつさえ、日本は強者と弱者の双方から、しゃぶり尽くされる、不憫な立ち位置にある。

もとより、誰も勝者になれぬ仕様なのだ。

そろそろ、そうしなくても良き仕組を目指さねば、互いが地上から消え失せてしまう。

消え失せる事を、私が許しはしない。




安全論者と危険論者は、限定された分野において、淫猥な妄想にすぎぬ、曖昧な指標によって、胡乱な判断を下している。

それは、様々な思惑の介在は当然とし、双方の極まる無能によって、クソの役にも立ちはしない。

はたまた、様々な専門家の意見を取り入れ、注意の必要性を訴える組織があろうと、抜本的な是正は出来ぬのだ。

それでは、ただの役立たずだ。

それで済めばいいが、無意味を通り越して、不意味な連中が多い。

以下が、良き例である。

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☆ 新たに2人が甲状腺がん

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130213/bdy13021312510005-n1.htm

東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の県民健康管理調査の検討委員会が13日、
福島市内で開かれ、18歳以下の2人が新たに甲状腺がんと確定したと報告された。

昨年9月に判明の1人と合わせ3人となった。

福島県立医大の鈴木真一教授は「甲状腺がんは最短で4~5年で発見というのがチェルノブイリの知見。
今の調査はもともとあった甲状腺がんを把握している」と述べ、福島第1原発事故による放射線の影響を否定した。

3人のほかに7人ががんの疑いがあるとして、県立医大が検査を続けている。

報告によると、2011年度に1次検査を約3万8000人を対象に実施。うち186人が、2次検査が必要と判定された。

2次検査で細胞検査が必要とした76人のうち、10人にがんの疑いがあるとされ、このうち3人が甲状腺がんと判明した。

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都合の良き前提を掲げ、同様の見解を並べる程度では、信用しきれぬのが実情だ。

だからこそ、可能性を否定せずに、注視する見解を示すべきである。

そう、確かな事が言えぬ上に、明瞭性が不十分である場合は、可能性を否定する事無く、誠意を尽くす旨を示せばいい。

そうしないから、後で逃げ惑う破目となる。

だから、人々は絶大な疑念に苛まれ、余計な事をしてしまうのだ。




安全論者も危険論者も推進派も非推進派も、ガンプラを組み立てる側であり、連邦派かジオン派の違いしかない。

そうだ、本質・実質・事実・真実・真相・実態を、把握するには程遠い存在である。

結局は、見てくれだけで終わっている連中なのだ。

だが、肝心のメーカーに関しても、見てくれの人材で構成されており、同類の人材から指示を仰いでいる。

これでは、誰を信じようとも、馬鹿を見るのがオチだ。

それを、忘却してはいけない。

だからこそ、信じられる自分自身を、育まねばならぬのだ。




製薬会社は、以下のように考えた。

『血圧を下げる薬の売り上げを伸ばしたい。そうだ!高血圧と診断される、基準の値を下げさせればいい!』

このような不遜により、危惧すべき数値が過小にされ、
効果が低い医療行為が当然となり、患者が食い物にされている。

現状は、それを繰り返した、挙句の果てなのだ。

そして、欧米では危険と判明し、禁止された行為だろうと、金のために横行している。

無論、逆のケースもある。

先端や末端の医者や学者に関係なく、中枢の人材であらぬのであれば、目安を策定した者でもなければ、
自分が獲得している情報を、正当か不当かを碌に精査する事も無く、当然の事と振り翳してしまう。

それも、得意気にバラ撒くのだ。

福島第一原発における、人身事故の件においては、その典型となる人材が、ワラワラと出現した。

だが、連中は可愛い次元だ。

モノによって、目安の形成が無意味を通り越し、不意味な場合すらある。

勿論、過小化により不具合が、発生せぬ保障はない。

保障が無くとも、それがあると見せかけて、騙すのが人間の本性である。

そんなこんなで、金の亡者と化した同胞達により、我々は窮地に立たされている。

指し示す事によって、適宜な方向へと誘わねば、死屍累々の状況へと突入する。

金のため、水面下で殺し合うその先には、殺さなければ生き残れぬ末路がある。

それでも、生き残れぬのが真相だ。




マスコミは、報道の自由に弄ばれ、不自由な状態に陥っている。

それに気付き、真に為すべきを見極め、適宜な存在を目指す必要がある。

それまでは、諸悪の権化である。




些少の事実を、伝えられる媒体により、全体的な真実かのように、多くの人間が誤認している。

それにより、絶大な真相から引き離され、気がつけば失意のどん底に、突き落とされているのだ。

気息奄々となり、それが当然となった人々は、都合の良きお人形さんである。

一度、玩具にされてしまうと、そう簡単に人にはなれない。




最初から、滅びの中を生きている我々に、世界の滅亡なんぞつまらぬ話だ。

それでも、備える必要はある。

そのため、楽観的な情報の流布は、常に欠かす事が出来ない。

それは、生き残りの邪魔をされぬためだ。

かと言って、それ一色にする訳にもいかぬ。

諸賢は、それに翻弄されてはならぬ。

与えられる情報は、氷山の一角から滴り落ちた、水滴の中の埃と認識せよ。

そうしなければ、見捨てられたまま、何も知らぬまま、終焉を迎えてしまう。



念のため、万が一・億が一・兆が一に備えるのは、そうなってしまった場合に、悔しい思いをせぬためだ。

それでも、自己満足と気休めで、それは終わってしまう。

そうだ、何も起きなくとも、何か起きてしまおうとも、結末に大差はないのだ。

ハナから、備えようと備えまいと、死んでしまえば、それに意味はない。

そして、備えにより助かろうと、不足が発生せぬ事はない。

もとより、どれだけ備えようと、不満が絶える事はない。

それは、我々が欲深き人間だからだ。

そもそも、文字通りに世界が滅亡するならば、全ての対策がハリボテである。

確かに、備えによって命を救われるのは絶大だ。

されど、それを無駄とする仕組から、人類と世界が解放されなければ、ただそれだけで終わってしまう。

人間は、無駄な事をして、無駄な事をしない。

矛盾に満ちた生き物は、途轍もなくしたたかであり、非常に脆い存在である。

人間は、自己満足と気休めにより、己を誤魔化す生物であり、どうにか生きて行くために、それが必要不可欠なのだ。

それに、脱却に必要となる仕組を、備える者がここにいる。

だからこそ、備える事は大切だ。

ただし、過度にそれを求めてしまい、家族や友人や他者や己に、大きな負担を強要してはいけない。

そう、過剰にそれに走る事により、失う事は避けねばならぬ。




最初から、自分自身は己でしか、守れない状態だった。

そもそも、それですら守りきれぬのが、この残酷な世界の仕様である。

もしかすると、この矛盾に満ちた煉獄で、正気でいられる人間の方が、狂っているのかもしれない。

毎日のように美味しそうに齧っている、絶対の糧たる綺麗な果実は、毒の塊と化してしまった。

もはや、それに冒され麻痺している。

毒は、毒でしかない。

そのため、蝕まれ続けた肉体は、いつの間にか腐って落ちる。

人類は、それを誤魔化し続け、どうにもならぬ状態を助長して来た。

だからこそ、より厳格となる目線で、是正を実施しなければ、腐り果てた赤ん坊を、生み捨てる破目となる。

それは、あまりにも残酷だ。




厳密に、綿密かつ緻密に精査し、それを覆す原因と要因を、現実的な範囲で取得し調査する。

そして、極限までのイレギュラーを取得し、それを覆す原因と要因すら、可能な限り取得し調査する。

それにより、実質と本質を把握すると、あらゆる意見は当然とし、人間の主義や主張は勿論、
それによる思想なんぞが成立せぬのは、事実・真実・真相・実態と判明する。

それを見極めた上で、是正に挑まないのであれば、何も変えられずに終わるのだ。

変えられぬだけならまだしも、事態を悪化させる末路を辿る。

それでは、様々な主義や主張や思想を掲げ、悪化させる事しか出来なかった、これまでの者達と同じである。

そもそも、どれだけ見極めようと、上手く行く保障はない。

ナチュラルプロセスを前提に、人間と地球と宇宙と空間を解き明かそうと、成功する道理がありはしないのだ。

それなのに、是正を促すべき立場の者達は、いつの世も浅はかである。

立場におらぬ者達も、悉く軽率だったのだ。

残念ながら、誰もがそうである。

だから、悪くなる一方なのだ。





様々な枠組が絡み合い、些少と感じる事すら、非常に複雑である。

だが、大衆は政治家と同じように、極端に大局的なモノの見方に陥り、
全ての項目の詳細は当然とし、それらの概要の取得すら怠っている。

それでは、何も知らぬまま、消えるのみだ。

だから、残酷な現実が続いているのに、目を反らすだけで終わってしまう。

是正のために、世界が欲しい・・・。




不幸を、他者に押し付けてはならぬ。

さすれば、さらに己が惨めとなる。

愚痴をこぼす。

悩みを打ち明ける。

そんなこたあ、いくらでもやればいい。

それを、極端に通りこさずに、それで自身が保てるならば、それは許されぬ事ではない。

蝶でいるか、蛾となるかは、自分次第である。




先入観と固定観念と既成の事実が、正当で誠実とは限らない。

そして、各々の行動によって、何が引き起こされるかは、常に変化するのが実態だ。

それが、噛み合わなければ、自由と平和を求めた筈が、惨憺たる末路を引き寄せてしまう。

それは、子供ですら感じている。

だが、我々は不器用である。

それを、認められぬのが人間の性質なのだ。

だから、何度でも墓穴を掘る。

脱却せねば、どうにかなる事すら、どうにもならぬままだ。

脱却したとて、どうにもならぬ事を、どうにかするには、莫大な時間が必要だ。

私は、それを可能な限り短縮し、先々へと進む所存である。




人間と人類の最大たる欠点は、かつて吐き気を覚えた行為でも、
いつの間にか気にならなくなり、必要な後戻りをせぬ事である。

されど、それは拒絶していた、碌でもない事なのだ。

それなのに、その帳尻を合わせるため、不可欠となる対策をしない。

対策をしたとて、それを適宜に実施する、能力が欠如しているため、有耶無耶にするだけである。

あまつさえ、それを責められると、誰かのせいにして、全力で逃げ惑うのだ。

我々は、そのツケに苛まれ生きてきた。

これからも、新たなツケを生みだしながら、過去のツケに追い回される。

既に、そのツケに追い抜かれ、どうにもならぬ状態だ。

意思により、我々を滅ぼすのは、我々だけである。

全てを無駄とし、完膚無き茶番とするのは、杜撰な人間と人類の所業なのだ。

それを噛み締め、立ち向かわなければならない。




人々は、生存に必須となる糧を、手に入れる事に精一杯である。

自由な時間が、仕事に侵食され続け、自分専用の僅かな時間を満たすには、
一方的に情報を強制するだけのテレビでは、完全に力不足となっている。

おまけに、観れる時間となる頃には、観たい番組が終わっている。

そのため、その機能がオマケであり、遥かに万能な存在である、
パソコンやスマートフォンやタブレットが重宝される。

近年は、特に万能化が顕著であり、その恩恵を十二分に受けられるパソコンが、極端に安価で手に入るようになった。

他にも、パソコンの導入を促す、ファクターが溢れている。

スマートフォンやタブレットの普及も、その一端を担っているのだ。

パソコンやスマートフォンやタブレットは、テレビやレコーダーの機能を網羅し、
遥か先へと到達している上に、手に余るスペックで、飽和状態となっている。

それにより、テレビでモノが売れる時代は当然とし、テレビやレコーダーは勿論、
それを超越した存在が、景気良く売れる時世は、虫の息へと突入している。

それに、ニコニコ動画やYoutube等により、コンテンツの情報を取得したとて、それが欲しくなり金銭を投じるわけではない。

それは、絶対の糧には程遠いからだ。

厳密には、人間の欲望につけこんだ、より手頃な存在によって、
時代遅れのコンテンツは、シェアの争奪戦から落伍し、地に落ちた状態なのだ。

そもそも、それしかない時流ではない。

これからも、シェアライバルが誕生し、無秩序に増殖を続けていく。

あまつさえ、無料で聴けて観れて出来るのが、非常識から常識へと移行している。

そうなるのは、状況の変化によって、格別性と特別性が変質し、価値観が進化し退化するからだ。

だから、売れなくなるのは必然、廃れるのは当然なのである。

であるからして、捏造の付加価値と過剰価値を演出し、格別性・特別性があると思い込ませ、
時には虚偽すら並べる事で、どうにか売ろうとする連中が、非常に目につくようになる。

しかしながら、所詮それは紛い物であり、いつの間にか沈んで消えて、再び昇る事は滅多にないのだ。

近年に生み出された、流行しているコンテンツも、同様の道を辿ってしまう。

何より、楽しむ余裕すら無い人々を、人類と世界は生み出し続ける。

はたまた、様々な無理強いの果てに、人々は不要な娯楽と決別する。

私は、人類の恒久の発展を前提とし、何を成すべきかを編纂した。

それには、特定の方法によって、絶対の糧となる無数を、創造し続ける仕組が含まれている。

されど、それらを現実に展開する事無く、あの世に持って行く事となろう。

現実は、そう甘くはないのだ。

そうはならぬため、立ち向かうと決めているが、無理な事をする気はない。

そして、無駄な事をする気もない。

だが、無理な事は既にしており、無駄な事も昔からしてきた。

それが、人間の性質なのだ。

私は、何も成せずに時の狭間に沈み、己が消える事を許しはしない。

そうだ、少しでも多くの人々と共に、より良き明日を引き寄せるのだ。