2012年09月22日 20:11 境界の考察


人間は、初期不良の塊である。

云わば、不良品なのだ。

なのに、それによる交換は不可能だ。

おまけに、ノンクレーム・ノンサポート・ジャンク扱いである。

そのため、それを埋めるため、長らく努力をしてきた。

それにより、限りないマイナスの存在から、限りあるマイナスの存在へと変化した。

確かに、ケース・バイ・ケースではあるがね。

だが、陰極の潮流から抜け出せぬ限り、決してプラスに転じる事はない。

そうだ、どちらかであり、どちらでもあり、どちらでもない世界では、負極を彷徨う破目となる。

そこから脱却しなければ、より不完全な者が、己を完全と自慢し、より不健全な者が、己を健全と豪語する。

そして、堂々と愛国を謳う者こそ、国賊であるのが真実で、好戦的愛国主義者は、卑劣な売国奴となる。

一概に、全ての自称国粋主義者が、裏切り者とは限らないが、暴力的な方向へと誘おうとする者、
一方的に相手を批難しつつ、一心に己を正当化する者は、日本国皇室の精髄に叛いている。

まあ、それに該当する悪漢は、過去に魅入られた亡者である。

もしくは、我々を貶めるため、第三国が投入した、人間の形をした兵器だ。

現況では、そのようなアウトローが、日本中に犇いている。

これは、悪夢である。

この、生き地獄さながらの世界では、アマチュアだろうと、
プロフェッショナルだろうと、碌な事が出来ぬ仕組だ。

特に、相手に譲れぬ勢力が対立する場合、それを顕著に伺う事が出来る。

例えば、領土問題に焦点を当ててみよう。

アマチュアは、つまらぬ欲求を満たすため、国家と国民のリスクを向上させる形で、一つとて芸が無い事を実施する。

その気になれば、誰でも出来る事を実施して、エクスタシーに浸っているのだ。

はたまた、プロフェッショナルは、外側から内側へと浸潤し、
とても手の込んだ贈り物で、敵の中の味方を救いつつ、
バックドアの形成により、真に許し難い敵を滅ぼす。

それで、頭打ちとなるのが、負極である玄人の限界だ。

正極のアマチュアとプロフェッショナルであれば、その程度で終わりはしない。

そう、押し寄せる全ての存在を抱擁し、誠心誠意で救う事が念頭となる。

それで初めて、ハードパワーを保有する事に、それを振り翳す事に真意が生まれる。

それまでは、ありとあらゆる軍事力が、ただの人殺しの道具にすぎない。

神意超克において、世界の極性が陽極となれば、より正統に罪人を裁き、贖罪を果たさせる事が可能となる。

罪滅ぼしをさせぬ限り、死刑であろうと、終身刑であろうと、野放しにするのと変わりはしない。

もはや、それでは足りぬ連中が、溢れかえる時代である。

はなから、そのような化物で満ちた空間なのだ。

その者達の、首を跳ね落とすのではなく、罪を跳ね落とす仕組みが出来て、初めて犯罪が減少の一途を辿る。

そこに到らぬ限り、罪を憎悪する素人と玄人すら、罪人と隣り合わせの存在だ。

だから、永遠と過去に引きずられ、互いを憎しみ罵声を浴びせ、挙句の果てに殺し合うのだ。

領土問題において、負極のアマチュアとプロフェッショナルに対し、深い悲しみを覚えるのは、
天皇陛下の御気持ちを裏切り、皇室に泥を塗りたくる、その無様な姿に対してである。

連中は、日本を侮辱し、日本人を恥辱する。

各国において、醜悪な政治家のように、責任を果たす覚悟すらなく、他者の権利を尊重せぬ連中が、
中国人と韓国人と日本人の誇りを、不価値で不意味な活動で、理不尽に略奪している。

しかし、全人類を貶める者達だろうと、暗澹から救い出すべき、とても大切な同胞である。

何と言っても、同じ人類なのだ。

だからこそ、罪を犯してしまった者は、完膚なきまでに裁かねばならぬ。

そうしなければ、加害者が救われぬ。

何より、被害者は当然とし、その遺族が救われぬ。

あまつさえ、当方と諸賢が救われぬのだ。

自分を救えぬ者に、他者を救える筋道はない。

他者を救えぬ者に、自分を救える道理はない。

全てを救えぬ者には、人としての道義がない。

デモやテロを実施する素人達は、この遥か手前で轟沈している。

その水面下で暗躍する玄人達は、この少し手前で頓挫している。

はたまた、不憫な素人と玄人を見つめ、並行して調整を実施する者達も、この中で溺れている状態だ。

所詮は、その程度の人類である。

それを把握し、己の成熟を否定し、己の未熟を肯定し、
歩みを新たにした者から、自分の人生を進めるようになる。

そうでなければ、誰かの御人形さんで終わってしまう。

その理由は、以下の日記から辿って頂きたい。

☆ 近況を見つめての考察




領土問題で、残念と感じるのは、勢力均衡の材料だった、所有権の曖昧性の損失である。

それが、大きな材料とは言えないが、それを下手に弄ってしまえば、
無用の相手に睨みをきかさせる、不適当な機会を与える事となる。

それは、非常に好ましくない。

そのため、東京都と日本政府には、作為に自滅の道を選択したかのような、妙な違和感を覚えてしまう。

現況では、各国の多くの国民が、領土問題の流れを十分に把握せず、
おまけに政治家に到っては、領土問題の真髄すら忘却している。

十中八九、メインストリームとなる、時代の流れを精査すれば、
尖閣に対する表面上の所有権が、日本にあるのは事実である。

だが、相手に関しては、別の流れが主流となっている。

はたまた、その流れすら知らず、暴挙に及ぶ連中がいる。

おまけに、双方の流れを熟知し、相手に分があると把握していても、
自国の利益を追求するために、とんでもない事をする者がいる。

銀河超越において、森羅万象に対する相互の認識すら、
正当であり、不当であり、どちらでもあり、どちらでもない状態である。

その、実質と本質を受け止め、そこからの打開を模索せねば、永遠に何一つとて解決せぬのだ。

そうでなければ、解決したつもりで終わり、時が経てば再燃してしまう。

あまつさえ、下手に解決してしまえば、新たな問題が湧いてくる。

そう、それすら熟知しなければ、どうにもならぬ世界なのだ。

そもそも、『デモに参加している個人と団体』は無論とし、
『デモに便乗する、内部と外部の個人と団体』の目的と目標はバラバラだ。

私自身も、自身の目的と目標のため、数カ国に特別な贈り物をした。

ただし、破滅を引き寄せるような、素行が悪い事はしていない。

簡単に表せば、使い捨ての当事者達が知らぬ、
より正統な流れを前提とした、特定の認識と画像の流布にすぎない。

確かに、少しの知恵と知識があれば、誰しも反日デモを操縦し、
遥かに遠い遠隔地から、中国全土を火の海にも出来る。

たった一枚の画像を、たった一本の動画を、何処の誰に見せるか、
その結果を十分に予測し、上手く立ち振る舞えば、
数カ国を貶める事すら可能である。

何より、殲滅したいあの子達が、無知・無智・無恥であろうと、有知・有智・有恥であろうと、
先入観・固定観念・既知の事実を多用し、その外側から猛攻を加えれば、想像以上に脆く崩せる。

私の所属していた団体と所属している団体は、
各々の立場を利用しつつ、相手の行動を逆手に取る事で、
一致する支離滅裂な目的と目標のため、時事に適当に滲透している。

だが、それより遥かに凄まじい団体が、腐るほどあるのが現実なのだ。

それにより、デモやテロに誰が介入しているかは当然とし、誰が主導しているかすら曖昧である。

そんな、正体と真相が不明な存在には、そう易々と従うわけにはいかぬ。

まして、たかがデモに屈すれば、次はテロが蔓延するのだ。

であるからして、テロは当然とし、デモに屈する事は絶無だ。

昨日の勝者が、今日は敗者となる。

それが、連綿と繰り変えされ、愚かな争いが続いている。

主義や主張が、完全に異なる相手を威圧すれば、軋轢と偏見が増加するばかりである。

そして、リスクを考えぬ相手に、己のリスクを考えずに挑めば、相手を動かせず自滅する。

それに、ガス抜きを実施したつもりで、モラルの向上が得られようと、不具合による反動に苛まれる。

そもそも、何のデモであろうと、そこらの暴走族と大差はない。

何より、情報戦と頭脳戦の時代に、こん棒を振り回しても、一人相撲で終わってしまう。

どれだけ、経済や文明が発展しようと、そのような連中が蔓延る限り、その者達を救えぬ限り、地獄は常に共にある。

環境は、既に手遅れの状態だ。

せめて、人間の心だけでも、より良き方向に導きたいのである。

それが叶えば、人類に見れぬ明日はない。




諸賢に、注意して頂きたい事がある。

日本には、必要悪と見せかけた、巨大なゴキブリホイホイがある。

無論、それは世界中にあるのだ。

そのため、なるべく迂闊な事は、避けて頂きたい。

何より、デモへの参加は、極力避ける必要がある。

ただし、首都圏でなければ、巻き込まれる可能性は、高くはないと推察する。

皆様には、御自身の時間は当然とし、家族や友人と過ごせる、
かけがえのない玉響を、可能な限り満喫して欲しい。