2012年07月27日 18:50 大津いじめ自殺事件への考察


世界中の大人達が、一心不乱に他人・家族・友人を、惨殺している醜状は当然とし、
自分達が何も変えられなかった厄介事を、まるで無かったかのように振る舞い、
杜撰な対策と対応を、得意げに語る姿を見て、子供達はどう思うのだろう?

その胸中では、いつまでも模範を示せぬ大人達に、深い憤りを感じている。

信じた瞬間に、裏切られる。

機会を与えても、また裏切られる。

不信を忘却した頃に、さらに裏切られる。

裏切りの弾幕が、子供達を蹂躙しているのだ。

そして、裏切りの猛攻に、大人達が晒されている。

そう、綺麗事を垂れ流すだけの、腐れ外道の跳梁跋扈が、遍く人類を傷つけている。

あまつさえ、総理大臣とあろう者が、本質的に何もしてくれなかった、
性質の悪い大人達と同類の言葉を、馬鹿の一つ覚えのように垂れ流した。

愚の骨頂たる台詞を拝聴し、イジメられている子供達、イジメられていた大人達、
イジメ問題の改善に邁進する全ての人材が、完膚なきまで青ざめたに違いない。

誰よりも青ざめたのは、またしても裏切られた、無数の遺族達である。




野田総理:弱い者いじめは、とても恥ずかしい行為であり、卑劣だということを理解してもらわなければいけない。

※ 意見

重要なのは、イジメを拒絶する感覚を、どのように養うかだ。

それには、より早い段階からの教導が必須である。

何より、義務教育の以前となる段階からの、各々の家庭による指導が不可欠だ。

要は、未然に手を打たなければ、そう易々と改善する事は出来ぬ。

そもそも、様々なケースがあり、理解の有無程度で、イジメが解決する道理がない。

そう、善悪の知識を享受したとて、それを受け入れる感覚が無ければ、それは意味を持たぬのだ。

それに、安易な理解による抑制は、環境の簡単な変化により、その有効性を失ってしまう。

だからこそ、より広く深く優しく、その感覚を養う必要がある。

しかし、それには時間が必要だ。

そのため、以下のアプローチで、対応してきたのが実情だ。




イジメをした場合のリスクを教える。

暴力が低俗な行為である理由を教える。

ストレスの発散に、最適な環境を追加する。

イジメをする事の、絶大な無意味さを教える。

イジメをしない事に対する、御褒美を用意する。

専門のスタッフが常駐する、憩いの場を追加する。

イジメられた場合の対応マニュアルを生徒に配布する。

保護者に対し、子育てに重要なコツを、定期的に講習する。

理想的な己を確立する授業を行い、イジメの概念を切断する。

イジメられ難くなる方法と、イジメの衝動を抑える方法を教える。

イジメにおける学校側のプロセスを、事前に生徒と保護者に通知する。

イジメられる側が弱いのではなく、イジメをする側が弱い理由を教える。

イジメに対し、大概の大人が無能である事実を伝え、どうすべきかを教える。

イジメてしまう側とイジメらてしまう側の、双方に対する相談窓口を提供する。

イジメをする側に、誰と同じ事をしているかを伝え、その恐ろしさを把握させる。

一方的なイジメに耐える者の強さと、それに甘んじてイジメをする者の弱さを教える。

世界と人間の本質を伝え、本来どうあるべきかを教え、効率的にそれに近ずく方法を享受する。

イジメは絶対に許さないが、それに及んでしまっても、全生徒を大切に育てるスタンスを明確とする。

イジメの内容が、教師や保護者が加担・受難する、余りにも高度化した状態の場合、専門の団体に委託する。

保護者と教師による、イジメ対策チームを形成し、校内・校外のイジメを監視し、問題が発生した場合は対応する。

イジメてしまう側とイジメらてしまう側の、双方との綿密なディスカッションにより、
原因と要因の把握は勿論、その背景を理解する事で、抜本的な解決を実施する。

イジメの実態により、イジメてしまう側とイジメらてしまう側とイジメを止められなかった側の、
全方向による誓約謝罪を実施させ、イジメが不可能となる状況を形成する。




重複していると推察される、項目があると考察するが、各々で実施される内容は大きく異なる。

項目により、複数の手段が格納されている。

これらのオーソドックスな方法では解決が叶わず、対比が不可能となる手段により、解決をした案件がある。

残念なのは、イタチゴッコの挙句、ここにすら記載が不可能な次元まで、イジメの内容が発展したケースがある事だ。

絶大な問題は、ステルスイジメの発展であり、子供の協力が獲得出来ねば、
基本となる調査すら困難な次元へと、イジメが到達している事だ。

子供の協力と記載したが、イジメられている本人は、自分の部屋と加害者の部屋で、
繰り返された洗脳と暴行により、加害者を全力で擁護するため、イジメの証拠が獲得出来ない。

そのため、子供を選定し、協力を仰ぐ必要がある。

まあ、これは極度な事例だが、周囲にその片鱗を露出する事がない、執拗で執念深いイジメがあるのだ。

結局、全てが手遅れの状態であり、解体的な対策を実施せぬ限り、イジメ問題の改善には、程遠いのが実情だ。

あまつさえ、そのファンダメンタルを実現しようと、社会の環境が伴わぬ限り、是正と言える成果は絶無である。




野田総理:人間として大事なのは、自分が相手の立場になった時にどう思うかだ。その痛みを感じる心を持ってもらわなければいけない。

※ 意見

重要なのは、それを察する心を、どのように育むかだ。

こちらに関しても、幼少期からの指導が必要だ。

何より、それを授ける方法を、各々の親に伝授しなければならない。

人類は、育児が本能により、可能となる生物ではない。

厳密には、それでどうにかなる時代は、遠に終わりを告げており、
無分別に概念と定義が、増加・分岐・発展を続けたため、
それに適合した育児など、不可能な状態なのだ。

もとより、適正な育児の方法が、存在せぬのが哲理である。

そのため、より良きと考察される、ノウハウを獲得しておかねば、どうにもならぬのが現実だ。

そもそも、ノウハウを獲得しただけでは、どうにもならぬ家庭すらある。

それを見極めた、より適正な育児が可能となる、社会環境の再編成が必須となる。

残念なのは、相手の精神と肉体の痛みを、心の底から察した上で、イジメに及んでいる実情だ。

要は、己が何者からか受けた苦しみを、自分の手で誰かに与える事によって、それを共有しようとするのだ。

イジメをしてしまう・・・。

それが、救難信号である場合を、大人は考慮すべきだ。

イジメをしない子が、いじめっ子となり、いじめっ子が、いじめられっ子となり、いじめられっ子が、いじめっ子となる。

まあ、そのプロセスの根幹を見極め、イジメ問題に対処するのは、最低限の配慮である。




政治家のような、思考が石仏化した大人は、事柄を安易に捉える傾向がある。

それでは、何も変えられない。

例え、何かを変えたとて、それは上澄みだけで終わり、すぐに元通りとなる。

野田総理には、察する心を持つ余裕すらなく、イジメをしてしまう子供達と、誠実に向き合って頂きたい。

はたまた、その心を持ち合わせていようとも、イジメを繰り返しては、泣きながら謝罪する子供がいる。

彼には、その可哀想な子供の実情を察し、語りかけ救う事が出来るのだろうか?

私をイジメた子供達が、心に背負っていた痛みは、言い表せぬ次元である。

その痛みを軽減せねば、それが相殺される社会でなければ、イジメが十分に無くならない。

もとより、それを取り払おうとも、イジメは永遠に無くなりはせぬ。

それは、我々が人間だからだ。

野田総理には、人の心の複雑さを、理解して欲しい。

しかし、心が酷く欠損した、役人の九官鳥には、それは難しいのだろう。




野田総理:あなたは独りではない。守ろうとする人は必ずいる。誰でもよいから相談してほしい。

※ 意見

それでは、どうにもならなかったため、自殺をしても些少のニュースで終わり、
はたまた世に出る事すらなく、泣き寝入りをした遺族が、何人いるか知る必要がある。

そして、どれだけの子供達が、見捨てる社会に抹殺されたのか、真実を直視してから、その口を動して頂きたい。

校友に見捨てられ、教師に見捨てられ、学校に見捨てられ、他人に見捨てられ、
事態を軽視した家族に、見捨てられた子供に、総理の言葉は残酷すぎる。

何より、現況でその状況にあり、苦しんでいる子供達の息の根を、容赦なく止めるような発言だ。

そもそも、それをしたとて、解決が絶無な状況の以前に、出来ぬ状態を見極め、言葉を選ぶ必要がある。

もとより、相談してどうにかなる程度の、アマチュアのイジメを基準とし、現を抜かしてはいけない。

それに、その程度の次元で語ってしまえば、事態の把握すらしておらぬ事が、明確に証明されてしまう。

そうだ、大津いじめ自殺事件では、身近な大人だけならまだしも、即応すべき全組織が、完全なゴミダメだった。

これでは、ニュースのタイトルだけで、野田総理が音を出していたと、誰もが感じてしまう。

我々は、己と第三者の建前・自己都合・利己主義に弄ばれ、捻くれたモノの見方に、常に染まっている状態だ。

その実態から脱却し、問題を精査する能力を養わなければ、都合のいい事を並べるだけの、
潮流をいつまでも変えられぬ、偽物の政治家のような、茶番の人生で終わってしまう。

そうならぬため、都合の悪い情報すら共有し、より良き結果を導き出さねばならない。

例えば、校友・教師・学校・他人・家族が、被害者を助けられなかった、己に不都合な情報を含め、
どうすべきだったかの考察は勿論、イジメた側によるそれらの情報を十二分に加味し、
一切合財を全体で共有し、様々な事例における、最良の対策を導き出す。

そう、このフィードバックを実施する事で、全体のフィードフォワードを実現する。

要は、様々な問題は当然とし、多様な情報により導き出した、より良き解決策は勿論、
それらとどう向き合い、生きるべきかを共有する事で、以後の問題の発生を打ち消すのだ。

より多くのスタンスに応じた、より適正なそれらの共有は、絶大な抑止力となる。

しかし、これには必要不可欠な、確定されたプロシージャがあり、それを過誤してしまえば、新たな不具合の元凶となる。

既に、類似した事を実施している者達が存在するが、
己達が形成した悪循環の袋小路に弄ばれ、
何も変えられていないのが実情だ。

当方は、そのプロシージャを導入した活動を、実施する所存である。

それに関しては、進捗の状況に合わせ、資料をサイトに追加する。




我々は、以下の事実を、把握する必要がある。

過去に、男性教諭に助けを求めた結果、その教諭に強姦されて、自殺した少女がいる。

男性教諭に相談した末路、在学中は教諭との性交渉で、イジメを逃れる破目となった少女がいる。

これに類似した事件と犯罪が、小学校・中学校・高等学校で発生している。

私が、閲覧した資料では、女子生徒が男性教諭から性的暴行を受難し、男子生徒が男性教諭から性的暴行を受難していた。

当然だが、女子生徒と男子生徒が、異性・同性による、性的暴行を受難している。

それに、部外者の大人が、加担しているケースが、大多数において見受けられた。

私の中学校でも、性的暴行の対象となる、男子生徒が存在した。

私は小学生の頃に、六人程度の同級生に、動けぬ状態にされた上で、尻に鉄の棒を刺された程度だ。

性器の皮をホチキスで止められ、オシッコが出来ない状態にされそうになったが、それは大声で泣き叫んで回避した。

私が、記載する性的暴行は、当方の経験を遥かに超える内容だ。

それは、快楽であり、激痛である。

ちなみに、資料を閲覧したのは、およそ十年前となる。

イジメを回避するため、小学校・中学校・高等学校の生徒が、
性的暴行の受難へと到ったのは、その当時の茶飯事にすぎない。

当方とて、様々な資料に目を通し、その被害者と直接話し、目の前で類似した事が行われ、
自身もイジメられた経験がなければ、必要以上に平和な世の中だと、思い込んでいただろう。

そうでなければ、子供が並べられ、両親達の目前で戦車で踏み潰され、既に夫を殺された母親達の目の前で、
赤ん坊たちが首を切り落とされる映像を見つめ、打開への道を模索する事すら、あり得なかっただろう。

嘗ての同僚によると、オンラインゲームやソーシャルゲームを中心とした、イジメや性犯罪が増加の傾向にあるそうだ。

具体的な内容だが、課金アイテムを送った事を理由に、様々な手段で相手を呼び出して、数回に渡り性的暴行を加える。

5年前に、低年齢向けのオンラインゲームで、小学生・中学生の少女7人が、被害を受けていた事を確認した。

逆に、課金アイテムを買って貰うため、子供がそれを承諾し、性的行為に及んでいる。

イジメに関しては、現実をそのまま投影している。

この問題に関しても、手遅れになった頃に話題となるか、そのまま放置されるだろう。

そうなるのは、己と第三者の建前・自己都合・利己主義に踊らされる、日本政府・大手報道の未熟さが原因だ。

私が、最大に懸念するのは、一連の報道による、イジメの更なる進化である。

いつまで経っても、正当で品行方正な、情報の流布が出来ぬマスメディアを、酷く気の毒と感じる。




野田総理:一番大事なのは、周りにいる子だ。分かっているならば見て見ぬふりをしないこと。そばにいる生徒が、先生や両親と相談してほしい。

※ 意見

当方は小学生の頃、イジメを受けている女子を助けようとしてから、
格好のイジメの対象となり、その女子からもイジメられる破目となった。

そして、私を助けるため、先生を呼びに行った女子も、
チクリ魔とレッテルを貼られ、性器に暴行を受けている。

何より、大人が必ずしも、助けてくれるとは限らない。

大津いじめ自殺事件に関しては、それが顕著に伺える。

野田総理の発言は、現状でイジメられている子供達が、
チクリをせぬようにと、暴行や脅迫をされる、
新たな状況を形成する可能性がある。

何事も他人行儀で、リスクを考えられぬ大人は、無責任な事を平気でしてしまう。

この程度の人材が総理大臣では、有事が発生した際には、国が容易く滅んでしまう。

総理は、いじめで苦しんでいる子供、その姿を見て怯えている子供、いじめが抑えられない子供、
どうすればいいかわからぬ大人に、自分達でなんとかしろと、他の大人達と同じ言葉を吐いたのだ。

発言をする事は、異例なのかも知れんが、平凡かそれ以下の内容に、拍子抜けしてしまった。

私の小学校の校長が、類似した内容を語っていたが、もう少し気が利いた内容だった。

他の大人達も、似たような内容を垂れ流していたが、遥かに中身が詰まった内容だった。

それでも、イジメは終わらなかった。

そもそも、暴力と暴言による、洗脳殺人とも推察可能な事件に対し、その程度の言葉しかないのかね?




現時点で、私が野田総理と、中身が入れ替わるのであれば、以下の内容を垂れ流す。

だが、実際に入れ替わるのは、御免蒙る・・・。




親愛なる日本国民の皆様、政治家が奉仕すべき主君の皆様、どうか私の言葉に耳を傾けて下さい。

皆々様の中には、私を良くは思われぬ方が、いらっしゃる事と存じます。

それは、当方の多大な不足が、齎した結果であります。

私は、無知な総理大臣です。

つまり、知識がありません。

私は、無智な政治家です。

つまり、知恵がありません。

私は、無恥な人間です。

つまり、恥を知りません。

大変、申し訳ございません。

今後、改善の努力を惜しまず、自分を磨いていく所存です。

そのため、国民の皆様に、私の多大な不足を、御指摘頂けると幸いです。

正当な国家運営に必要となる、あらゆるを御教授頂ければ、感謝の極みであります。

何卒、宜しく御願い致します。




平成23年10月11日、イジメの概念を超えた行為により、たった一つのかけがえのない瑞々しい命が、
自己の判断で己の命を絶つと言う、やるせない事件が発生しました。

そう、たったの一つしかない、価値ある貴重な命が失われたのです。

もしかしたら、それは私であり、貴方だったかもしれません。

もしかすると、何ものにも代えがたい、家族や友人は当然とし、己から派生する命かもしれません。

故に、大津いじめ自殺事件は、我々自身の問題です。

我々は、各々が他の追随を許さぬ、唯一無二の尊い存在です。

それを、自然と感じる事が出来る、社会を形成出来ておらぬ事を、改めて陳謝させて下さい。

本当に、ごめんなさい。

何より、その一つであるハズの、代わりなどあり得ぬ命が、異常な違和感を覚える行為によって、
己を絶つ選択を迫られた事は、何もして来なかった私の大罪であり、何も出来なかった大人達の罪でもあります。

皆様に罪を背をわせてしまったのは、そうならぬための道を指し示せなかった、全ての政治家の責任です。

各々の責任は非常に重く、許して頂く事は皆無であります。

国会は、それを明確に認識し、深い反省を胸に刻み、国家運営の義務を果たします。

もし、自分に責任はない!と、豪語する政治家がいた場合は、皆様に御判断を委ねさせて下さい。

真摯に、現実・事実・真実・実質・本質を見極められぬ者に、到底において政治家は務まりません。

そして、人としての良き良心を基盤とする、品行方正な倫理・道徳・常識・正義を育んでおり、
冷静な判断による、聡明な行動と、一生懸命な考察による、賢明な決断が可能な者でなくてはなりません。

残念ながら、それだけの人材が、内閣総理大臣を筆頭に、実在しないのが実態です。

原発問題に対し、無数に出来たであろうアプローチを、大した次元で行わぬ国会を見れば、それは明々白々であります。

現状まで、至れり尽せりと見せかけ、高圧的な笑みを浮かべ、あたかも正しい事をしているかのような、
見せかけだけの国会運営を実施し、皆様の心を利用し認識を歪める、絶大な茶番劇を演じてきました。

私は、政治生命ではなく、この命をかける事で、その醜態に終止符を打ちます。

それは、その志向性を定めなければ、イジメ問題の些少の解決すら、永遠に果たせないからです。




大津いじめ自殺事件を解き明かし、イジメ問題を是正するため、政治家は悔い改める事から始めます。

大変、恐縮ではありますが、大津いじめ自殺事件において、自殺の要因を担った可能性が、
僅かでもある方々には、そのスタンスに関わらず、反省の念を抱いて頂きたい。

そこから始めなければ、多くの解決の糸口が、塞がれたままです。

それでは、自分が救われませんし、少年の魂が浮かばれません。

大津いじめ自殺事件に関しては、私共が深い介入を実施し、
被害者側と加害者側の双方にとって、最良の結果を齎す所存です。

実質的に、少年の命と共に、真実は失われました。

だからこそ、詳細な調査を実施します。

この事件に関連し、多くの問題が発生しました。

それらを教訓とし、国家レベルの調査組織を編成し、
国民の皆様と情報を共有する事で、不要な混乱を回避可能な体制を形成します。

今後、発生する様々な事件に対し、その組織が介入する事により、あらゆる事件の再発と、問題の防止を促します。

さらに、その組織を複合化する事で、様々な不正の撲滅にも尽力します。

それでも、イジメは当然とし、犯罪すらなくなりません。

それは、人類は己達の過ちにより、無から築き上げた根拠の喪失を続け、
どれだけの言葉を並べ、どれだけの事柄を実施しようとも、
根拠の不在で失態を続ける、未熟な存在だからです。

我々は、この事実を受け止め、新たな根拠を築き、真の打開の道を切り拓かねばなりません。

そのため、もう少しだけ、皆様の貴重な時間を、頂戴させて下さい。




私は、幼稚園・小学校・中学校とイジメを受けました。

それは、子供と大人の双方からとなります。

具体的な内容ですが、無視をされた。首を絞められた。木の棒で殴られた。教科書を破かれた。悪口を散々言われた。パシリをさせられた。唾を吐きかけられた。飲料に唾を混入された。手の平に鉛筆を刺された。給食を机から落とされた。両親を殺すと脅迫された。耳に鉛筆を突き刺された。ゲームソフトを奪われた。背中をカッターで切られた。タバコで火傷をさせられた。物置に数時間、閉じ込められた。ガンダムのキラカードを奪われた。布団に包まれて、蹴り続けられた。鉄棒に何度も、頭を打ちつけられた。丸焼きにされそうになった。女子の前で、陰部を晒すよう強要された。10本近い牛乳の、一気飲みを強要された。布団に包まれた状態で、階段から落とされた。動けない状態にされ、お尻に鉄の棒を刺された。トイレでボコボコにされ、土下座をさせられた。金銭を要求されたが、何をされても払わなかった。トイレで小便をしている時に、小便をかけられた。トイレで大便をしている時に、どばっと水をかけられた。防災頭巾に画鋲が仕掛けられていて、お尻の穴が大量に増えた。万引きの幇助をさせられたが、店に赴き事情を説明し、代金を支払い謝罪した。

暴行はしょっちゅうで、体は痣だらけでしたね。

昼休みに屋上で、私が倒れている状態で、三人に30分間蹴られ続けても、目の前で先生は微笑んでいるだけでした。

鉄棒に頭を打ちつけられている時は、担任は見ぬフリをし、近所からの通報により、
教師達が校舎から飛び出し、それを止めて頂けて、殺されずに済みました。

同級生に、私を遥かに超えた地獄に、晒されていた男子がいました。

彼は、自宅を荒らされ、金銭を度々奪われ、生ゴミを食べさせられ、セミやゴキブリの死骸を食べさせられ、
科学の実験で利用される物質を飲まされ、フォークや串を背中や手に刺され、私を超えるイジメを受けていました。

ちなみに、私はやり返す事がありましたが、どうしても力が入りませんでした。

母が私に、人のモノを奪いたくなったら、自分の腕を斬り落とせ。

誰かを殺したくなったら、自分を殺せと、刷り込んでいた御蔭かも知れません。

小学校で、私へのイジメが始まったのは、イジメられている者を、助けようとしてからですが、
アレルギー性鼻炎やアトピーを患い、他にもネックがあった事が、それを長引かせた理由と考察します。

また、私より過酷なイジメを受けていた少年にも、多大な問題があった事は事実です。

さらに、イジメをしてしまう子供達も、多くの問題を抱えていたのを覚えています。

当方は、自身の経験により、イジメの恐怖や、心や体の痛みを、理解しているつもりではあります。

ですが、我々を超える暴行を受け、失明した子供、肉体を欠損した子供、自殺へと追い込まれた子供、
マットに包まれ殺害された子供が、味わった苦しみは、想像は出来たとて、理解するのは不可能です。

例えば、東日本大震災と福島第一原発の人身事故で、多くを失った方々の気持ちは、察する事は出来るかもしれません。

しかし、その苦しみは絶大であり、軽々しく理解・共有すると、綺麗事を並べられぬのが実情なのです。

だからこそ、その本質が解らないからこそ、渾身の力を込めて、尽くさねばなりません。

それなのに、口だけは達者で、実行が伴わず、明確な結果を齎さない、
人としてあるまじき者達による矛盾が、誰をも傷つけてきました。

不甲斐ない事に、民主党による政権は、それだけで終わりを迎えようとしています。

あまつさえ、東日本大震災と福島第一原発の人身事故で発生した責任を、有耶無耶にして逃走しようとしています。

それは、山形マット死事件、福岡中2いじめ自殺事件の加害者のように、そして大津いじめ自殺事件の加害者のようにです。

私は、残された時間を有効に利用し、責任を負わぬ政治劇を幕引きとします。

国民に対し、イジメ同然の事を、民主党は実施しました。

その、明確な罪滅ぼしをする事で、大きな是正の礎となります。




当方の経験と、様々な事件や問題の精査により、把握させて頂けたのは、イジメをしてしまう側、
イジメられてしまう側、傍観するしかない側、その全ての関係者が、多くの問題を抱えている事です。

先ず、互いに歩み寄る事で、それを解いていかねばなりません。

互いに背負うモノが判らぬまま、それを何処までも重くした子供が、そのまま大人になれば、
それを見過ごしてきた大人達と混じり、何もわからないまま、終焉を迎えてしまいます。

それは、とても悲しい事です。

そう言えば、高校時代に親交を深めた友人にも、イジメを経験された方がいらしたのですが、
その方は最終的に爆弾を作って、イジメていた相手の背中にそれを張り付けて、
背中の皮膚を吹き飛ばしたとおっしゃっていました。

学校に、使い捨てカメラを改造したスタンガンや、御手製の爆弾を持参されていたので、冗談ではないと伺えます。

高校卒業後、大学を途中で辞め、都立高校の補助教員や、調査会社で御手伝いをした関係で、
イジメに対する報復の凄まじさを把握し、非常に愕然とした事を覚えています。

当方は、特殊な家庭環境により、仕返しや報復への執念は、一定の考察により相殺されていました。

当方が子供の頃より、イジメの内容は類似した状態であり、大人の対応も左程の変化はありません。

イジメへの報復に関しても、類似した傾向が見受けられます。

誰もが、誰かと同じ行動を繰り広げ、悪化させながら繰り返しているのが実情です。

良き事を繰り広げ、発展させながら繰り返すのは、非常に素晴らしい事ではありますが、
これが悪い事となると、それ程に無意味で無価値な事はありません。

現状の社会は、無数の良いループと悪いループが入り乱れ、どちらかと言うと後者が多い状態です。

今後、日本政府は満身の力を振り絞り、政治家や官僚を総動員しての、極性の変更を実現します。

社会を陰極から陽極へと傾け、日本はもとより、世界を確固たる存在へと、我々が磨き上げるのです。




教育現場の方々には、イジメをしてしまう側、イジメられてしまう側が、背負う問題を解き明かし、
両者の蟠り解しつつ、双方の御家族と向き合い、限界までの屈託を打ち払い、
極限までの理不尽な涙を、相殺して頂きたい。

政府としては、様々な御託を並べる割には、私が子供の頃と何も変わらないどころか、
悪化を続けている事実を受け止め、上っ面の言葉を並べるだけではない、
目に見える成果がある活動を、誠心誠意に実施して行きます。

そして、今まで何も出来なかった事を隠し、誤魔化して逃げる一方の者達に、巨大なメスを入れます。

腐れ果てた、政界と教育界を、根本から叩き直す事で、教育現場で邁進する教師の方々を、適性に支援させて頂きます。

それにしても、『イジメはありません。』『メルトダウンはしていません。』は、よく似ていますね。

そして、『ただちに影響はない』『イジメが自殺の原因とは限らない』にも、類似した悪意を感じます。

立場は違うのに、同じ行動を繰り広げ、悪化させながら繰り返している。

人類は、この負のループから、脱却しなくてはいけません。

大津いじめ自殺事件では、被害者側と加害者側の双方に、表裏一体の存在を形成しています。

それは、正義の使者か悪魔の手先か、紙一重の存在です。

少なくとも、そこに品行方正な正義はありません。

被害者を救えず、加害者を救えぬ人々が、何も出来なかった自分に憤り、悲しい姿を晒しているだけなのです。

そうなってしまう状況を、未然に防げず謝罪の言葉もありません。

我々が注意すべきは、新たな加害者にならぬ事です。

このまま、厳罰主義に取り憑かれ、部外者が暴走すれば、加害者が被害者となり、部外者が加害者となります。

そうなった場合において、その一端を担う発言をしていたのに、
知らぬ存ぜぬと認めぬのであれば、政治家と同じ虫けらになってしまいます。

それでは、化け物と変わりません。

現状のままでは、見果てぬ先に到る前に、全てが滅んでしまいます。

超絶絶頂・究極極大・臨界突破において、誰かと同じ失敗を重ね生きるのではなく、
誰かと同じ成功を重ね、それ以上の成功を掴み取ってこその人生です。

我々は、史上の人物が目指した、その先を歩いています。

だからこそ、それに相応しい道を、これから共に切り開き、歩んで参りましょう。

そして、固定観念を打ち破る、斬新な発想による、先進的で革新的な世界を、手を取り合い築き続けるのです。

皆様の貴重な時間を頂け、感謝の極みであります。

御清聴、ありがとうございました。




秘密保持契約により、内容を記載する事が不可能だが、大津いじめ自殺事件と対比し、
イジメの内容に限定すれば、遥かに上となる事例が、数多く存在するのが実情だ。

話が変わるが、小学生の私をイジメていた、主力となるグループは、男子同士で接吻をしていた。

高学年の修学旅行で、その中の4人と同室となったが、彼らがオーラルセックスを開始し、
当方とイジメに加担しない、一匹狼のような少年が、目を疑う事態が展開された。

私と、一匹狼の少年に対し、彼らが加わらないかを尋ねて来たが、2人で全力で遠慮させて頂いた。

当方は、寝る事に集中したが、彼らが布団にくるまり、
何か違う事をしている様相に、絶大な違和感を覚えた。

小学校では、男子により女子が、服に精液をかけられていた。

類例が、腐るほどあるのが真実だ。

女子が、イジメている男子から精液を採取し、イジメている女子の頭にかけたケースがある。

しかし、それすら可愛らしい次元である。

そのため、大津いじめ自殺事件に、精液という単語が出ているが、
それが特殊な状況ではないと、断言する事が可能な状態である。

我々は、より深くを把握し、時事を分析せねば、自己の迂闊な暴走の、報いを受ける破目となる。

諸君に、それは相応しくない。

我々は、自分自身は当然とし、大切な家族や友人のため、より良き己となる事を心がけ、見果てぬ先へと進んで行こう。