2012年03月28日 19:16 己の鎖


人は、人生の中で味わう、後悔と呼ばれる鎖で、己の心と体を、強く縛ってしまう。

そして、臆病となり、自分の人生に、制限を設けてしまうのだ。

あの時、ああすれば良かった・・・。

そのような、どうしようもない、逸機の思いに苛まれてしまう。

人によっては、その鎖に自ら錘をつけ、歩く事すらままならなくなる。

後悔を忘れ、鎖を断ち切るのは、誰しも容易な事ではない。

それを清算し、重量を減らすのも、我々には困難な事である。




だったら、どうすればいいか?

一番いいのは、後悔を糧とし、鎖と錘を相殺する事だ。

要は、失敗から学び、次に生かす努力をするのだ。

だが、それも単純な事ではない。

そう、あらゆる人間が、器用に出来ていて、屈強に生きられる、道理はないのだ。

だからせめて、自分の失敗を回顧し、少し笑えるようになろう。

要は、失敗を思い出に昇華し、正面から向き合い、見つめるのだ。

そして、優しい気持ちで、受け止めればいい。

まあ、単純に言えば、思いつめない努力をする事である。

そうすれば、鎖をゆるめ、錘を減らす事が出来る。




我々の大半が、自分の鎖に縛られ、残りの一歩が進めない状況や、立ち上がれない状況に、追いやられている。

だが、鎖は後悔だけではない。

憤怒や憎悪で形成される、愚行へと教唆する鎖もある。

それに、欠かせぬ鎖も存在する。

それは、倫理・道徳・常識で形成され、愚行を抑制し、身を護る鎖帷子だ。

我々は、己の身にどのような鎖が存在し、必要な鎖・不要な鎖を最適化する必要がある。

それが、充実した人生の鍵となる。