2012年03月25日 00:42 人間は、歯車である・・・。


それは、ほんの少し前まで、周囲と同様の歯車だった。

そう、社会と総称される、巨大なメカニズムを構成する、重要な歯車の一つだったのだ・・・。

しかし、その歯車は周囲に逆らい、逆の方向へと、急激に回転した。

それにより、周囲の歯車は損壊した。

そして、さらに周囲の歯車も、ダメージを負ってしまった。

中には、粉々になってしまい、二度と動かぬ歯車も存在する。

当然、逆に回転した歯車も傷つき、場合によっては、崩壊してしまう。




たった一つの歯車が、何らかの理由で逆に回転し、隣接する歯車は勿論、それに寄り添う歯車を破壊する。

周囲がそれにつられ、回転が逆となるのではなく、正常な回転を続ける歯車との板挟みに合い、砕け散ってしまうのだ・・・。

例え、同じ機能を提供する、複数のユニットが存在し、その一つでそれが発生し、
他のユニットが補っても、メカニズムが欠損した事実に相違はない。

これは、ある事件を見つめ、思い浮かんだ考察である。




心情としては、犯罪者・被害者と、その周囲の人生が、破壊される構図を、稚拙ではあるが、表現しようとしている。

そう、少し前まで犯罪者は、既定の方向に回転する歯車だった。

確かに、性質に違いがあった事は、結果を捉えると、紛れもない事実である。

しかし、そこを見つめると、犯罪者に対し、憐みの『疑念』が浮かぶ。

その末路しか描けなかった事に、憐みの疑問が浮かぶのだ。




我々を歯車とした場合、誤作動する理由を探れば、原因は容易く拾う事が出来る。

解り易く伝えたい場合、複雑な問題を探求する場合は、多少の不具合が内在しようとも、シンプルに捉え考察すると良い。




戦後、不完全な状態で、我々の社会はリリースされた。

そのため、多くの不具合が内在している。

そもそも、それ以前はバグの塊だった。

しかし、前段階であろうと、現状であろうと、バグフィックス(バグの修正)の方法が解らず、
マイナーなバージョンアップで、誤魔化すだけなのだ。

そう、ソフトウエアとして見つめれば、不具合が満ち溢れ、ボロボロの状態である。

低迷と反発を繰り返しつつも、実質的には縮小の傾向で、改善の兆しはない。




要は、設計の不備は当然とし、運用の不手際が、目に余る状態だ。

設計が、途轍もなく不完全で、運用する者達も同様である。

設計と運用の不備が、メカニズムをきしませ、歯車への負担が大きくなり、摩擦で回転速度が落ちている。

ただし、それは心を持った歯車だ。

異常な、負荷に押し潰されれば、逆に回転する事もあるだろう。




適正なメンテナンスの放棄により、メカニズムは崩壊の最中だ。

厳密には、形成される以前から、その崩壊が始まっている。

それは、人間が不器用だからだ。

そもそも、設置された環境が、健全には程遠い状態である。

設計の不具合を改善し、メンテナンス方法を過誤しなければ、多くの人々の人生は、見違えていただろう。




我々は、肉体と精神に、過剰な負担をかける事無く、日々を歩めれば、それで十分なのだ。

現状は、それには程遠い有様だ。

注意すべきは、不完全なメカニズムが生み出した、多方向からの負担を、
当然の事と思いこみ、無理に回転しようとせぬ事である。

それは、己だけでなく、周囲の歯車さえ擦り減らす。

何より、逆に回転すれば、多くの存在が失われる。




事実として、我々は歯車ではない。

無限を秘めた人である。

それを忘却しなければ、逆に回転する歯車に、なる事はあり得ぬ。

それを心に刻み、歩みを進めよう。