2012年03月10日 18:09 内側・外側の認識差に思う


『内側からの認識』と『外側からの認識』がある。

公人は、『内側からの認識』で、行動をする傾向が強い。

結果、『外側からの認識』とのズレで、とんでもない醜態を晒す事となる。

その、内部・外部による認識の格差は、個人・組織・国家で、主に発生する。

組織・国家に関しては、溝を生み出さない、努力が必要だ。




原発の一連で、日本政府・電力会社・大手報道に関しては、尋常ではない次元の、認識格差が発生している。

それは、ズタズタな状態で、無理に直そうとすれば、溝が深まる一方だ。

問題は、それが生じさせる、様々な問題の危険性を、把握していない事だ。

そして、適正な修復方法を、知らない事である。




現状は、情報媒体の多様化と、ライフスタイルの大分岐により、認識格差が超極大化を続けている。

それは、大きな不具合を発生させる。

我々は、形成される社会により、一定の催眠状態にある。

それが、解けてしまった者達の醜態が、我々の脳裏に多く焼き付いている。

途轍もなく忌々しい記憶だ。

そう、認識格差は、催眠を解除し、拘束具を外す、きっかけとなる。




より、適正な認識を共有出来れば、問題の発生率は減少するが、それは困難な事である。

何より、単純な誤解とは違い、そう認識しているのだ。

それを変えるには、原発の爆発のような、強烈な衝撃が必要なのだ。

と、思うのが標準的な発想だろう。

しかし、それは適宜ではない。




例えば、日本を良くするには、国家体制を大幅に変えるべきと、強く訴える者が、凄く稀に登場する。

しかし、そう思い込む者が、どれだけいても、それを実行する者は、実質的には一握りである。

その台等は、認識摩擦に火をつける。

結果が伴おうとも、不可避の問題が発生する。

それが齎す、悪夢たる惨劇が、永遠に起きぬ事を願う。

私は、それを知っている。