2012年01月21日 01:15

我々は、貧相な吸血鬼である。我々が、目指すべき世界とは・・・。


我々は、貧相な吸血鬼が、狭苦しい棺桶の中で、安物のワインを啜るような、辛酸の日々を歩んでいる。

もしかしたら、それは棺桶ではなく、ボロボロの木箱かもしれない・・・。

もしかしたら、それはワインではなく、赤みを帯びた、泥水かもしれない・・・。

そう、貧相な吸血鬼が、血でノドを潤し、豪華な城に住む事は、非常に困難である。

しかし、それが無垢な存在の、血液であろうと、それが贅を尽くした、豪華な城であろうと、吸血鬼が満たされる事はないだろう。

それは、その血液が、凶事によって齎され、その城が、人々の嘆きによって、建てられたからだ。




満たされた様相の、傲慢な吸血鬼も、満たされる事のない、謙遜な吸血鬼も、その性質により、満たされる事は決してない。

吸血鬼は知っている、鏡に写らぬ姿こそが、己の本当の姿だと言う事を・・・。

もし、吸血鬼が実際に望むモノが、雨風を凌げる、自力で建てた小さな家と、
自家製のフレッシュな、ジュースだったならば、鏡には吸血鬼を満たす、何かが映し出されただろう。




人類は、自らが形成した、自己の仕様に、不適格な社会によって、己を貶め、万物をあやふやな存在へと凝固させた。

一見、明瞭性・明確性・明晰性が、堅実に存在するかのように見えるが、
その多くが、悪習によって形成された、途方もない有耶無耶の、陳腐な塊である。

故に、その塊を解体し、構成する全ての存在に、明瞭たる役割を持たせ、
明確たる自尊心を抱かせ、概念の外延が明晰な存在とし、再構築する必要がある。

それによって、暗黙の茶番に満ちた社会と、完全無欠に、半永久的に決別するのだ。

それが成せれば、人類は永遠の存在となる。

そして、忘却されるだけの、愚鈍な世界とは、オサラバだ!

我々は、人として生きて、生き抜くために生まれた。

それに対し、現状の世界では、死に向かって、まっしぐらである。

そんな世界とは、とっととオサラバだ!




我々は、明瞭・明確・明晰に満ちた社会で、センシビリティーと、人としての良き良心を育み、
それに基づいた倫理・道徳・常識・正義を胸に刻み、何処までも、何時までも、強靭な歩みを進めるべきだ。

さすれば、自分が何のために、誰のために存在しているか、確固たる誇りを抱けよう。

そして、他者のために出す力が、あらゆる力より強いと会得し、己を屈強に研ぎ澄ますのだ。

それにより、人の手で屈託のない楽園を築き、神よりも崇高な、人となるのである。

少なくとも、理不尽な涙が、極限まで流れぬ世界と、それを優しく見渡せる、摩天楼を築く必要がある。

世界を見つめ、涙が流れたら、全力で拭い去るのだ。

それが、人の進むべき道である。