2011年07月07日 04:18 福島原発事故の深刻化に立ちあがる市民 米仏はそれでも推進?


☆ 福島原発事故の深刻化に立ちあがる市民 米仏はそれでも推進?

 福島原子力発電所の事故は3カ月目を過ぎてようやく東京電力が原子炉3基で完全なメルトダウンがおきていたことを認め、最初の一週間で大気中に放出された放射性物質の推定量もいっきに2倍に訂正しました。政府や東電の情報隠しは犯罪的で、住民たちはやむなく自ら放射能の測定を始めています。事故は収束どころか悪化の一途で、現在は大量の使用済み燃料を抱える4号機の崩壊が心配されています。日本市民の反応、使用済み核燃料プールの危険性、原発推進をめぐる世界各国の思惑などについて、環境活動家アイリーン・スミス氏と米国の元エネルギー庁高官のロバート・アルバレス氏に聞きます。

 スミス氏が、子供の年間許容被曝量を20ミリシーベルトとした文部省に福島の父母が撤回を迫って直訴したことを紹介し、「100ミリシーベルト浴びても心配ない」とのたまう福島県放射線健康リスク管理アドバイザー山下俊一長崎大教授のトンデモ発言を世界にさらしたことに、日本の市民運動からは大喝采でした。

 傾きはじめた福島第4号機のプールで湯気を上げている大量の使用済み核燃料。特別な安全設計もない原子炉建屋にどんどん溜まっていく使用済み核燃料こそが、米国式原子炉の最大の弱点だとアルバレス氏は指摘します。というのも核燃料廃棄物の最終処分場が55年かけても未だ見つからないためです。行き場のない核廃棄物が原子炉にどんどん蓄積し、プールが破損する事態になれば周辺の広大な地域に人が住めなくなります。

 こんな中でオバマ大統領は原発推進の再開を宣言し、海外にもさかんに売り込みをかけています。でも、これはどこまで本気で実行されるのでしょう? 今の米国には、そんな技術もインフラも、財源さえもありません。それでも建前は原発推進です。世界の原発市場をめぐって米、仏、日本がしのぎを削り、韓国やロシアも参入しているからです。出てくるゴミの始末もできず自国ではもう行き詰った危険な技術を、将来の武器転用の可能性をえさに新興国に売り込もうとするのは、この世界をますます危険にさらすことにならないでしょうか。

☆ 意見

福島第一原発の本質を見極める上で、御覧頂く事を推奨する。

時点における、日本政府・東京電力の、非公式となる見解では、チェルノブイリを軽く飛び越えた状態だ。

何より、経過年数が同クラスのマークI原子炉で、プルサーマルを実施し、破局した前例が存在しない。

結果、外界に何が放出されたか、現状でも未知の状態である。

これは、使い捨てではない人材に対し、東京からの避難が勧奨された理由の一つとなる。

本当に残念なのは、 福島県の環境が『3/10』に戻るのに、3200万年を要する事だ。

術が無い状況では、それが後方へとづれて行くのみである。




1号機・2号機・3号機は、フルメルトダウンと定義すべきだ。

メルトスルーとの、中途半端な表現では、不足で不適切となるのが実情だ。

今後、原子炉に残留する、核燃料に翻弄されるのは勿論、地下に漏洩した核燃料が、ジワジワと環境を蝕んで行く。

また、1号機・2号機・3号機の内部崩落は当然とし、4号機の倒壊も懸念される状況である。

さらに、東京電力のミス・トラブルにより、引き起こされる可能性がある、破局的事象群は、莫大な数に昇るのだ。

あまつさえ、分析を完了した各国では、次の大破局が発生した場合、
人道的な支援のため、福島第一原発の50Km圏内を、消失させる事を由としている。

当方としては、80Km圏外への避難を推奨する。

それが、福島第一原発における、次の大破局において、人間として生き残るための、最低限のマージンとなるからだ。




過去の原子炉事故を振り返ると、40Sv/h~70Sv/hの環境下で、作業をさせられた人々は、
『心配のない数値だ。』『すぐに元気になる。』と言われ、釈然とせぬまま死んでいった。

急性症状で嘔吐し、細胞更新が不全となり、体が崩れて行く状況ですら、気休めの言葉で片付けられた。

状況によって、仕方がないように受け取る事が出来るが、それは死に逝く者のためではなく、
死に逝く者を救えぬ者が、己のために発する、誤魔化しの言葉にすぎぬのだ。

残される者は、死に逝く者に残された時間を、満ちた玉響とする努力が必要である。

死に逝く者に『生きてきてよかった。』『絶対に、死にたくない。』と願わせ、
希望を見失わせぬよう、虚偽を漂わせずに働きかける事で、初めて双方が救われる。

本物の奇跡は、その先に訪れるのだ。

気休めの言葉で、逃げてどうする?

それで、諦めて何とする?

それでは、誰も救われぬ。

だから、何も変わらぬのだ。

だからこそ、歩むべき道を見極めよ。




福島第一原発の問題では、原発推進派の安全論者・危険論者の双方が、気休めの言葉を並べている。

何より、伝えるべき情報の上澄みだけを、それが全てかのように語っているのだ。

極大において、数値で安全・安心を並べてはならぬ。

それで、どれだけの人々が、釈然とせぬまま殺されたのか、知らぬ年齢ではあるまい。

何度、同じ事を繰り返せば気が済むのだ?

そう、既に学術的な情報は、無意味である。

そもそも、万人が解らぬ御託を並べても意味が無い。

結果、人々は迷走を続け、歩むべき道から、遠ざけられて行く。

本当に必要なのは、虚偽に基づく気休めでなく、真実に基づく気の利いた言葉である。